閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベースです。管理人「hekikaicinema」のみが編集可能。


関東地方 群馬県

前橋市

前橋オリオン座/前橋オリオン機Ν/前橋オリオン1・2・3・4
所在地 : 群馬県前橋市榎町14(1969年)、群馬県前橋市千代田町4-11-6(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 2003年5月30日
1969年・1980年の映画館名簿では「前橋オリオン座」。1990年の映画館名簿では「前橋オリオン機Ν供廖2館)。2000年の映画館名簿では「前橋オリオン1・2・3・4」(4館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2003年5月30日、前橋市千代田町の映画館「前橋オリオン」が閉館した。伊勢崎市や高崎市のシネコンに観客が流出したのが閉館の理由。1947年に開館し、1958年に現在の建物に建て替えた。前橋市の映画館は「テアトル西友」の1館となった。*1
前橋テアトル西友/シネマ前橋/前橋シネマハウス
所在地 : 群馬県前橋市千代田町5-1-16 アーツ前橋3階
開館年 : 2018年3月17日(前橋シネマハウス)
閉館年 : 営業中
2018年3月17日に前橋シネマハウスが開館する。前橋テアトル西友やシネマ前橋として愛されたスクリーンを前橋市が改修して復活させた。市は中心街の新たなにぎわい拠点にしたい考え。116席。ミニシアター系の作品、公開から半年-1年経ったメジャー作品、往年の名画、アニメなどを上映。1日2作品を2回ずつ、年間約50作品の上映を予定。2006年1月、西武系列の商業施設の閉館とともに前橋テアトル西友も閉館。2009年から2011年頃まではNPO法人がシネマ前橋を運営し、過去の名画を中心に上映。近年はイベント用の貸施設として使用され、映画館としては活用されなかった。市は約400万円を投じてスクリーンや座席を改修し、映写機と音響機器を更新。運営は市まちづくり公社に委託。3月17日から3月30日は『ムーンライト』『ラ・ラ・ランド』『湯を沸かすほどの熱い愛』『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』の4作品を上映。*2

高崎市

高崎ピカデリー劇場/高崎ピカデリー
所在地 : 群馬県高崎市通町26(1980年・1990年)
開館年 : 1957年5月
閉館年 : 1996年7月
1960年の映画館名簿では「高崎ピカデリー」。1980年の映画館名簿では「高崎ピカデリー劇場」。1990年の映画館名簿では「高崎ピカデリー」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1996年7月のこのほど、高崎市通町の映画館「高崎ピカデリー」が閉館した。8月には駐車場となる。かつて高崎市には10館の映画館があったが、これで8館となる。1957年5月に開館し、当初は洋画の上映館だったが、途中で成人映画館に転換した。1994年頃から再び洋画と邦画を上映するようになった。経営はピカデリー興業。*3
高崎劇場/高崎東宝劇場/高崎東宝・高崎スカラ座/高崎東宝・高崎スカラ座・高崎東宝プラザ
所在地 : 群馬県高崎市新紺屋町(1960年)、群馬県高崎市新紺屋町55(1969年)、群馬県高崎市新紺屋町41-2(1980年)、群馬県高崎市新紺屋町41-1(1990年)、群馬県高崎市新紺屋町41-2(2000年)
開館年 : 1938年
閉館年 : 2001年9月30日
1960年・1969年の映画館名簿では「高崎東宝劇場」。1980年の映画館名簿では「高崎東宝・高崎スカラ座」(2館)。1990年・2000年の映画館名簿では「高崎東宝・高崎スカラ座・高崎東宝プラザ」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2001年9月30日、高崎市新紺屋町の中央銀座商店街にある「高崎東宝劇場」「高崎スカラ座」「高崎東宝プラザ」の東宝系映画館3館が閉館した。経営は東宝の子会社である東宝東部興業。1938年には商店主らの共同出資で芝居小屋「高崎劇場」が開館し、やがて東宝が買い取って「高崎東宝劇場」となった。1976年には洋画専門の高崎スカラ座が開館し、1987年には高崎東宝プラザが開館した。2001年6月にはJR高崎駅東口にシネコン「109シネマズ高崎」が開館しており、上映作品が重ならないため影響はさほどなかったが、土地が狭くて駐車場もないことから将来性を不安視されて閉館が決まった。*4
第二大和/高崎オリオン座/高崎オリオン/高崎オリオン機Ν/高崎オリオン1・2・3
所在地 : 群馬県高崎市新紺屋町21(1969年)、群馬県高崎市新紺屋町22(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1943年
閉館年 : 2003年2月28日
1969年の映画館名簿では「高崎オリオン座」。1980年の映画館名簿では「高崎オリオン」。1990年の映画館名簿では「高崎オリオン機Ν供廖2館)。2000年の映画館名簿では「高崎オリオン1・2・3」(3館)。

2003年2月いっぱいで、高崎市新紺屋町の中央銀座商店街にある映画館「高崎オリオン」が閉館する。JR高崎駅西口の中心市街地に唯一残っていた映画館だった。経営は野中興業。1943年に「第二大和」として開館し、1956年に鉄筋コンクリート造3階建て一部4階建てに建て替えた。1997年には2館から3館に増やした。2001年6月には高崎駅東口に「109シネマズ高崎」が開館していた。*5

太田市

太田中央劇場
所在地 : 群馬県太田市太田1丁目(1960年)、群馬県太田市太田274-3(1969年)、群馬県太田市東本町30-6(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1988年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「太田中央劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
太田ゆうき座・太田シネマ
所在地 : 群馬県太田市飯田町1322(1980年)
開館年 : 1947年、1976年(移転)
閉館年 : 1988年12月
1980年の映画館名簿では「太田ゆうき座・太田シネマ」(2館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

1988年12月初頭、太田市の映画館「太田ゆうき座」と「太田シネマ」が揃って閉館した。両館は東武鉄道太田駅南口のビル内にあり、太田ゆうき座が邦画、太田シネマが洋画を上映していた。いずれも140席。1947年に太田駅北口に開館させ、1976年に太田駅南口に移転させた。現在は太田市内でホテルを経営する永島康弘が両館を経営していた。建物はビジネスホテルに生まれ変わる。これによって太田市から一般映画館がなくなり、成人映画館とドライブインシアター1館ずつとなった。*6
大勝館/太田大勝館
所在地 : 群馬県太田市太田1丁目(1960年)、群馬県太田市太田38(1969年)、群馬県太田市東本町14-29(1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1960年の映画館名簿では「大勝館」。1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「太田大勝館」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
太田ラブPIT/Movix太田
所在地 : 群馬県太田市高林1809(1990年)、群馬県太田市高林寿町1809(2000年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「太田ラブPIT」。2000年の映画館名簿では「Movix太田」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
太田コロナシネマWorld/太田コロナワールド
所在地 : 群馬県太田市植木野町宮田694-1(2000年・2010年)
開館年 : 1990年以後2000年以前
閉館年 : 営業中
1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「太田コロナシネマWorld 1-10」(10館)。2010年の映画館名簿では「太田コロナワールド1-10」(10館)。
イオンシネマ太田
所在地 : 群馬県太田市石原町81 イオンモール太田2階(2010年)
開館年 : 2000年以後2010年以前
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「イオンシネマ太田1-10」(10館)。

沼田市

沼田テアトル日活・沼田地下劇場・沼田キネマ/テアトル日活・地下劇場・沼田キネマ/沼田キネマ
所在地 : 群馬県沼田市西倉内町(1960年)、群馬県沼田市西倉内町681(1980年)、群馬県沼田市西倉内町681-1(1990年・2000年)
開館年 : 1930年(沼田キネマ)、1956年12月(テアトル)
閉館年 : 1988年(テアトル)、2005年5月(沼田キネマ)
1960年の映画館名簿では「沼田テアトル日活・沼田地下劇場・沼田キネマ」(3館)。1980年の映画館名簿では「テアトル日活・地下劇場・沼田キネマ」(3館)。1990年・2000年の映画館名簿では「沼田キネマ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1988年には沼田市の映画館「沼田テアトル映画館」が閉館した。1956年12月に開館し、32年間にわたって日活系の映画を上映していた。昭和20-30年代の沼田市には4館の映画館があったが、現在は沼田テアトル映画館と「沼田キネマ映画館」の2館のみとなっていた。両者はいずれも石崎興行の経営。沼田キネマ映画館は1930年開館の映画館であるが、1974年には建物を建て替え、ホテルやテナントが入る映画館ビルを建設した。沼田テアトル映画館の閉館により、沼田キネマ映画館は利根沼田地方で唯一の映画館となる。*7

富岡市

コロクシネマ/キンカ堂富岡シネマ
所在地 : 群馬県太田市富岡1346-6(1990年・2000年)
開館年 : 1985年12月20日
閉館年 : 2004年9月26日
1990年の映画館名簿では「コロクシネマ」。2000年の映画館名簿では「キンカ堂富岡シネマ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。1スクリーン84席のビデオシアター。「キンカ堂富岡店」3階にあった。

関東地方 茨城県

水戸市

京王プラザ・京王グランド
所在地 : 茨城県水戸市
開館年 : 1963年
閉館年 : 1988年10月28日(京王プラザ)、11月25日(京王グランド)
1988年10月28日には水戸市天王町の映画館「京王プラザ」(180席)が、11月25日には同一ビル内の映画館「京王グランド」(485席)が閉館する。1963年に京王映画の直営館として開館したが、京王グループは映画事業からの撤退を決定していた。1989年の正月興行を最後に水戸市南町1丁目の「京王東宝」(294席)の運営からも撤退するが、京王東宝は東宝系の封切館として上映が続けられる予定。*8
テアトル西友1・2
所在地 : 茨城県水戸市
開館年 : 1988年4月
閉館年 :
1988年4月末、水戸駅前の西武百貨店水戸店6階に「テアトル西友1」(84席)と「テアトル西友2」(260席)が開館した。1客20万円以上するフランス製の椅子が売りであり、美術館のような落ち着いた雰囲気を有している。西武系の配給会社であるシネセゾンから配給を受ける。*9

