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hekikaicinema 2026年08月26日(水) 09:16:36履歴
所在地 : 岩手県宮古市末広町(1962年)
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1962年頃
1955年から1956年にかけて、宮古市には「宮古国際劇場」、「宮古東映劇場」、「リラホール」の3館が相次いで開館し、既存の「第一常盤座」、「宮古館」、「第二常盤座」を合わせて6館となった。リラホールは末広町の服部時計店の角から大通に抜ける路地にあった。経営者は新町で写真館を経営する城内良亮である。1956年5月には『復讐の二連銃』と『山河遥かなり』の二本立てを上映した。目立たない場所にある小規模な映画館であり、わずか10年ほどで閉館した。*1
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*2
開館年 : 1958年頃
閉館年 : 1962年頃
1955年から1956年にかけて、宮古市には「宮古国際劇場」、「宮古東映劇場」、「リラホール」の3館が相次いで開館し、既存の「第一常盤座」、「宮古館」、「第二常盤座」を合わせて6館となった。リラホールは末広町の服部時計店の角から大通に抜ける路地にあった。経営者は新町で写真館を経営する城内良亮である。1956年5月には『復讐の二連銃』と『山河遥かなり』の二本立てを上映した。目立たない場所にある小規模な映画館であり、わずか10年ほどで閉館した。*1
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*2
所在地 : 岩手県下閉伊郡田老町川向(1970年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1965年
田老町には「田老映画劇場」があった。2002年現在の宮古信用金庫田老支店の裏辺りである。昭和初期から田老町役場近くにあった「田老館」を買収し、移転新築して1957年に開館した。収容人員約150人の小規模な映画館であり、酒屋を営む箱石哲平が経営していた。『明治天皇と日露大戦争』、石原裕次郎主演の映画などがヒットした。開館から8年後の1965年に閉館した。*3
開館年 : 1957年
閉館年 : 1965年
田老町には「田老映画劇場」があった。2002年現在の宮古信用金庫田老支店の裏辺りである。昭和初期から田老町役場近くにあった「田老館」を買収し、移転新築して1957年に開館した。収容人員約150人の小規模な映画館であり、酒屋を営む箱石哲平が経営していた。『明治天皇と日露大戦争』、石原裕次郎主演の映画などがヒットした。開館から8年後の1965年に閉館した。*3
所在地 : 岩手県宮古市鍬ヶ崎町上町(1970年)
開館年 : 1960年
閉館年 : 1970年頃
1960年頃の宮古市鍬ヶ崎にあった「太洋映画劇場」の開館記念写真あり。花輪が見える。*4
1959年には宮古市に株式会社宮古太洋映画劇場が設立され、1960年に鍬ヶ崎上町「宮古太洋映画劇場」が開館した。宮古市における最後発の映画館であり、鍬ヶ崎においては戦前の「有楽座」以来の映画館だった。経営者は漁業と旅館業の船木真平であり、1951年に漁業から撤退すると、1954年に旅館業に乗り出している。1962年に「宮古東映」の経営が行き詰まると、株式会社宮古太洋映画劇場は宮古東映の施設を借り受けて営業を続けた。*5
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*6
開館年 : 1960年
閉館年 : 1970年頃
1960年頃の宮古市鍬ヶ崎にあった「太洋映画劇場」の開館記念写真あり。花輪が見える。*4
1959年には宮古市に株式会社宮古太洋映画劇場が設立され、1960年に鍬ヶ崎上町「宮古太洋映画劇場」が開館した。宮古市における最後発の映画館であり、鍬ヶ崎においては戦前の「有楽座」以来の映画館だった。経営者は漁業と旅館業の船木真平であり、1951年に漁業から撤退すると、1954年に旅館業に乗り出している。1962年に「宮古東映」の経営が行き詰まると、株式会社宮古太洋映画劇場は宮古東映の施設を借り受けて営業を続けた。*5