土浦市

土浦劇場
所在地 : 茨城県土浦市桜町3丁目
開館年 : 1928年
閉館年 : 1988年6月頃
1988年のこのほど、土浦市桜町3丁目の映画館「土浦劇場」が閉館した。60年前の1928年に開館し、昭和初期には製糸業の女工らの憩いの場だった。同時期には小野座(現在の土浦日活)、銀映座(現在の土浦東映)、霞浦劇場も開館し、土浦市には4館の映画館があった。海軍の兵隊や予科練生にも親しまれ、戦後の昭和20年代には若者でにぎわった。*10
土浦日活
所在地 : 茨城県土浦市中央2丁目
開館年 : 1939年
閉館年 : 1989年7月頃
1989年のこのほど、土浦市中央2丁目の映画館「土浦日活」が閉館した。現在の土浦市には12館の映画館があり、人口規模を考えると全国屈指の激戦区だった。明治30年代に芝居小屋として開館し、1939年に建て替えて東宝系の映画館となった。1955年には茨城県初の冷暖房完備の映画館となり、洋画上映館に転向して『風と共に去りぬ』などを上映した。東京と同時に公開することができ、「洋画の殿堂」と呼ばれた。1965年には日活の直営となり、1971年には日活ロマンポルノの上映館となった。1988年からは一般作品のロッポニカ路線に切り替えたが、すぐに成人映画の上映館に戻している。*11

古河市

古河光映会館
所在地 : 茨城県古河市
開館年 : 1953年12月
閉館年 : 2006年5月12日
2006年5月12日、古河市東1の映画館「古河光映会館」が閉館する。古河市唯一の映画館だった。1953年12月に製糸工場を改修した木造平屋建ての建物で開館し、1956年には2号館が開館した。1960年から1965年の古河市には5館の映画館があったといい、製糸工場で働く女性や他県からも観客が訪れたという。1973年には現在の4階建てビルを建設したが、栃木県小山市などにシネコンが進出し、2006年1月には埼玉県幸手市にもシネコンが開館して観客を奪われたため、現在は1日平均20-30人の観客数だった。最終上映作品は『タイフーン』『クレヨンしんちゃんの踊れ!アミーゴ』『名探偵コナン探偵たちの鎮魂歌』など5本。*12

那珂市

あまや座
所在地 : 茨城県那珂市瓜連1243
開館年 : 2017年10月14日
閉館年 : 営業中
那珂市を拠点として茨城県北地域で地域活性化に取り組んでいるまちづくり会社「カスミガプロジェクト」は、那珂市北部の瓜連地区(旧那珂郡瓜連町)にあるスーパーの空き店舗を改装し、映画館「瓜連あまや座」を開館させる予定である。映画の上映以外には、音楽ライブや寄席なども計画している。2015年秋に閉店したスーパー「あまや」の店内に防音壁を設置し、150インチのスクリーンを据え付け、映画館で使用されるような可動式の椅子を並べる。単館系の作品を上映する予定である。館内の一角にはミニスーパーを開店させ、生鮮食品を販売する計画もある。那珂市は2005年に那珂郡那珂町と那珂郡瓜連町が合併して誕生した市。瓜連地区は那珂市第2の商業地だが、近年には個人商店の廃業が相次ぎ、空き店舗が目立つようになった。2017年内の本格オープンを目指しており、2月18日にはプレイベントとして「かんとりーろーど」を上映し、2月19日には水戸市出身のシンガーソングライターである磯山純のライブを行う。*13

2017年10月14日、那珂市瓜連に映画館「あまや座」が開館する。JR水郡線瓜連から徒歩5分の場所であり、2015年に閉店したスーパー「あまや」の敷地内にある。座席数は31席、パイプ椅子を含めても収容人数は最大約40人である。運営は大内靖(31)が代表を務める「アウチキネマ」。地域活性化を担う「カスミガプロジェクト」が空き店舗の活用のために映画館を提案し、水戸市で映像製作会社に勤務する大内が開館にこぎつけた。オープニング作品は『八重子のハミング』など4作品であり、初日には佐々部清監督と主演の升毅が来館する。*14

2017年10月、那珂市のJR瓜連駅近くに茨城県北唯一のミニシアターである「あまや座」が開館した。2015年夏ころに空き店舗の活用を検討する社団法人「カミスガプロジェクト」が映画館の開館を目指すプロジェクトを開始させ、クラウドファウンディングなどで資金を調達。椅子は東京都の閉館した映画館から譲り受けた。*15

関東地方 栃木県

宇都宮市

電気館/スカラ座
所在地 : 栃木県宇都宮市馬場通り3
開館年 : 1905年
閉館年 : 1995年1月16日
1995年1月16日をもって、宇都宮市馬場通り3の映画館「スカラ座」が閉館する。同館のある相生地区が再開発事業に着手し、跡地にはファッションビルのパルコが出店する予定。座席数は470席。1905年に「電気館」として開館し、戦前は主に日活作品を、戦後は洋画や大映作品を上映した。1970年にはスカラ座に改称し、東映作品を上映した。最盛期には1日約300人が入館したが、現在は10分の1程度である。経営する斎藤商事は宇都宮市で6館を経営していたこともあったが、1970年からはスカラ座のみだった。1月16日までは『美少女戦士セーラームーン』などが上映される。*16
テアトル宇都宮
所在地 : 栃木県宇都宮市曲師町
開館年 : 1981年
閉館年 : 2001年2月9日
2001年(平成13年)1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年(平成8年)には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*17
ヒカリ座/宇都宮東映ヒカリ座/宇都宮ヒカリ座/宇都宮ヒカリ座1・2・3
所在地 : 栃木県宇都宮市一条町(1960年)、栃木県宇都宮市一条町1155(1969年)、栃木県宇都宮市江野町7-13(1980年・1990年)、
開館年 : 1953年以後1960年以前
閉館年 : 営業中
1960年の映画館名簿では「宇都宮ヒカリ座」。1969年の映画館名簿では「ヒカリ座」。1980年の映画館名簿では「宇都宮東映ヒカリ座」。1990年の映画館名簿では「宇都宮ヒカリ座」。2000年の映画館名簿では「宇都宮ヒカリ座1・2・3」(3館)。

1990年には「松竹ミヤマス座」、1995年に「スカラ座」、1997年に「メトロ座」が閉館した。2003年と2004年には市内に相次いでシネコンが進出し、2007年11月には「宇都宮第一東宝」が休館、2008年1月25日には「宇都宮テアトル」が休館した。残る封切館は「宇都宮ヒカリ座」のみとなる。*18

足利市

足利東映劇場・足利東映プラザ/足利東映劇場・足利プラザ
所在地 : 栃木県足利市井草町2408(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1977年
閉館年 : 1999年
1980年の映画館名簿では「足利東映劇場・足利東映プラザ」(2館)。1990年・2000年の映画館名簿では「足利東映劇場・足利プラザ」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。2018年時点で映画館時代の建物は現存。

2018年2月に公開された綾瀬はるか主演の映画『今夜、ロマンス劇場で』は、足利市がロケ地となり、足利東映劇場は題名にもなっている「ロマンス劇場」のロケ地となった。2019年2月には第4回あしかが映像まつりの一環で、足利東映劇場跡地で『今夜、ロマンス劇場で』の上映会が開催される。8メートル×4メートルのスクリーンがそのまま残っており、約20年前に閉館した映画館が期間限定で復活する。*19
中央劇場/足利中劇・中劇シネマ2/足利中劇・足利シネマ2
所在地 : 栃木県足利市通3丁目(1960年)、栃木県足利市通り3-3535(1980年)、栃木県足利市通り2-1-1(1990年・2000年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 2001年1月31日
1960年の映画館名簿では「中央劇場」。1980年・1990年の映画館名簿では「足利中劇・中劇シネマ2」(2館)。2000年の映画館名簿では「足利中劇・足利シネマ2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2001年1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場」が閉館する。経営は富士映画興業(山田智枝子社長)。最盛期の足利市には約10館の映画館があったが、すべて姿を消すこととなる。220席のスクリーン1と140席のスクリーン2に分かれており、洋画の専門館として愛された。1960年頃に開館し、1991年には富士映画興業が「スカラ座」とともに経営を引き継いだ。1994年には通り5丁目の「東宝アサヒ座」が閉館し、1997年にはスカラ座も閉館した。2000年4月には井草町の「東映プラザ劇場」が閉館し、中央劇場が足利市唯一の映画館になっていた。*20

2001年(平成13年)1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年(平成8年)には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*21
シネマックス足利
所在地 : 栃木県足利市大月町
開館年 : 2007年12月
閉館年 : 2009年2月27日
2009年2月27日をもって、足利市大月町のあしかがハーヴェストプレースにある映画館「シネマックス足利」が閉館する。8スクリーン。経営は千葉市の千葉興行。2007年12月に開館したばかりだが、観客数は想定の半分程度であり、わずか1年3カ月で撤退する。2002年頃には足利市から映画館がなくなっており、商業活性化への貢献が期待されていた。*22

鹿沼市

モナミドライブインシアター
所在地 : 栃木県鹿沼市奈佐原371-2(1990年)
開館年 : 1989年春
閉館年 : 1998年9月4日
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「モナミドライブインシアター」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1998年9月4日をもって、鹿沼市奈佐原町の「モナミドライブインシアター」が閉館する。夜間しか上映できないことに加えて、雷や霧などで上映中断することが相次いでいた。1989年春に開館し、開館時から栃木県唯一のドライブインシアターだった。これまでに158本の作品を上映した。1人乗り1台1600円、2人以上の場合は一律で3200円だった。最終上映作品は『レインメーカー』。
*23