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*6
所在地 : 岩手県宮古市和見1-1(1970年)
開館年 : 1956年2月10日
閉館年 : 1970年頃
跡地は「ローソン宮古和見町店」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1956年2月10日、宮古市保久田3番地に新築中だった「宮古東映」が開館した。熊谷善四郎社長の株式会社宮古第一映画劇場が経営。鉄筋コンクリート造ブロック2階建て。客席定員510人。*7
1955年から1956年にかけて、宮古市には「宮古国際劇場」、「宮古東映劇場」、「リラホール」の3館が相次いで開館し、既存の「第一常盤座」、「宮古館」、「第二常盤座」を合わせて6館となった。
1955年12月に開館した「宮古国際劇場」から3か月後、1956年1月には「宮古東映」が開館した。オープニング作品は『雄呂血の秘宝』と『多羅尾伴内 戦慄の七仮面』であり、東映から安宅淳子、宮田悦子、高木二郎が舞台挨拶を行った。商店主らが出資した株式会社組織であり、宮古市議会議長を務めた熊谷善四郎が社長に就任した。宮古東映が建った場所は熊谷家の所有地だった。善四郎の兄の熊谷平助は岩手経済界の著名人であり、宮古銀行頭取、熊谷証券社長、岩手銀行常務取締役などを務めた。やはり善四郎の兄の熊谷巌は政友会所属の衆議院議員である。もともと「第一常盤座」が東映作品を上映していたが、宮古東映の開館によって東映作品の上映館が移った。*8
時期不明の宮古市にあった宮古東映劇場の写真あり。「封切館 宮古東映」の文字が見える。1956年1月に開館した。現在の跡地にはフードセンターがある。*9
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*10
開館年 : 1956年2月10日
閉館年 : 1970年頃
跡地は「ローソン宮古和見町店」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1956年2月10日、宮古市保久田3番地に新築中だった「宮古東映」が開館した。熊谷善四郎社長の株式会社宮古第一映画劇場が経営。鉄筋コンクリート造ブロック2階建て。客席定員510人。*7
1955年から1956年にかけて、宮古市には「宮古国際劇場」、「宮古東映劇場」、「リラホール」の3館が相次いで開館し、既存の「第一常盤座」、「宮古館」、「第二常盤座」を合わせて6館となった。
1955年12月に開館した「宮古国際劇場」から3か月後、1956年1月には「宮古東映」が開館した。オープニング作品は『雄呂血の秘宝』と『多羅尾伴内 戦慄の七仮面』であり、東映から安宅淳子、宮田悦子、高木二郎が舞台挨拶を行った。商店主らが出資した株式会社組織であり、宮古市議会議長を務めた熊谷善四郎が社長に就任した。宮古東映が建った場所は熊谷家の所有地だった。善四郎の兄の熊谷平助は岩手経済界の著名人であり、宮古銀行頭取、熊谷証券社長、岩手銀行常務取締役などを務めた。やはり善四郎の兄の熊谷巌は政友会所属の衆議院議員である。もともと「第一常盤座」が東映作品を上映していたが、宮古東映の開館によって東映作品の上映館が移った。*8
時期不明の宮古市にあった宮古東映劇場の写真あり。「封切館 宮古東映」の文字が見える。1956年1月に開館した。現在の跡地にはフードセンターがある。*9
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*10
所在地 : 岩手県宮古市築地2-8-11(1969年)
開館年 : 1892年3月22日、1917年(映画館化)
閉館年 : 1971年秋
跡地は「宮古漁業協同組合」東南東150mの駐車場。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
宮古町の「常盤座」が芝居小屋から活動常設館に転向したのは1917年頃とされる。なお、岩手県初の活動常設館は、1915年11月23日に開館した盛岡市の「紀念館」とされる。1918年の『都桑案内』には宮古町の劇場として常盤座のみが掲載されており、日活直営の活動常設館として紹介されている。1971年秋には第一常盤座が閉館した。*11