関東地方 千葉県

千葉市

千葉にっかつ劇場/ロッポニカ千葉/シネロマン千葉
所在地 : 千葉県千葉市中央区中央1丁目1-12
開館年 : 1979年6月3日
閉館年 : 2006年6月29日
2006年6月29日をもって、千葉市中央区中央1丁目の成人映画館「シネロマン千葉」が閉館する。千葉市唯一の成人映画館だった。1979年6月3日に日活直営の千葉にっかつ劇場として開館。千葉にっかつ、ロッポニカ千葉と改称し、1990年にシネロマン千葉となった。最盛期の1982年から1983年頃には、週末に1日約400人、平日に1日約200人が来館した。現在は週末でも1日100人に届かない。アダルトビデオの普及で成人映画の需要が減ったといい、漫画喫茶やカラオケ店の普及でオールナイトの客が減ったという。映写室が雨漏りするなど老朽化が激しかった。*24
千葉劇場
所在地 : 千葉県千葉市吾妻町2-11(1969年)、千葉県千葉市中央3-8-8(1980年・1990年)、千葉県千葉市中央区中央3-8-8(2000年・2010年)
開館年 : 1951年、1994年2月17日(建て替え)
閉館年 : 営業中
1953年・1969年・1980年・1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「千葉劇場」。

1951年に千葉市に開館した洋画専門館の「千葉劇場」は、1992年8月末に建物の老朽化と観客の減少によって休館した。1994年2月17日、千葉市中央区中央の跡地に建設されたビルの2階に130席の映画館として復活した。*25

千葉市中央区中央3丁目にある映画館「千葉劇場」は名画座のミニシアターである。1919年に千葉市蓮池で開館した「千葉演芸館」が前身。戦後にはすぐに映画館を再建し、400席を有する映画館だった。1992年に一時的に閉館し、1994年2月に貸しビルとして建て替え、110席の映画館となった。経営する千葉興行によると、観客は中高年が多いという。アート色の強い独立系プロの作品を上映しており、固定客が増えて名画座という立ち位置も定着した。千葉興行は1997年にシネコン「シネマックス千葉」を開館させたが、2011年に閉館させている。現在は市原氏のちはら台や印西市の千葉ニュータウンなどでシネコンを経営している。*26

船橋市

津田沼テアトルシネパークレッドスポット・グリーンスポット
所在地 : 千葉県船橋市前原西2-18-1(2000年)、千葉県船橋市前原西2-18-1 津田沼パルコB館6階(2010年)
開館年 : 1985年11月
閉館年 : 2010年2月28日
2000年・2010年の映画館名簿では「津田沼テアトルシネパークレッドスポット・グリーンスポット」(2館)。

2010年2月28日をもって、船橋市の津田沼パルコB館6階にある映画館「津田沼テアトルシネパーク」が閉館する。27日と28日には『ニュー・シネマ・パラダイス』を上映する。これによって繁華街の津田沼から映画館がなくなる。1985年11月に開館し、170席と145席の2スクリーンを有する。構造上の制約によって観客席の後ろから映写する方法をとれず、スクリーンの後ろから映写して鏡に反射させる珍しい方法をとっている。1994年12月からはパルコに変わって東京テアトルが運営していた。*27

銚子市

銚子セントラル劇場/銚子セントラル
所在地 : 千葉県銚子市末広町(1960年)、千葉県銚子市末広町4-281(1980年)、千葉県銚子市末広町5-12(1990年・2000年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 2007年2月2日
1960年の映画館名簿では「銚子中央映画劇場」。1969年の映画館名簿では「銚子セントラル劇場」。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「銚子セントラル」。

2007年2月2日、銚子市末広町の映画館「銚子セントラル劇場」が閉館する。かつて銚子市には8館の映画館があったが、銚子セントラル劇場の閉館でシネコン以外の単独映画館はすべて消えることとなる。2006年2月には「銚子マリン1・2」と「銚子映劇」も閉館していた。1958年には洋画専門館「中劇」が開館。その後中劇は銚子セントラル劇場に改称し、洋画・邦画問わず上映するようになった。銚子セントラル劇場では『タイタニック』と『千と千尋の神隠し』が大ヒットとなった。最終日まで『大奥』を上映している。閉館後の2月4日にはファン感謝デーが開催され、最後の無料上映会が行われる。*28

関東地方 埼玉県

川越市

鶴川座/川越鶴川座
所在地 : 埼玉県川越市連雀町(1960年)
開館年 : 1898年
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1894年には芝居小屋「川越座」が開館し、6年後に「鶴川座」に改称した。太平洋戦争中には東京の劇場が空襲で多数焼失したことから、鶴川座でも人気芸人や歌手の興行が行われた。戦後には美空ひばりの興行も行われた。その後は映画館に転換し、映画館が閉館すると、1998年には書画や骨董などの卸売店となったが、2004年夏にはこの卸売店も閉店した。現在でも、回り舞台・奈落・映写室などの設備が残されている。会社員の酒井道啓(32)は築100年以上の古い建物に興味を持ち、私財を投じて改修。2005年5月にはライブハウス「TURUKAWA 創奏」がオープンする。格天井や映写室/映写機などは残しており、映画ポスターや看板などを展示する予定である。*29

前身の芝居小屋が1893年(明治26年)の川越大火で焼失すると、1898年(明治31年)に鶴川座が建設された。映画上映や芸能人の興行などに利用されたが、約20年前に閉館していた。雑貨店やライブハウスとして使われた時期もあった。首都圏では唯一とされる明治期の回り舞台が遺構として残っている。2014年から地元商店主らによる保存検討がなされてきたが、耐震・耐火工事などで費用がかかることなどから、2018年に保存を断念した。*30

2019年7月31日、埼玉県川越市連雀町にあるかつての映画館「鶴川座」の取り壊しが始まった。跡地には外国人向けホテルが建設される予定。1898年(明治31年)の建築であり、壁板に直接しっくいを塗った疑似土蔵造である。開館当時は花道や回り舞台があり、歌舞伎などの興行が行われたが、1922年(大正11年)頃に外壁をタイル張りとし、花道をなくした洋風劇場に改築された。戦後には外壁がトタン張りとなり、映画館に転換された。2006年から閉鎖されていた。*31
ホームラン劇場/川越東映ホームラン/川越東映ホームラン劇場/東映ホームラン劇場/川越シアターホームラン1号館・2号館・3号館
所在地 : 埼玉県川越市松江町(1960年)、埼玉県川越市松江町1-17-1(1980年)、埼玉県川越市松江町1-17-7(1990年・2000年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 2006年2月19日
1953年の映画館名簿では「ホームラン劇場」。1960年の映画館名簿では「川越東映ホームラン」。1969年の映画館名簿では「川越東映ホームラン劇場」。1980年の映画館名簿では「東映ホームラン劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「川越シアターホームラン1号館・2号館・3号館」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2006年2月19日、川越市松江町1丁目の映画館「シアターホームラン」が閉館する。運営は桜井興行(桜井政幸社長)。1950年、桜井政幸の父である桜井角太郎が「ホームラン劇場」として開館させた。名称はプロ野球人気にあやかったという。1960年代の川越市には7館の映画館があり、ホームラン劇場の周辺には4館があった。18年前には3スクリーン計400席のビルに建て替え、邦画2スクリーンと洋画1スクリーンで営業していた。しかし、周辺地域にもシネコンが進出し始めると、2004年6月に鶴ヶ島市に開館したシネコンが決定打となり、翌月には観客数が半減した。*32

川口市

川口東映劇場
所在地 : 埼玉県川口市川口6-3-28(1980年・1990年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1996年4月30日
1996年4月30日、川口市川口6丁目の映画館「川口東映劇場」が閉館する。施設の老朽化が理由。最盛期の川口市には8館の映画館があったが、成人映画館1館のみとなる。1955年に開館し、火災で焼失後には同じ場所に再建した。木造モルタル、224人収容。鋳物工場の従業員らでにぎわった。*33

1996年4月30日をもって、川口市川口6の映画館「川口東映劇場」が閉館する。施設の老朽化と経営不振が理由。1955年に二番館として開館して東映作品を上映していたが、間もなく火災で焼失したため、1957年に封切館として再開館した。1963年頃の川口市には8館の映画館があったが、初めて冷暖房を完備したのは川口東映劇場だった。5月には建物の取り壊しが始まり、跡地はとりあえず駐車場となる予定。*34

秩父市

秩父座/松竹秩父国際劇場
所在地 : 埼玉県秩父市宮側町18−7
開館年 : 1902年
閉館年 : 1983年
2013年5月、松竹秩父国際劇場の建物を改修したレストランが営業を開始した。建物は明治30年代に芝居小屋として建てられ、昭和に入って映画館となった。外観は東京・浅草の国際劇場を模している。合掌造りの梁など明治期の木造建築の一部を残し、外観は映画館を再現した。松竹秩父国際劇場は約30年前に閉館した。*35

1902年に芝居小屋の秩父座として開館。珍しい大型木造合掌造りの建物である。1942年に映画館に転換し、1950年に松竹秩父国際劇場となった。秩父市最後の映画館だったが、1983年に閉館した。以後は倉庫として使用されていたが、所有者一家の上石有規がイタリアンレストランの開業を計画した。地元住民らも愛着ある建物を残したいと考え、秩父市商店連盟事業協同組合も協力している。地域商店街活性化法に基づく勲位御補助金を受けて改修工事を行う。外観は浅草の国際劇場を模したとされる。*36

草加市

草加シネマサンシャイン1・2・3・4
所在地 : 埼玉県草加市氷川町1129(2000年)
開館年 : 1993年
閉館年 : 2008年8月30日
1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「草加シネマサンシャイン1・2・3・4」(4館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2008年8月末をもって、草加市の映画館「草加シネマサンシャイン」が閉館する。1993年、東武伊勢崎線草加駅西口のビル3階に開館し、135席から60席までの4スクリーンを有する。ビルの賃貸契約の満了や、観客数の減少が閉館の理由である。近年の草加市周辺では、三郷市・川口市・さいたま市などにシネコンが開館しており、2008年秋には越谷市にもシネコンが開館する予定である。*37
東武松原シネマ1・2
所在地 : 埼玉県草加市栄町3-5-18(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1975年
閉館年 : 2008年9月30日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「東武松原シネマ1・2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

2008年9月末をもって、草加市の映画館「東武松原シネマ」が閉館する。1975年、東武伊勢崎線松原団地駅東口のビル2階に開館し、184席と154席の2スクリーンを有する。川越市の川越スカラ座に次いで、埼玉県で2番目に古い映画館施設だという。草加市周辺に相次いでシネコンが進出したことで、集客が厳しくなって閉館を決定した。1か月前の8月末には「草加シネマサンシャイン」も閉館予定であり、草加市から映画館が消えることとなる。*38