時期不明の宮古市にあった「第一常盤座」の写真あり。*12
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*13
開館年 : 1892年3月22日、1917年(映画館化)
閉館年 : 1971年秋
跡地は「宮古漁業協同組合」東南東150mの駐車場。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
宮古町の「常盤座」が芝居小屋から活動常設館に転向したのは1917年頃とされる。なお、岩手県初の活動常設館は、1915年11月23日に開館した盛岡市の「紀念館」とされる。1918年の『都桑案内』には宮古町の劇場として常盤座のみが掲載されており、日活直営の活動常設館として紹介されている。1971年秋には第一常盤座が閉館した。*11
時期不明の宮古市にあった「第一常盤座」の写真あり。*12
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*13
所在地 : 岩手県宮古市新川町3-17(1973年)
開館年 : 1921年8月
閉館年 : 1973年夏
跡地はゲームセンター「アミューズメントスペースバギバギ」が入る「MSビル」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1930年の『大日本職業別明細図 第204号』「宮古町」には「宮古館」が描かれている。*14
1961年頃の宮古市にあった「宮古館」の前で取られた記念写真あり。大映作品『幼馴染みというだけさ』の宮古ロケで訪れた田宮二郎や高松英郎が写っている。*15
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*16
開館年 : 1921年8月
閉館年 : 1973年夏
跡地はゲームセンター「アミューズメントスペースバギバギ」が入る「MSビル」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1930年の『大日本職業別明細図 第204号』「宮古町」には「宮古館」が描かれている。*14
1961年頃の宮古市にあった「宮古館」の前で取られた記念写真あり。大映作品『幼馴染みというだけさ』の宮古ロケで訪れた田宮二郎や高松英郎が写っている。*15
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*16
所在地 : 岩手県宮古市大通4-11-1(1982年)
開館年 : 1933年8月18日
閉館年 : 1982年6月30日
跡地は有料駐車場「トキワザ駐車場」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1982年の宮古市にあった「第二常盤座」の写真あり。同年公開の映画『ロングラン』と『刑事物語』の看板が見える。大通りの末広町駐車場の隣にあった。1982年に第二常盤座が閉館し、宮古市の映画館は「国際劇場」のみとなったが、国際劇場も1991年に閉館している。1997年には生協方式の「みやこシネマリーン」が開館したが、シネマリーンも2016年に閉館した。*17
1982年の宮古市大通りにあった「第二常盤座」の写真あり。1933年に開館した際は周辺が田んぼだった。1934年に山田線宮古駅が開業したことで周辺の開発が進み、宮古市の繁華街となった。第二常盤座は1982年に閉館し、2018年現在の跡地はトキワザ駐車場となっている。*18
宮古市には洋画館「宮古国際」と邦画館「宮古第二常盤座」の2館があった。宮古国際では洋画ポルノ(洋ピン)を上映しており、第二常盤座では東映作品『その後の仁義なき戦い』を上映していた。第二常盤座の経営者は中居善助である。中居善助の兄が1933年に開館させた際には周囲に水田が広がっていた。1957年頃の宮古市には7館の映画館があったが、1980年現在の映画は斜陽産業であり、映画人口の減少には歯止めがかからない。第二常盤座の写真あり。*19
時期不明の宮古市にあった「第二常盤座」の写真あり。『ロングラン』と『刑事物語』の看板が見える。第二常盤座は日活専門館だったが、「宮古東映」が閉館した後は東映作品も上映した。*20
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*21
開館年 : 1933年8月18日
閉館年 : 1982年6月30日
跡地は有料駐車場「トキワザ駐車場」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1982年の宮古市にあった「第二常盤座」の写真あり。同年公開の映画『ロングラン』と『刑事物語』の看板が見える。大通りの末広町駐車場の隣にあった。1982年に第二常盤座が閉館し、宮古市の映画館は「国際劇場」のみとなったが、国際劇場も1991年に閉館している。1997年には生協方式の「みやこシネマリーン」が開館したが、シネマリーンも2016年に閉館した。*17
1982年の宮古市大通りにあった「第二常盤座」の写真あり。1933年に開館した際は周辺が田んぼだった。1934年に山田線宮古駅が開業したことで周辺の開発が進み、宮古市の繁華街となった。第二常盤座は1982年に閉館し、2018年現在の跡地はトキワザ駐車場となっている。*18
宮古市には洋画館「宮古国際」と邦画館「宮古第二常盤座」の2館があった。宮古国際では洋画ポルノ(洋ピン)を上映しており、第二常盤座では東映作品『その後の仁義なき戦い』を上映していた。第二常盤座の経営者は中居善助である。中居善助の兄が1933年に開館させた際には周囲に水田が広がっていた。1957年頃の宮古市には7館の映画館があったが、1980年現在の映画は斜陽産業であり、映画人口の減少には歯止めがかからない。第二常盤座の写真あり。*19
時期不明の宮古市にあった「第二常盤座」の写真あり。『ロングラン』と『刑事物語』の看板が見える。第二常盤座は日活専門館だったが、「宮古東映」が閉館した後は東映作品も上映した。*20
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*21
所在地 : 岩手県宮古市大通2-5-10(1990年)
開館年 : 1956年2月5日
閉館年 : 1991年6月21日
跡地は有料駐車場「ザ・パーク岩手宮古大通二丁目」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1956年2月5日、宮古市八幡沖49に「宮古国際映画劇場」が開館した。木造平屋建て。定員356人。洋画・邦画の混映。経営者は宮古第一常盤座を経営する中居善助。支配人は駒井雅三。*22
1955年から1956年にかけて、宮古市には「宮古国際劇場」、「宮古東映劇場」、「リラホール」の3館が相次いで開館し、既存の「第一常盤座」、「宮古館」、「第二常盤座」を合わせて6館となった。宮古市における戦後初の映画館は、1955年12月に洋画専門館として開館した宮古国際劇場であり、大通りから南に入った場所に建てられた。オープニング作品は西部劇『暴力の谷』などである。主導したのは常盤座グループを経営する中居善助であり、設立当初は市内の名士に呼びかけた株式会社として、やがて中居善助による有限会社となった。*23
時期不明の宮古市にあった宮古国際劇場の写真あり。花輪が見える。「秋田郷土料理 きりたんぽ鍋」の看板が見える。1955年12月に開館した。*24
1970年代にはテレビの普及や娯楽の多様化によって映画業界が斜陽化した。1991年6月、宮古市に最後まで残っていた「宮古国際映画劇場」が閉館した。*25
1991年6月21日、宮古市の「宮古国際映画劇場」が36年の歴史に幕を閉じた。最終上映作品はデミ・ムーア主演の『ゴースト ニューヨークの幻』と松坂慶子主演の『グッバイママ』。大正時代に開館した宮古初の活動常設館「常盤座」の流れを汲んでいる。1955年12月に宮古国際映画劇場が開館し、主として洋画を上映していた。戦後の宮古市には「リラホール」、「太洋映画劇場」、「第一常盤座」、「宮古東映劇場」、「宮古館」、「第二常盤座」もあったがすべて閉館しており、宮古国際映画劇場の閉館によって宮古市から映画館がなくなった。*26
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*27
開館年 : 1956年2月5日
閉館年 : 1991年6月21日