幸手市

幸手劇場
所在地 : 埼玉県北葛飾郡幸手町中1-13-15(1980年)、埼玉県幸手市中1-13-15(1990年・2000年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 2005年9月25日
1997年12月、幸手市の映画館「幸手劇場」が開館50周年を迎える。幸手市の人口は5万8000人であり、映画館がある町としては埼玉県最小。木造300席。1947年には「幸手劇場」が開館したが、開館3か月前には建設中の劇場がカスリーン台風で水浸しとなっている。1952年には現在の経営者の父親が経営を引き継ぎ、1977年頃に改築を行っている。1997年10月1日の幸手市制施行記念日には、幸手市から地域文化の振興に貢献したとして表彰された。*39

関東地方 東京都

新宿区

ギンレイホール
不動産業や出版業をしていた加藤忠は、1996年に飯田橋のギンレイホールの社長に就任した。閉館した全国野映画館からフィルム映写機を引き取り、2012年頃には千葉県成田市に資料館の成田映画センターを開設した。成田映画センターには映写機のほかに、手書き看板やポスターなども保管されている。*40

墨田区

墨田区の戦前の映画館
墨田区域(戦前の本所区と向島区)最古の映画館は、業平橋1丁目にあった業平座であるが、太平洋戦争の戦災で焼失したまま復興しなかった。緑町1丁目には相生館(両国日活館)が、石原町3丁目には第八福宝館(後の本所日活館)があった。第八福宝館は日活の前身の映画会社の福宝堂が設置した映画館である。福宝堂は東京市に1区1館の映画館を設置することを目標とし、1910年(明治43年)の四谷第四福宝館など8館の福宝館を開館させている。1936年(昭和11年)の墨田区域には、寺島町に向島劇場・向島キネマ・向島館・南竜館・寺島電気館・玉ノ井館などがあった。吾嬬町には吾嬬館・橘館・請地館・東成館・宮戸館があった。隅田町には映画館がなかった。*41
墨田区の戦後の映画館
1958年(昭和33年)1月時点の墨田区には29館の映画館があった。*42
江東劇場----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
錦糸町映画館------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東文化劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
めばえ座----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東東映映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
本所映画館--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
リッツ劇場--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東地下劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東名画座--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東花月映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
両国日活映画劇場--緑町1丁目12番地
向島金美----------寺島町1丁目3番地
墨田文化映画館----寺島町2丁目98番地
墨田オデオン------寺島町4丁目20番地
玉ノ井東映--------寺島町7丁目78番地
玉ノ井新劇場------寺島町7丁目40番地
請地シネマ--------吾嬬町西1丁目37番地
第一南竜館--------吾嬬町西7丁目1番地
吾嬬富士館--------吾嬬町西8丁目30番地
橘新東宝----------吾嬬町西4丁目62番地
昌和シネマ--------吾嬬町西4丁目12番地
国際映画劇場------吾嬬町東5丁目7番地
菊川シネマ--------菊川1丁目9番地
石原ミリオン座----石原町3丁目9番地
墨田大成館--------寺島町6丁目29番地
朝日座------------寺島町4丁目145番地
向島館------------寺島町3丁目46番地
押上シネマ--------業平橋4丁目6番地
両国劇場----------東両国2丁目19番地
江東楽天地
1937年(昭和12年)2月27日には、工業地帯である東京市江東地域の歓楽地として、錦糸町駅前に江東楽天地が設立された。同年11月には本所映画館・江東劇場の3館の映画館が開館し、1938年(昭和13年)には遊園地の江東楽天地も開業した。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では、本所映画館以外の施設が壊滅的な被害を受けた。1946年(昭和21年)には江東劇場が営業を再開し、その後遊園地も営業を再開した。1948年(昭和23年)には江東劇場が館内の改装を行い、同年4月には関西の宝塚歌劇団が初めて江東地域で公演を行った。1956年に行われた調査によると、江東楽天地の観客の在住地は江東区が33.0%、墨田区が21.5%、江戸川区が16.0%、千葉県が10.4%、その他が19.1%であり、江東地域が80%を占めていた。*43
業平座
所在地 : 東京都本所区業平町1丁目
開館年 :
閉館年 : 1945年
昭和10年代の本所区業平町1丁目にあった業平座の写真あり。現在の墨田区域でもっとも古い映画館である。当時の東京市東部の映画の流行地は浅草六区であるが、本所にも映画館が多かった。業平座は東京大空襲で焼失した。2007年(平成19年)現在の業平座跡地に建っている民家には映写室の一部が残っている。*44
相生館/両国日活映画劇場
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「両国日活映画劇場」。

1963年頃の「両国日活」の写真あり。両国日活になる前は相生館と呼ばれていた。かつてはこの場所に本所区役所があった。*45
墨田文化映画館
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
墨田文映とも。

曳舟川通りには洋画系の墨田文化映画館があった。2007年現在の跡地には東京ホンダ向島が建っている。*46
吾嬬国際映画劇場/吾嬬国際劇場
所在地 : 東京都墨田区立花5丁目
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
1969年(昭和44年)の吾嬬国際劇場の写真あり。1987年(昭和62年)現在の同一地点の写真もあり。小村井交差点近く、「吉野家立花店」の東側。*47
江東劇場
所在地 : 東京都墨田区江東橋4-27-14(1990年)
開館年 : 1937年
閉館年 : 1990年以後
1953年(昭和28年)のゴールデンウィークには美空ひばりの公演が開催され、江東劇場は開館以来最高の収益を上げた。1953年の美空ひばり公演の写真あり。*48

世田谷区

三軒茶屋中央劇場
所在地 : 東京都世田谷区三軒茶屋1-14-5
開館年 : 1952年
閉館年 : 2013年2月14日
港町キネマ通り : 三軒茶屋中央劇場
2013年2月14日、東京都世田谷区の三軒茶屋駅前にあった三軒茶屋中央劇場が閉館した。1952年に松竹系封切館として開館。男女のかっぱの看板があるため「かっぱの映画館」としても知られた。一時期は成人映画館に転換したが、1992年に姉妹館の三軒茶屋映画劇場が閉館したことから、名作を2本立て1300円で上映する名画座となった。閉館までフィルム上映のみだった。閉館後も元従業員の映写技師らは存続を求めて署名運動も行っている。*49

八王子市

八王子日活映画劇場/八王子日活劇場/八王子にっかつ
所在地 : 東京都八王子市元横山町(1960年)、東京都八王子市元横山町2-15-3(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年の映画館名簿では「八王子日活映画劇場」。1969年の映画館名簿では「八王子日活劇場」。1980年の映画館名簿では「八王子にっかつ」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
八王子東映/八王子東映劇場/八王子東映・八王子松竹
所在地 : 東京都八王子市元横山町2-15-14(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年の映画館名簿では「八王子東映」。1969年の映画館名簿では「八王子東映劇場」。1980年の映画館名簿では「八王子東映・八王子松竹」(2館)。21990年の映画館名簿には掲載されていない。
八王子東宝映画劇場/八王子東宝
所在地 : 東京都八王子市本町19-6(1980年・1990年・2000年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1960年の映画館名簿では「八王子東宝映画劇場」。1969年・1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「八王子東宝」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
ニュー八王子/ニュー八王子・あんぐら劇場/ニュー八王子映画劇場・あんぐら劇場/ニュー八王子映画劇場/ニュー八王子シネマ1・2/ニュー八王子シネマ1・2・3・4
所在地 : 東京都八王子市横山町13-4(2000年・2010年)
開館年 : 1947年頃
閉館年 : 2017年1月31日
Wikipedia : ニュー八王子シネマ
1960年の映画館名簿では「ニュー八王子」。1969年の映画館名簿では「ニュー八王子・あんぐら劇場」(2館)。1980年の映画館名簿では「ニュー八王子映画劇場・あんぐら劇場」(2館)。1990年の映画館名簿では「ニュー八王子映画劇場」。2000年の映画館名簿では「ニュー八王子シネマ1・2」(2館)。2010年の映画館名簿では「ニュー八王子シネマ1・2・3・4」(4館)。

1947年頃の文献から「ニュー八王子」の名前が登場する。1950年代の八王子駅周辺には6館の映画館があった。1964年に現在のニュー八王子ビルに移り、4階で1スクリーンだった。1992年に現在の運営会社が引き継ぎ、3階から5階の4スクリーンに増やした。ビルの建て替えに伴い、2017年1月31日で閉館する。*50

2017年1月いっぱいで八王子市の映画館「ニュー八王子シネマ」が閉館する。1月14日から1月30日まで「ありがとう! 上映」が行われる。JR八王子駅北口から徒歩約10分、ニュー八王子ビルの3階から5階にあり、4スクリーン計約430席を有する。1947年に別の場所で開館し、1964年に現在のビルに移転した。最盛期の八王子市には6館の映画館があったが、郊外にシネコンが進出したことで客足が減り、相次いで閉館していた。ニュー八王子シネマでは大作映画だけではなく独立系作品の上映にも力を入れていたが、最盛期に10万人を超えていた年間観客数は7万人にまで減少した。築50年を超えたビルの老朽化もあって閉館を決定した。*51

2017年1月末をもって、八王子市横山町の映画館「ニュー八王子シネマ」が閉館する。八王子市の中心市街地唯一の映画館だった。入居するビルが老朽化で建て替えられるため。1947年頃に開館した「ニュー八王子」がルーツであり、1964年に現在のビルに移転した。1956年頃の八王子市には少なくとも6館の映画館があったとされる。1992年以降はビルの所有会社が映画館の運営も行っており、1990年代には年間数十万人の観客数があったが、現在は7万人ほどに減少した。4スクリーン計431席を有している。*52
ヴァージンシネマズ南大沢/TOHOシネマズ南大沢
所在地 : 東京都八王子市南大沢2-3(2010年)
開館年 : 2001年12月22日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ南大沢1・2・3・4・5・6・7・8プレミアスクリーン」(9館)。

2001年12月22日、多摩ニュータウンに商業娯楽施設「ファブ南大沢」が開業した。9スクリーン約2000席のシネコンが核となる。*53

2001年12月、八王子市南大沢に多摩地方最大級のシネコン「ヴァージンシネマズ南大沢」が開館した。名古屋や大阪に次いで6サイト目のヴァージンシネマズである。ニュータウンに合わせて白色を基調とするデザインであり、9スクリーン計約2000席を有する。5km圏内に約35万人が住んでいるが、京王相模原線調布駅=橋本駅間にはシネコンがなかった。シネコンは郊外型であることが多いが、京王相模原線南大沢駅前にある本サイトは駅前型を標榜している。9スクリーンのうち1スクリーンはプレミアスクリーンであり、一般スクリーンより鑑賞料金が600円高いものの、座席は通常シートの1.5倍であり、さらにリクライニングシートである。グループ企業であるヴァージンアトランティック航空のサービスを取り入れており、インターネット上で座席予約が可能である。*54

府中市

府中東映劇場/府中東映
所在地 : 東京都府中市老松町(1960年)、東京都府中市府中9096(1966年)、東京都府中市宮町1-20-5(1966年・1969年・1973年・1978年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
1960年の映画館名簿では「府中東映」。1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「府中東映劇場」。1973年・1978年の映画館名簿では「府中東映」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
府中国際劇場
所在地 : 東京都府中市本町(1960年)、東京都府中市宮西町1-16-2(1969年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「府中国際劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
新映座/府中新映座
所在地 : 東京都府中市本町(1960年)、東京都府中市宮西町5-25(1969年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「府中新映座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
TOHOシネマズ府中
所在地 : 東京都府中市宮町1-50 くるる5階(2010年)
開館年 : 2005年3月17日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ府中1-8 プレミアスクリーン」(9館)。

2005年3月17日、府中市宮町にシネコン「TOHOシネマズ府中」が開館した。9スクリーン。開業日の3月17日には『ローレライ』の舞台挨拶が行われ、主演の役所広司や樋口真嗣監督らが挨拶した。1960年代の府中市には市役所前などに3館の映画館があったが、1970年代後半までに相次いで閉館し、これまで20年以上も常設映画館が存在しなかった。なお、隣接する多摩市の多摩センター駅前には、11月にシネコン「ワーナー・マイカル・シネマズ多摩センター」が開館する予定であり、周辺地域のスクリーン数が一気に増加する。*55

調布市

調布銀映
所在地 : 東京都調布市小島町(1960年)、東京都調布市小島町1-34-1(閉館時)
開館年 : 1955年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「調布銀映」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「エクレール調布」。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

調布市にあった2館の映画館の片方が「調布銀映」である。1955年(昭和30年)以後に開館し、1963年(昭和38年)以前に閉館した。調布銀座商店街の旧甲州街道側の入口角にあり、現在の映画館跡地にはビルが建っている。当時は映画館とパチンコ店が娯楽の中心であり、集団就職で東京重機工業に就職した若者らは、日曜日に調布銀映映画を観てパチンコで遊んだという。*56
調布劇場/調布映画劇場
所在地 : 東京都調布市調布下布田(1960年)、東京都調布市下布田町999(1969年)、東京都調布市布田2-21(閉館時)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1970年頃
1960年・1969年の映画館名簿では「調布映画劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は1972年竣工のマンション「シュロス調布」。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

調布市にあった2館の映画館の片方が「調布映画劇場」である。前身は大正期に開館した劇場「調布劇場」である。旧甲州街道の布田駅前交差点から調布駅に向かって約200mの場所にあった。調布映画劇場は1970年(昭和45年)に閉館したとされ、跡地には1972年(昭和47年)竣工のマンション「調布シュロス」が建っている。*57
パルコ調布キネマ
所在地 : 東京都調布市小島町1-38-1 調布パルコ6階(1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1989年5月
閉館年 : 2011年9月11日
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「パルコ調布キネマ」。「調布パルコ」は現在も営業中。最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

2011年9月11日、調布市の映画館「パルコ調布キネマ」が閉館する。かつて角川大映撮影所があった調布市は「映画のまち」を標榜しているが、市内唯一の映画館が姿を消すこととなる。1989年5月、調布パルコの開店に合わせて6階でパルコ調布キネマが開館。1993年10月には東京テアトルが運営を引き継いだ。2003年から2004年の最盛期には年間7万人以上を集客したが、近年は約4万人に落ち込んでいた。*58
イオンシネマシアタス調布
所在地 : 東京都調布市小島町2丁目61−1 トリエ京王調布C館
開館年 : 2017年9月29日
閉館年 : 営業中
最寄駅は京王電鉄京王線・京王相模原線調布駅。

2017年度には京王調布駅の駅前広場の西側に建設する商業施設に、イオンシネマが開館する予定。11スクリーンで計約2100席。うち一つは500席超の大型スクリーンとなる。2011年9月に調布駅前のパルコ調布キネマが閉館してから、「映画のまち調布」をPRしているにもかかわらず映画館がなかった。*59

立川市

立川市の映画館
1950年代の立川市には10館の映画館があり、立川市は「映画の街」と呼ばれた。JR立川駅の北側には「シネマ通り」があり、高松町3丁目の駐車場の隅には「立川シネマ発祥の地」がある。1925年に開館した立川市初の映画館「立川キネマ」(後の立川シネマ)の跡地である。立川飛行場が開設されると、兵士や従業員の娯楽の場として立川シネマが開館した。戦後には立川飛行場がアメリカ軍に接収され、東映、松竹、日活などの映画館も開館した。東映は立川駅南側にあるWINS立川の場所に、日活はスーパーいなげやの場所にあった。1969年には立川シネマが閉館し、また土地区画整理事業で南口の映画館が姿を消すと、1980年代半ばには松竹、中央、セントラルの「北口3館」だけになった。現在の立川シネマシティ・シネマワン付近である。1992年には北口の再開発のために揃って閉館し、以後の2年間は立川市から映画館がなくなった。1994年には6スクリーンの立川シネマシティが開館し、2004年には立川シネマシティ・シネマツーが開館した。シネマツーの開館時には音響設備だけで一般的な映画館の10倍以上の投資を行い、音楽ライブ用のスピーカーを導入したほか、著名な音響家が臨場感あふれる音響システムを構築した。2009年にはマイケル・ジャクソンのライブ映画『This is It』が大ヒットし、さらに初めてマサラ上映(ライブスタイル上映)を行ったことで、SNSなどで良質な音響が知られるようになった。2014年の『Godzilla ゴジラ』の上映の際には重低音を再現できるスピーカーを導入し、現在の音響システムが完成した。今日では全国に会員が広がっている。*60
立川日活映画劇場/立川日活映劇
所在地 : 東京都立川市柴崎町2-12-1(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「立川日活映画劇場」。1969年の映画館名簿では「立川日活映劇」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
シネマ立川
所在地 : 東京都立川市高松町3-26-3(1969年・1973年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1973年以後1978年以前
1960年・1969年・1973年の映画館名簿では「シネマ立川」。1978年・1980年の映画館名簿には掲載されていない。
立川東宝劇場
所在地 : 東京都立川市錦町2-1-1(1969年・1973年・1978年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
1960年・1969年・1973年・1978年の映画館名簿では「立川東宝劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
立川演芸館/立川名画座
所在地 : 東京都立川市柴崎町(1960年)、東京都立川市柴崎町2-2-13(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1986年4月
1960年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「立川名画座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

1925年(大正14年)9月には立川駅南口に、芝居などを上映する立川演芸館が開館。1935年頃から映画の上映を始め、やがて立川名画座に改称した。勝て立川駅周辺には最大10館の映画館がひしめいていた。立川名画座は1986年4月に閉館した。*61
立川映南座/東映立川南座
所在地 : 東京都立川市錦町1-3-18(1969年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年の映画館名簿では「立川映南座」。1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「東映立川南座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
立川新東宝劇場/立川新東宝/立川錦座
所在地 : 東京都立川市錦町(1960年)、東京都立川市錦町1-20(1963年・1966年)、東京都立川市錦町1-4-6(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年の映画館名簿では「立川新東宝劇場」。1963年の映画館名簿では「立川新東宝」。1966年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「立川錦座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
立川大映劇場
所在地 : 東京都立川市錦町1-7-3(1969年・1973年・1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1973年・1980年の映画館名簿では「立川大映劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
立川松竹映画劇場
所在地 : 東京都立川市曙町2-8-3(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1992年8月31日
1960年・1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「立川松竹映画劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
立川セントラル劇場
所在地 : 東京都立川市曙町2-8-5(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1992年8月31日
1960年・1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「立川セントラル劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
立川中央映画劇場/立川中央映劇/立川中央劇場
所在地 : 東京都立川市曙町2-8-6(1969年・1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1992年8月31日
1960年の映画館名簿では「立川中央映画劇場」。1969年の映画館名簿では「立川中央映劇」。1980年・1990年の映画館名簿では「立川中央劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
シネマシティ シネマワン
所在地 : 東京都立川市曙町2-8-5(2010年)
開館年 : 1994年10月4日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマシティ
1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「シネマシティ1-6」(6館)。2010年の映画館名簿では「CINEMA CITY 1-6」(6館)。

昭和30年代の立川市には10館の映画館があったが、1992年にはすべての映画館が姿を消した。1994年には6スクリーンの立川シネマシティが開館し、2005年現在は年間観客数が100万人を超える人気映画館となった。2004年には5スクリーンのシネマ2を開館させ、微妙に湾曲したスクリーン、リアルさを追求した音響システム、フットレス付シートなどの設備でファンを引き付けている。*62