跡地は有料駐車場「ザ・パーク岩手宮古大通二丁目」。最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1956年2月5日、宮古市八幡沖49に「宮古国際映画劇場」が開館した。木造平屋建て。定員356人。洋画・邦画の混映。経営者は宮古第一常盤座を経営する中居善助。支配人は駒井雅三。*22
1955年から1956年にかけて、宮古市には「宮古国際劇場」、「宮古東映劇場」、「リラホール」の3館が相次いで開館し、既存の「第一常盤座」、「宮古館」、「第二常盤座」を合わせて6館となった。宮古市における戦後初の映画館は、1955年12月に洋画専門館として開館した宮古国際劇場であり、大通りから南に入った場所に建てられた。オープニング作品は西部劇『暴力の谷』などである。主導したのは常盤座グループを経営する中居善助であり、設立当初は市内の名士に呼びかけた株式会社として、やがて中居善助による有限会社となった。*23
時期不明の宮古市にあった宮古国際劇場の写真あり。花輪が見える。「秋田郷土料理 きりたんぽ鍋」の看板が見える。1955年12月に開館した。*24
1970年代にはテレビの普及や娯楽の多様化によって映画業界が斜陽化した。1991年6月、宮古市に最後まで残っていた「宮古国際映画劇場」が閉館した。*25
1991年6月21日、宮古市の「宮古国際映画劇場」が36年の歴史に幕を閉じた。最終上映作品はデミ・ムーア主演の『ゴースト ニューヨークの幻』と松坂慶子主演の『グッバイママ』。大正時代に開館した宮古初の活動常設館「常盤座」の流れを汲んでいる。1955年12月に宮古国際映画劇場が開館し、主として洋画を上映していた。戦後の宮古市には「リラホール」、「太洋映画劇場」、「第一常盤座」、「宮古東映劇場」、「宮古館」、「第二常盤座」もあったがすべて閉館しており、宮古国際映画劇場の閉館によって宮古市から映画館がなくなった。*26
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*27
所在地 : 岩手県宮古市小山田2-2-1 マリンコープDORA 2階(2016年)
開館年 : 1997年4月26日
閉館年 : 2016年9月末
Wikipedia : みやこシネマリーン
最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1997年4月26日、宮古市小山田のいわて生協ショッピングセンター「マリンコープDORA」内に映画館が開館する。全国初の生協方式による映画館であり、85席と62席のスクリーンを有する。1991年には宮古市最後の映画館が閉館し、映画ファンが常設映画館の開館を目指していた。1口1000円で2口以上を条件に、2000人を目標として組合員を募っている。*28
1997年4月26日、宮古市に生協映画館「シネマリーン」が開館した。全国で初めて市民から出資金を募って運営する方式の映画館。昭和30年代の宮古市には7館の映画館があったが、6年前には最後の1館が閉館し、その後は映画同好会による自主上映会のみとなっていた。*29
1997年4月に宮古市に開館した「みやこ映画生活協同組合」(シネマリーン1・2)が好調である。約3000人が出資した全国初の生協方式による映画館である。組合員は目標の5000人を突破し、1998年1月10日時点で8445人となっている。これまでに1か月平均3500人が入場している。漁業が盛んだったころの宮古市には7館の映画館があったが、1991年6月には最後の1館が閉館した。映画館で映画を見るには盛岡市まで出る必要があった。組合員は久慈市や釜石市などの沿岸部に多く、漁協・会社・自治体などで団体加入していることも多い。*30
1970年代にはテレビの普及や娯楽の多様化によって映画業界が斜陽化した。1991年6月、宮古市に最後まで残っていた「宮古国際映画劇場」が閉館した。1993年には市民有志によってみやこシネマクラブが設立され、宮古市民文化会館で自主上映会を開催した。常設館を求める機運が高まり、みやこ映画生活協同組合が発足。岩間和彦が宮古市役所を退職して支配人となり、1997年4月には生協が運営する「シネマリーン」が開館した。『もののけ姫』や『タイタニック』などがヒットし、2006年度には約1万7000人もの組合員を抱えていたが、2011年の東日本大震災後には観客数が震災前の7割に落ち込んだ。2005年には櫛桁一則が支配人を務めており、仮設住宅での無料上映会も開催している。*31