1951年、洋画専門館「立川セントラル劇場」が開館。当時は立川市に米軍立川基地があり、大勢のアメリカ兵の観客もあったことから、立川市には最大で10館の映画館があった。2013年現在は立川セントラル劇場を継いだ「シネマシティ」のみである。東京郊外にある同館が年間100万人近くの入場者数を維持できるのは、近年のアニメブームの影響もあるが、音響へのこだわりが大きい。上映作品に応じて臨場感のある音を作り出す独自の音響設備を導入し、「極上音響映画祭」として上映されるミュージカル映画には関東各県からも耳の肥えた映画ファンが訪れる。*63
シネマシティ シネマツー
所在地 : 東京都立川市曙町2-42-26(2010年)
開館年 : 2004年7月
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマシティ
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「CINEMA・TWO A-E」(5館)。
kino cinéma立川眦膕S.C.館
所在地 : 東京都立川市曙町2-39-3 立川眦膕哀轡腑奪團鵐哀札鵐拭8階
開館年 : 2019年6月28日
閉館年 : 営業中
2019年6月28日、立川市曙町の立川高島屋8階に「キノシネマ」が開館した。運営は木下グループ傘下のキノシネマ。JR立川駅北口に新映画館が開館するのは15年ぶり。87席、87席、25席の3スクリーンを有し、初日にはキノフィルムズが配給する『空母いぶき』『凪待ち』など5作品を上映する。1960年頃の立川市には10の映画館があり、北口にはシネマ通りがあるなど、「映画の街」と呼ばれた。1992年には立川駅北口のセントラル、中央、松竹の3館が閉館し、一時的に映画館がなくなった。1994年には地元資本のシネマシティが6スクリーンで開館し、2004年には5スクリーンを増設していた。なお、2020年中にはららぽーと立川立飛にも映画館が開館する計画がある。*64

国立市

国立コニー/国立スカラ座
所在地 : 東京都北多摩郡国立町(1960年)、東京都国立市国立字東区2208(1969年)、東京都国立市東1-15-29(1980年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1986年? 1987年?
1960年の映画館名簿では「国立コニー」。1969年・1980年の映画館名簿では「国立スカラ座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

1955年(昭和30年)には「国立コニー劇場」という映画館が開館したが、1962年(昭和37年)に閉館した。しかし1967年(昭和42年)には国立コニー劇場跡地を改装して「国立スカラ座」が開館した。1987年(昭和62年)に閉館した。国立コニー劇場/国立スカラ座は国立市にあった唯一の映画館である。*65

2019年10月5日から10日間、国立市に映画館を設置することを目標とする映画祭「くにたち映画館」(※映画祭ではなく映画館)が開催される。JR国立駅から南東に延びる旭通り沿いには、1986年まで国立市唯一の映画館「国立スカラ座」があった。*66

約30年前に映画館が閉館した国立市で、2019年10月5日から市民団体によって「くにたち映画祭」が開催される。1986年には国立市唯一の映画館「国立スカラ座」が閉館し、国立市の映画ファンはJR立川駅前や京王府中駅前の映画館まで足を運ぶ必要がある。2018年秋には国立市への映画館の誘致をもくろむ「くにたちに映画館をふたたび実行委員会」が結成され、同年12月には初の上映会を開催していた。*67

西東京市

田無文化劇場
所在地 : 東京都北多摩郡田無町(1960年)、東京都北多摩郡田無町383(1966年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1966年の映画館名簿では「田無文化劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ラ・ベルドゥーレ田無」。
田無館/田無東映劇場/田無東映
所在地 : 東京都北多摩郡田無町(1960年)、東京都北多摩郡田無町620(1966年)、東京都田無市本町3-11(1969年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1966年8月
1960年の映画館名簿では「田無東映」。1966年の映画館名簿では「田無東映劇場」。1969年の映画館名簿では「田無東映」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1927年(昭和2年)の田無館の写真あり。田無館は北多摩郡田無町初の映画館だった。1966年(昭和41年)に閉館し、跡地はイトーヨーカドーとなった。*68

昭和初期の映画館「田無館」の写真あり。田無初の映画館である。現在の住所は西東京市田無町2丁目3番。*69

田無初の映画館は1928年(昭和3年)開館の「田無館」である。現在のアスタ田無の北端部にあったが、映画館があったのは北口再開発前である。佐々病院の初代院長である佐々正達が有志から出資を募って田無館を開館させた。その後酒井平太郎が田無館を買い取り、「田無東映」に改称した。田無東映は1966年(昭和41年)8月に閉館し、跡地にはイトーヨーカ堂が建設された。*70
田無銀映座
所在地 : 東京都北多摩郡田無町(1960年)、東京都北多摩郡田無町402(1966年)、東京都田無市本町4-29-14(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1966年・1969年の映画館名簿では「田無銀映座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。

1960年の「田無銀映」の写真あり。昭和30年代の北多摩郡田無町には、西武新宿線田無駅北側に「田無館」・「田無文化」・「田無銀映」の3つの映画館があった。田無町の住民だけでなく、近隣自治体からも観客がやってきた。*71

『目で見る西東京・東久留米・清瀬の100年』p.123には「田無銀映」が掲載されている。*72

西多摩郡瑞穂町

みづほ劇場
所在地 : 東京都西多摩郡瑞穂町(1960年)
開館年 : 1953年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「みづほ劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

2018年10月14日まで、瑞穂町郷土資料館けやき館で「コレクション展 昭和のオモチャと映画ポスター」が開催されている。1950年代から1960年代には、瑞穂町に「昭和館」と「みづほパレス」という映画館2館があり、みづほパレスの木製看板も展示している。*73

八丈町

共映会館
所在地 : 東京都八丈町字三根(1969年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1972年
1960年・1969年の映画館名簿では「共映会館」。浅丘ルリ子・山本陽子・泉雅子の3人は共映会館を訪れて舞台挨拶を行ったことがあるという。

1957年(昭和32年)には八丈町三根に映画館「共映会館」が開館した。内部は日比谷の映画館と同じ設計だった。昼夜の2本立てであり、洋画の上映も多かった。1972年に閉館した。時期不明の写真あり。*74
八丈島会館
所在地 : 東京都八丈町字三根宮の平(1969年)、東京都八丈町三根1930-1(1980年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1983年
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「八丈島会館」。1980年時点では東京都島嶼部唯一の映画館だった。跡地は「七島信用組合八丈島支店」。

1956年(昭和31年)には八丈町に映画館「八丈島会館」が開館した。座席数は320席。火災で全焼した後に小規模な映画館を再建したが、1983年(昭和58年)に閉館した。1956年の開館当時の写真あり。*75

関東地方 神奈川県

川崎市

ミナト座
所在地 : 神奈川県川崎市
開館年 :
閉館年 :
1962年11月23日、川崎市宮前町8の映画館「ミナト座」の映写幕付近から火災が発生し、木造モルタル2階建ての建物が全焼した。けが人はいなかった。ミナト座は商店街にあり、さらに京浜第一国道沿いのため、交通が混雑した。*76

相模原市

淵野辺ロマンス座
所在地 : 神奈川県相模原市淵野辺(1960年)、神奈川県相模原市淵野辺971(1969年)、神奈川県相模原市淵野辺3-10-2(1980年・1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1960年・1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「淵野辺ロマンス座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。相模原市最後の従来型映画館。
相模大野シネサイト・スクリーン1-3
所在地 : 神奈川県相模原市相模大野3-8-1 相模大野ステーションスクエアB館エクサイト6階(2000年)
開館年 : 1990年以後2000年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「相模大野シネサイト・スクリーン1-3」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
シアター淵野辺1-3
所在地 : 神奈川県相模原市鹿沼台1-7-7(2000年)
開館年 : 1990年以後2000年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1990年の映画館名簿には掲載されていない。2000年の映画館名簿では「シアター淵野辺1-3」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
MOVIX橋本
所在地 : 神奈川県相模原市橋本3-3-1 SING橋本2階(2010年)
開館年 : 2000年以後2010年以前
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「MOVIX橋本1-9」(9館)。

平塚市

平塚松竹映画劇場/平塚松竹/平塚松竹紅谷座・平塚東映紅谷座
所在地 : 神奈川県平塚市新宿(1960年)、神奈川県平塚市紅谷町13-12(1969年)、神奈川県平塚市紅谷町13-13(1973年・1978年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
1953年・1960年の映画館名簿では「平塚松竹映画劇場」。1969年の映画館名簿では「平塚松竹」。1973年・1978年の映画館名簿では「平塚松竹紅谷座・平塚東映紅谷座」(2館)。1980年の映画館名簿には掲載されていない。

1916年(大正5年)頃には、平塚町初の映画常設館として旭座(後の平塚旭劇場)が開館した。1925年(大正14年)の平塚町案内図には、映画館として旭座、湘南キネマ、平塚劇場が掲載されている。平塚劇場は後に平塚松竹劇場に改称し、松竹作品を上映した。2003年(平成15年)現在の跡地はマンションと駐車場になっている。*77
平塚プラザ・平塚有楽座・平塚フラッシュ・平塚明宝劇場・平塚スカラ座
所在地 : 神奈川県平塚市錦町2-9(1980年)、神奈川県平塚市錦町2-20(1990年)
開館年 : 1963年
閉館年 : 1991年9月6日
1980年の映画館名簿では「平塚プラザ・平塚有楽座・平塚みゆき座・平塚明宝劇場・平塚スカラ座」(5館)。1990年の映画館名簿では「平塚プラザ・平塚有楽座・平塚フラッシュ・塚明宝劇場・平塚スカラ座」(5館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1991年9月6日をもって、平塚市錦町にある明宝グループの映画館5館が休館した。平塚市に残る映画館は2館となった。1963年に地元の人から明宝株式会社が映画館運営を引き継いだ。当初は1館のみだったが、1965年には隣接地に新しい建物を建設して順次規模を拡大させ、やがて洋画3館・邦画2館の計5館の体制となった。3年前から急激に観客数が減少していたが、まだ営業を継続できるレベルではあった。しかし、敷地の約半分を占めていた借地を地主に返却する必要に迫られたことで休館となった。*78

小田原市

小田原ロマンス座
所在地 : 神奈川県小田原市緑町(1960年)、神奈川県小田原市緑町1-6(1963年)
開館年 : 1953年8月
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1953年8月開館。1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「小田原ロマンス座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
小田原銀映座
所在地 : 神奈川県小田原市緑町(1960年)、神奈川県小田原市栄町2-8-17(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年・1969年の映画館名簿では「小田原銀映座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
シネサロン・ネムレ/にっかつロマンネムレ
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-4-1(1978年・1980年)
開館年 : 1973年以後1978年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1980年の映画館名簿では「シネサロン・ネムレ」。1978年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造4階部分48席、経営会社は石井商会、経営者は石井康之助、支配人は川口啓介、洋画を上映。1988年の住宅地図では「杉田ビル」4階の「にっかつロマンネムレ」。跡地は「スナックユリ」や「パブクラブアンアン」などがある名称不明のビル。映画館があった時代と同一の建物と思われる。
小田原オークラ劇場
所在地 : 神奈川県小田原市栄町1-14-4(1980年)
開館年 : 1973年以後1978年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1973年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1980年の映画館名簿では「小田原オークラ劇場」。1978年の映画館名簿では鉄筋コンクリート造2階部分120席、経営者は大蔵映画、支配人は大倉貢、支配人は藤井義信、成人映画を上映。跡地は「音羽プラーザビル」北側の駐車場。
小田原みゆき座/小田原御幸座
所在地 : 神奈川県小田原市浜町1-5-35(1980年)
開館年 : 1960年(映画館化)
閉館年 : 1984年
1969年の映画館名簿では「小田原みゆき座」。1980年の映画館名簿では「小田原御幸座」。1988年の住宅地図では「小田原御幸座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

小田原市浜松1丁目には御幸座という芝居小屋があったが、1960年(昭和35年)に映画館に転換した。1984年(昭和59年)に閉館した。「御幸座」の文字が見える1962年(昭和37年)の写真あり。*79
復興館/国際劇場/小田原日活/小田原日活国際劇場/小田原国際劇場・小田原にっかつ劇場
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-5-4(1980年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1980年以後1990年以前? 2000年?
『全国映画館総覧 1955』によると1953年12月開館。1955年の映画館名簿では「国際劇場」。1960年の映画館名簿では「小田原国際劇場」。1969年の映画館名簿では「小田原日活国際劇場」。1980年の映画館名簿では「小田原国際劇場・小田原にっかつ劇場」(2館)。1988年の住宅地図では跡地に駐車場。1990年の映画館名簿には掲載されていない。番地から場所はほぼ確定。 跡地は葬儀場「ファミリーホール小田原」。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災からの復興を願って、同年に日活作品の上映館として「復興館」が開館した。1953年(昭和28年)には建物を建て替え、「国際劇場」に改称して大映と東映作品の上映館となった。1960年(昭和35年)には「小田原日活」に改称して再び日活作品の上映館となった。小田原東映と同じく2000年(平成12年)に閉館した。東海道と青物町商店街が交わる国際通り交差点の角にあった。1967年の写真あり。当時の青物町商店街の入口にはアーチが架けられており、現在の東海道に架かる歩道橋はまだないように見える。*80
小田原東映劇場/小田原東映
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-7-5(1990年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2000年3月31日
Wikipedia : 小田原東映劇場
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「小田原東映劇場」。1988年の住宅地図では「小田原東映劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原東映」。跡地はどら焼き店「菜の花あん工房」。

国道1号の小田原市民会館交差点の近くには、1956年(昭和31年)に開館した小田原東映劇場があった。東映作品の専門館であり、「東映まんがまつり」は人気が高かった。2000年(平成12年)に閉館した。「小田原東映」の文字が見える1967年(昭和42年)の写真あり。『一心太助 江戸っ子祭り』、『網走番外地 決斗零下30度』の看板が見える。*81
小田原中央劇場/小田原中央劇場1・2
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-9-27(1980年・1990年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2003年
1980年の映画館名簿では「小田原中央劇場」。1988年の住宅地図では「小田原中央劇場」。1990年の映画館名簿では「小田原中央劇場1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「さがみ信用金庫本店」北側の駐車場。

小田原市の国道1号沿いには、小田原東映と同じく1956年(昭和31年)に開館した中央劇場があった。西湘地区唯一の「洋画封切り劇場」がうたい文句であり、『太陽がいっぱい』『ベン・ハー』『慕情』などを上映した。2003年に閉館した。1967年頃の写真あり。『カレードマン 大胆不敵』などの看板が見え、「Chuo Theatre」の文字が見える。*82
オリオン座/小田原オリオン座/小田原オリオン座レッドホール・イエローホール・ブルーホール
所在地 : 神奈川県小田原市本町3-11-20(1980年・1990年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 2003年8月20日
『全国映画館総覧 1955』によると1946年9月開館。1955年の映画館名簿では「オリオン座」。1969年・1980年の映画館名簿では「小田原オリオン座」。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原オリオン座レッドホール・イエローホール・ブルーホール」(3館)。1988年の住宅地図では「オリオン座ビル」の「1階レッドホール 2階イエローホール 3階ブルーホール」。跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。

戦争からの復興途中の1946年(昭和21年)9月、小田原市にオリオン座が開館した。『わが生涯の輝ける日』の看板が見える昭和20年代の写真あり。オリオン座は松竹の直営館だった。最盛期の小田原市街地には9館の映画館があったが、テレビやビデオの普及、娯楽の多様化などが理由で相次いで閉館していった。平成に入って中央劇場と東映劇場も閉館し、2003年(平成15年)現在は東宝館とオリオン座の2施設のみとなっている。松竹の直営館だったオリオン座は洋画も上映する映画館となり、3スクリーンに増やして営業している。「THEATER ORION」の看板が見える2003年の写真あり。*83

2003年8月号の『小田原史談』には「オリオン座と東宝館の閉館に際し映画館特集号」という記事が掲載されている。現物は未確認。*84
小田原東宝館/小田原東宝劇場/小田原東宝
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-8-18(1980年)
開館年 : 1939年
閉館年 : 2003年8月29日
『全国映画館総覧 1955』によると1937年12月開館。1955年の映画館名簿では「小田原東宝館」。1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「小田原東宝劇場」。1988年の住宅地図では「サンバード長崎屋小田原店」の地下。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原東宝」。跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」。

戦前の1939年(昭和14年)、足柄下郡小田原町緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。「東宝館」(※東宝劇場ではない)の文字が見える。当時の小田原には東宝館のほかに、日活系の復興館と松竹系の富貴座もあった。東宝館は1945年(昭和20年)8月15日の小田原空襲を免れ、戦後まもなく営業を再開したことで、映画館前の通りは東宝館通りと呼ばれるようになった。1962年には隣接地に長崎屋小田原店が開店。長崎屋小田原店の店舗改修時には東宝館が地下に入り、東宝館通りはダイヤ街に名を変えている。かつての東宝館通りは飲食店が中心だったが、現在は大型店やアパレル店・日用雑貨店なども多く、小田原市街地の繁華街となっている。*85

2003年8月号の『小田原史談』には「オリオン座と東宝館の閉館に際し映画館特集号」という記事が掲載されている。現物は未確認。*86

ヴァージンシネマズ小田原/TOHOシネマズ小田原
所在地 : 神奈川県小田原市中里313−12 ダイナシティウォーク
開館年 : 2002年12月
閉館年 : 営業中
2002年12月に「ヴァージンシネマズ小田原」として開館。2004年2月に「TOHOシネマズ小田原」に改称。9スクリーンのシネコン。
小田原コロナシネマワールド
所在地 : 神奈川県小田原市前川219−4
開館年 : 2003年12月
閉館年 : 営業中
10スクリーンのシネコン。2014年8月には4DXを導入。

鎌倉市

テアトル鎌倉
所在地 : 神奈川県鎌倉市
開館年 :
閉館年 : 1988年4月
1988年4月末、鎌倉市の旧鎌倉地区唯一の映画館だった「テアトル鎌倉」が閉館した。閉館後には市民グループが署名活動を行って存続を訴えていたが、経営元の東京テアトルは存続が不可能であると判断した。*87

藤沢市

藤沢文化
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢484(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1960年の映画館名簿では「藤沢文化」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。
長後文化劇場
所在地 : 神奈川県藤沢市長後町宿件740(1960年)、神奈川県藤沢市長後町宿仲740(1963年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1960年・1963年の映画館名簿では「長後文化劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢第一劇場/藤沢東映劇場(藤沢460)
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢460(1960年・1963年・1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「藤沢第一劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「藤沢東映劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。
辻堂東映/ツジドウ東映劇場
所在地 : 神奈川県藤沢市辻堂2233(1960年・1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「辻堂東映」。1969年の映画館名簿では「ツジドウ東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢日活劇場
所在地 : 神奈川県藤沢市銀座通384(1969年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1969年の映画館名簿では「藤沢日活劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢東映劇場(藤沢93)/フジサワ東映劇場
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢93(1960年・1969年・1973年・1978年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1978年以後1980年以前
1960年の映画館名簿では「藤沢東映劇場」。1963年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年の映画館名簿では「藤沢東映劇場」。1973年の映画館名簿では「フジサワ東映劇場」。1978年の映画館名簿では「フジサワ中央劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢映画劇場
所在地 : 神奈川県藤沢市遊行通り233(1960年・1980年)
開館年 : 1947年7月
閉館年 : 1980年以後1990年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1947年7月開館。1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「藤沢映画劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢みゆき座
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢325(1978年・1980年・1990年)
開館年 : 1973年以後1978年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1978年・1980年・1990年の映画館名簿では「藤沢みゆき座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
シネマ中央
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢576-1(1990年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「シネマ中央」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢テアトル大丸/藤沢スカラ座
所在地 : 神奈川県藤沢市南藤沢22-8(1990年・2000年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「藤沢テアトル大丸」。2000年の映画館名簿では「藤沢スカラ座」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢オデオン座/藤沢オデオン座・藤沢キネマ88
所在地 : 神奈川県藤沢市南仲通(1960年)、神奈川県藤沢市仲通り1011(1980年)、神奈川県藤沢市藤沢1011(1990年・2000年)
開館年 : 1935年7月
閉館年 : 2000年以後2010年以前
『全国映画館総覧 1955』によると1935年7月開館。1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「藤沢オデオン座」。1990年・2000年の映画館名簿では「藤沢オデオン座・藤沢キネマ88」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢オデオン1番館・2番館
所在地 : 神奈川県藤沢市南藤沢22-16(1990年・2000年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年の映画館名簿では「藤沢オデオン1番館・2番館」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。
藤沢中央映画劇場/藤沢中央劇場/フジサワ中央劇場/フジサワ中央・フジサワ中央スカラ/フジサワ中央1・2
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢(1960年)、神奈川県藤沢市藤沢93(1980年・1990年・2000年・2010年)
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 2010年8月31日
Wikipedia : フジサワ中央
『全国映画館総覧 1955』によると1950年4月開館。1953年の映画館名簿では「藤沢中央映画劇場」。1960年の映画館名簿では「藤沢中央劇場」。1969年・1980年の映画館名簿では「フジサワ中央劇場」。1990年の映画館名簿では「フジサワ中央・フジサワ中央スカラ」(2館)。2000年・2010年の映画館名簿では「フジサワ中央1・2」(2館)。