2016年6月12日、宮古市のみやこ映画生活協同組合で映画館「シネマリーン」の閉館が提案される。1997年にマリンコープDORAの2階に開館し、2スクリーン計147席で幅広いジャンルの作品を上映していた。ピークの2001年度には5万人以上の観客を集めたが、2005年度には3万人を下回り、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災でさらに減少した。東日本大震災以後は毎年度約1000万円の赤字を出し、累積赤字は約4000万円にまで膨らんでいる。*32
2016年9月末をもって、宮古市にある岩手県沿岸部唯一の常設映画館「シネマリーン」が閉館する。みやこ映画生活協同組合における採決の結果、賛成60、反対18で閉館が承認された。1997年に市民が出資する生協方式の映画館として開館した。ピークの2001年度には5万人以上の観客を集めたが、近年は1万7000人から1万8000人台で推移し、累積赤字は約4100万円にも上っていた。*33
2016年9月末をもって、宮古市の映画館「みやこシネマリーン」が閉館する。市民出資で設立された全国唯一の映画生協「みやこ映画生活協同組合」が運営。1997年に開館し、2001年度には観客数が5万人を超えた。2011年3月11日の東日本大震災では宮古市中心部も壊滅的な被害を受けたが、震災後2週間で営業を再開した。しかし震災後は観客数が2万人を割り、毎年約900万円の事業損失を出していた。2013年には全国から約1600万円の寄付を集めてデジタル映写機を購入したが、観客数の回復のめどが立たなかった。みやこ映画生活協同組合自体は存続し、2台のデジタル映写機を用いて宮古市と釜石市で移動上映会を開催する。*34
2016年9月をもって、宮古市にあった岩手県沿岸部唯一の映画館「みやこシネマリーン」が閉館した。同年11月のこのほど、宮古市立図書館で企画展「あの頃、映画は娯楽の王様だった」が開催されている。大正初期に芝居小屋「常盤座」で上映されたのが宮古における映画の始まりである。昭和30年代の旧宮古市には7館の映画館があり、また旧田老町や旧新里村(成田座)にも映画館があった。*35
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*36
「シネマリーン1・2」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*37
開館年 : 1997年4月26日
閉館年 : 2016年9月末
Wikipedia : みやこシネマリーン
最寄駅はJR山田線・三陸鉄道リアス線宮古駅。
1997年4月26日、宮古市小山田のいわて生協ショッピングセンター「マリンコープDORA」内に映画館が開館する。全国初の生協方式による映画館であり、85席と62席のスクリーンを有する。1991年には宮古市最後の映画館が閉館し、映画ファンが常設映画館の開館を目指していた。1口1000円で2口以上を条件に、2000人を目標として組合員を募っている。*28
1997年4月26日、宮古市に生協映画館「シネマリーン」が開館した。全国で初めて市民から出資金を募って運営する方式の映画館。昭和30年代の宮古市には7館の映画館があったが、6年前には最後の1館が閉館し、その後は映画同好会による自主上映会のみとなっていた。*29
1997年4月に宮古市に開館した「みやこ映画生活協同組合」(シネマリーン1・2)が好調である。約3000人が出資した全国初の生協方式による映画館である。組合員は目標の5000人を突破し、1998年1月10日時点で8445人となっている。これまでに1か月平均3500人が入場している。漁業が盛んだったころの宮古市には7館の映画館があったが、1991年6月には最後の1館が閉館した。映画館で映画を見るには盛岡市まで出る必要があった。組合員は久慈市や釜石市などの沿岸部に多く、漁協・会社・自治体などで団体加入していることも多い。*30