藤沢市最後の映画館だったフジサワ中央が2010年8月31日をもって閉館する。1950年4月に現在地に開業した。JR藤沢駅北口から徒歩5分。大小の2スクリーンがある。2007年に4スクリーンがあった湘南オデオンが閉館すると藤沢市最後の映画館となった。座席には背もたれもカップホルダーもなかく、興行収入はこの5年で3割も減少していた。*88

2010年8月いっぱいで、藤沢市の映画館「フジサワ中央」が閉館する。経営は藤沢映画興行。湘南地域では最後の独立系映画館だった。フジサワ中央の閉館によって、一般映画を上映する神奈川県の映画館は横浜市の5館6スクリーンのみとなる。1950年4月開館。映画黄金期には国鉄藤沢駅から400mも観客が行列を作ったこともあり、忙しさにチケット販売員が泣き出したこともあったという。1986年の『子猫物語』、2001年の『千と千尋の神隠し』などの上映時には立ち見も出た。シネコン時代になると、シネコンで上映されないような名画や社会は作品を積極的に上映した。現在は3階・4階に207席の1号館があり、地下1階に126席の2号館がある。この3-4年で観客数が3割減少し、リーマンショック後には映画事業の不振を補う不動産収入も激減した。2011年には藤沢市内にもシネコンが開館予定であり、閉館を余儀なくされた。*89
シネコヤ
所在地 : 神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-4-6
開館年 : 2017年4月8日
閉館年 : 営業中
2014年5月16日、藤沢市鵠沼地区の有志が映画の定期上映会「鵠沼シネマ」をスタートさせた。藤沢市内で自主上映会を開催している任意団体「シネコヤ」(竹中翔子代表)が、コミュニティスペースを運営する「アイビーハウス」(さとうさちこ管理人)を共同で企画した。アイビーハウスに120インチのスクリーンとプロジェクターを設置し、毎月第3金曜・土曜に旧作・名作映画を上映する。初回の5月16日と17日にはジャン・コクトー監督のフランス映画『オルフェ』を上映した。6月20日・21日にはコクトー監督の『美女と野獣』を上映する。*90

2015年11月1日から8日、JR藤沢駅前の飲食店など11会場で「第1回藤沢国際映画祭」が開催される。かつて藤沢駅前には複数の映画館があったが、2010年までにすべて閉館した。2011年には隣の辻堂駅前にシネコンが開館している。地域情報誌「フジマニ」を発行する三浦悠介(32)が、藤沢駅南口にカフェ兼共用オフィスをオープンさせ、プロジェクターや大型スクリーンを設置して映画上映を模索した。2014年から鵠沼海岸で自主上映会を開催する「シネコヤ」代表の竹中翔子(31)、藤沢駅北口の鮮魚店主かつ食堂を改修して「さかな屋キネマ」を開設した平木高広(52)なども加わり、複数会場を使った映画祭が企画された。『英国王のスピーチ』、魚市場が舞台の『アナタの白子に戻り鰹』、藤沢市出身の竹内里紗の初監督作『みちていく』、『ギターマダガスカル』、『ゾンビーノ』、『ジャック・タチ短編集』、『ストックホルムでワルツを』、『善き人のためのソナタ』など、洋画8作品と邦画4作品が上映される。*91

2016年6月17日から26日、JR藤沢駅前のレストランやギャラリーなど14会場で「第2回藤沢国際映画祭」が開催される。第1回映画祭は11会場で12作品が上映され、約700人が来場した。第2回はフェデリコ・フェリーニ監督作『道』や河鹹照監督作『あん』など、洋画10本・邦画3本が上映される。第1回の開催を機に、自主上映団体「シネコヤ」は常設ミニシアター開館のために、インターネットで開館資金を募る寄付プロジェクトを開始し、鵠沼海岸の元写真館の建物で今夏から今秋の開館を目指している。*92

藤沢市に住む竹内翔子(31)は、6年前に映画館の開館を思い立った。高校や大学時代には地元の映画館で切符もぎりのアルバイトを行い、大学では映像を勉強して映画監督を志した。そのころにアルバイト先の映画館が閉館し、藤沢市から常設映画館がなくなった。住宅街で週末の自主上映会を開催し、閉館した写真館の建物を改修することを決めた。小学4年の娘も応援している。*93

竹中翔子(32)が代表を務める「シネコヤ」は、藤沢市内のレンタルスペースで定期的に自主上映会を開催してきた。2017年4月8日、小田急線鵠沼海岸駅(くげぬまかいがんえき)の近くに常設のミニシアターを開館させる。竹中は高校と大学時代には藤沢駅前の映画館でアルバイトをしており、映画館の魅力に惹かれていた。2010年までに藤沢駅前の名画座2館が相次いで閉館し、2013年から自主上映会「シネコヤ」の活動を本格的に開始した。シネマの「シネ」、寺子屋の「コヤ」が由来。2016年2月には常設映画館の開館準備に取り掛かり、鵠沼海岸駅から徒歩3分の商店街にある元写真館にほれ込んだ。インターネットで資金を募るプロジェクトや、金融機関からの融資で開館にこぎつけた。建物は写真館時代の看板建築を活かしたデザイン。「映画と本とパンの店」がコンセプトである。1階にはイートインスペースがある自家製パン店があり、映画関係など様々な本が並ぶコーナーを設けた。2階は飲食可能な25席のミニシアターであり、サイドテーブルがあるソファ席を設けた。入館は一日中出入り自由。名画座スタイルの上映方式であり、2本立てを各2回上映する。2週間ごとに作品を入れ替える。8日からのオープニング作品は『シーモアさんと、大人のための人生入門』など。*94

ベーカリーと読書スペースを併設した小規模映画館「シネコヤ」が開館。25席ある館内。竹中翔子社長(32歳)が2016年9月に起業し手準備を進めた。竹中は藤沢市内の他の映画館で働いたり、上映会を企画した。2007年と2010年には藤沢氏内の老舗映画館が相次いで閉館。*95

逗子市

シネマ・アミーゴ
逗子市にある「シネマ・アミーゴ」は、映画を鑑賞しながら食事ができるカフェである。一軒家の扉を開けると、バーカウンターやアンティーク調の椅子が並んでいる。2009年に長島源(41)が地域活性化を目的として開館させた。1日に3回から5回の上映を行い、休日には遠方からも客が来るという。カフェでは地元産食材を用いた料理を出し、音楽イベントも開催している。隣接地には宿泊施設も開業した。*96

中郡大磯町

ドライブイン・シアター Movix大磯/大磯ドライブインシアター
所在地 : 神奈川県中郡大磯町国府本郷546
開館年 : 1993年10月9日
閉館年 : 2010年10月11日
2007年10月31日に千葉県船橋市の「ドライブインシアタープラウド」が閉館したことで、2007年11月1日から2010年10月11日まで「日本最後のドライブインシアター」だった。

1993年(平成5年)10月には大磯プリンスホテルの駐車場に、神奈川県内唯一のドライブインシアターがオープンした。*97

2007年8月末には千葉県野田市にあったドライブインシアターが閉館し、2007年10月末には千葉県船橋市にあった「ドライブインシアター・プラウド」の閉館も決定している。プラウドは1981年に開館した国内初のドライブインシアターである。これによって、国内の常設ドライブインシアターはドライブインシアター大磯のみとなる。大磯プリンスホテルにあるドライブインシアター大磯は、上映の合間の待ち時間に子供が遊べるスペースと道具が設置されており、売店では映画にちなんだ菓子を販売している。*98

大磯ドライブインシアターは日本で唯一となったドライブインシアターである。8,400m2の駐車場の両端に、8m×16mの巨大スクリーンと映写用トレーラーが置かれている。最大で200台が視聴可能。目の前には相模湾がひろがり、隣には大磯ロングビーチがある。このような立地からサーフィン映画は人気であり、最近ではウィンドサーフィンを題材とする『Life 天国で君に逢えたら』がヒットしたが、時代劇『武士の一分』はさっぱりだった。日本初のドライブインシアターは1981年にオープンした千葉県船橋市のものとされる。1993年10月にはドライブドライブインシアターMOVIX大磯(現・大磯ドライブインシアター)がオープンした。現在は東洋建装が大磯プリンスホテルの委託を受けて運営しており、又木宏和(64)と息子の又木隆志(24)らによる家族経営である。一時期は全国で30館ほどのドライブインシアターがあったが、シネコンの台頭で相次いで閉館するようになった。2007年には船橋市のドライブインシアターが閉館したことで、大磯が日本唯一のドライブインシアターとなった。入場料は1人なら1台1700円、2人以上なら何人でも1台3400円。セダンは前方、ワゴン車は後方に駐車してもらっている。入口では飲み物やポップコーンなどのメニュー表も手渡され、上映中に携帯電話で注文すればスタッフがスケボーで運んでくれるほか、近隣のデニーズからもデリバリー可能である。*99

大磯プリンスホテルは情報誌を発行しており、1993年10月1日発行の第7号に「ドライブイン・シアター MOVIX IN 大磯」、1993年12月1日発行の第9号に「紙上再現」、1994年2月1日発行の第11号「車の前にBIGなスクリーン ドライブイン・シアター」、1994年7月1日発行の第16号「編集後記」にドライブインシアターに関する記事が掲載されている。

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