1970年代にはテレビの普及や娯楽の多様化によって映画業界が斜陽化した。1991年6月、宮古市に最後まで残っていた「宮古国際映画劇場」が閉館した。1993年には市民有志によってみやこシネマクラブが設立され、宮古市民文化会館で自主上映会を開催した。常設館を求める機運が高まり、みやこ映画生活協同組合が発足。岩間和彦が宮古市役所を退職して支配人となり、1997年4月には生協が運営する「シネマリーン」が開館した。『もののけ姫』や『タイタニック』などがヒットし、2006年度には約1万7000人もの組合員を抱えていたが、2011年の東日本大震災後には観客数が震災前の7割に落ち込んだ。2005年には櫛桁一則が支配人を務めており、仮設住宅での無料上映会も開催している。*31
2016年6月12日、宮古市のみやこ映画生活協同組合で映画館「シネマリーン」の閉館が提案される。1997年にマリンコープDORAの2階に開館し、2スクリーン計147席で幅広いジャンルの作品を上映していた。ピークの2001年度には5万人以上の観客を集めたが、2005年度には3万人を下回り、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災でさらに減少した。東日本大震災以後は毎年度約1000万円の赤字を出し、累積赤字は約4000万円にまで膨らんでいる。*32
2016年9月末をもって、宮古市にある岩手県沿岸部唯一の常設映画館「シネマリーン」が閉館する。みやこ映画生活協同組合における採決の結果、賛成60、反対18で閉館が承認された。1997年に市民が出資する生協方式の映画館として開館した。ピークの2001年度には5万人以上の観客を集めたが、近年は1万7000人から1万8000人台で推移し、累積赤字は約4100万円にも上っていた。*33
2016年9月末をもって、宮古市の映画館「みやこシネマリーン」が閉館する。市民出資で設立された全国唯一の映画生協「みやこ映画生活協同組合」が運営。1997年に開館し、2001年度には観客数が5万人を超えた。2011年3月11日の東日本大震災では宮古市中心部も壊滅的な被害を受けたが、震災後2週間で営業を再開した。しかし震災後は観客数が2万人を割り、毎年約900万円の事業損失を出していた。2013年には全国から約1600万円の寄付を集めてデジタル映写機を購入したが、観客数の回復のめどが立たなかった。みやこ映画生活協同組合自体は存続し、2台のデジタル映写機を用いて宮古市と釜石市で移動上映会を開催する。*34
2016年9月をもって、宮古市にあった岩手県沿岸部唯一の映画館「みやこシネマリーン」が閉館した。同年11月のこのほど、宮古市立図書館で企画展「あの頃、映画は娯楽の王様だった」が開催されている。大正初期に芝居小屋「常盤座」で上映されたのが宮古における映画の始まりである。昭和30年代の旧宮古市には7館の映画館があり、また旧田老町や旧新里村(成田座)にも映画館があった。*35
雑誌『月刊みやこわが町』2009年10月号、372号には「特集 わがまち映画館物語」が掲載されており、「常磐座」、「宮古館」、「第二常磐座」、「宮古国際劇場」、「宮古東映」、「大洋映画劇場」、「リラホール」、「シネマリーン」などの映画館が言及されている。現物は未確認。*36
「シネマリーン1・2」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*37
所在地 : 岩手県宮古市本町2
開館年 : 2016年12月
閉館年 : 営業中
宮古市本町2-2の「シネマ・デ・アエル」。座席数40席。2016年オープン。2016年9月25日をもって「みやこシネマリーン」が閉館し、岩手県沿岸部から映画館がなくなった。有坂民夫はみやこシン・シアタープロジェクトを立ち上げ、登録有形文化財に登録された元酒蔵の建物を用いて月2回程度の上映会「シネマ・デ・アエル」を開催している。*38
開館年 : 2016年12月
閉館年 : 営業中
宮古市本町2-2の「シネマ・デ・アエル」。座席数40席。2016年オープン。2016年9月25日をもって「みやこシネマリーン」が閉館し、岩手県沿岸部から映画館がなくなった。有坂民夫はみやこシン・シアタープロジェクトを立ち上げ、登録有形文化財に登録された元酒蔵の建物を用いて月2回程度の上映会「シネマ・デ・アエル」を開催している。*38

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