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刈谷市

刈谷映劇

昭和20年代の刈谷映劇
所在地 : 刈谷市広小路1-15*1
開館年 : 1918年
閉館年 : 2000年
座席数 : 308席
Wikipedia : 刈谷映劇

・刈谷市新栄町。
・戦前からの映画専門劇場であり、通称「東宝」と呼ばれる市民の娯楽の殿堂だった。
・廃業後の現在は跡地にマンションが建っている。
・大黒座と交互に刈谷市主催の成人式の会場になったことがあった。
*2

大黒座

1955年頃の大黒座
所在地 : 刈谷市元中根町48*3、刈谷市司町1-31*4
開館年 : 1918年(芝居小屋)、1950年(映画専門館)
閉館年 : 2012年
座席数 :
Wikipedia : 大黒座

明治時代の刈谷町緒川町(現・刈谷市司町)には大生座という芝居小屋があった。大正時代には東浦の緒川に通ずる街道の急坂を直すために土を取り、跡地広場に伊藤鋭太郎という人が大黒座を創立した。名古屋の御園座をまねて仕上げたといい、格天井・周り舞台・大小2つの花道と桟敷など豪華なものであった。戦後には映画専門の劇場となった。*5

1918年(大正7年)には大黒座が創設され、尾上菊五郎や松本幸四郎の歌舞伎の興行、映画の上映、政談演説会などが催された。格天井、回り舞台などを持つ大きな芝居小屋だったが、老朽化により大黒座に変わった。手前は美しい庭園を持つ料理屋の大喜館で、跡地には電装会館が建っている。*6

五代目坂東蓑助は1909年(明治42年)に知立の東雲座で公演を行った。翌月には刈谷の大黒座で公演を行ったが、興行中に急死した。47歳だった。*7

大黒座は1918年に芝居小屋として開業し、1950年に映画館に転換した。2007年11月には刈谷市のNPO法人が、近くに駄菓子屋併設小規模デイサービス施設「だいふく」を開設。「だいふく」は大黒座から駐車場を借りていた。2012年3月に大黒座が閉館すると、映画館業と合わせてレンタルビデオ業も営んでいたオーナーから年寄りの観賞用に映画のビデオテープ1200本を無償で譲り受けた。これにより、「だいふく」は運営するデイサービスセンターの一角にミニシアターの整備を進めている。*8

日本映画最盛期の刈谷市内には、東宝・松竹の上映館“刈谷映画劇場”、東映・日活の“大黒座”といった邦画専門館が存在した。*9

1898年(明治31年)、大野介蔵(刈谷町長の大野一造の父?)によって旧緒川町の坂の下り口に大生座が開館した。大野家の先祖は常総国結城郡大生村(おおのおむら、現在の茨城県常総市)出身であるため村名を館名とした。向かって右側に木戸札を売る木戸口があり、左側に氷水などを売る売店があった。ホールの入口には木戸番が座り、大人の木戸札と子供の木戸札を受け取って入場者数を数えた。回り舞台があり、大道具・小道具の奥が楽屋だった。歌舞伎の興行が多く、市川團十郎一座などの有名な役者がきた。浪花節の東中軒雲右衛門の興行の際などは、前日から行列ができて緒川町は大賑わいだったという。400人ほどの客が入ると、大道具・小道具から木戸番・下足番まで二銭銅貨を入れた大入り袋が配られた。当時流行した新派の「不帰鳥」(ホトトギス)なども人気があった。後には活動写真も上映し、開始時刻の午後2時まではのぼりを立てた楽隊が宣伝に回った。*10

刈谷日劇

所在地 : 刈谷市広小路3-33(1963年)、刈谷市御幸町1-86(現在)
開館年 : 1954年
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 刈谷日劇
本Wiki内単独ページ : 刈谷日劇

知立市

知立市の映画館

1901年に東海道沿いに東雲座が開館し、知立出身の坂東蓑助の歌舞伎公演も行われた。大正末期には東雲座が知立劇場に改称し、1950年には映画館となった。1952年にはオリオン座が開館し、1955年には第一劇場も開館した。しかし1959年にはオリオン座が閉館し、1975年には知立劇場も閉館、1991年には第一劇場が閉館して、全盛期にあった3館はすべて消えた。1950年の知立劇場の外観の写真あり。昭和時代の第一劇場の外観の写真あり。1952年のオリオン座のチラシの写真あり。*11

東雲座/知立劇場

1950年の知立劇場
所在地 : 碧海郡池鯉鮒町中山町30*12、知立市中山町77
開館年 : 1926年*13
閉館年 : 1975年
Wikipedia : 知立劇場

文政8年(1825)の大阪版芝居番付「諸国芝居繁栄数望」には、東方三段目(13番目)に三州池鯉鮒が格付けされているように、知立は演劇の盛んなところであった。その名残で1891年(明治24年)には西三河でもまだ珍しかった常小屋として日吉座が開館した。1901年(明治34年)6月、大村六三郎を座主とする東雲座のこけら落し公演が行われた。1910年(明治43年)には知立出身の歌舞伎俳優である坂東蓑助の一座が東雲座で興行した。*14

知立出身の歌舞伎役者には五代目坂東蓑助がいる。元治元年(1864)に池鯉鮒宿の旅籠巴屋の次男として生まれた。本名は鉄三郎であり、母の実家は東境(刈谷市)の泉正寺である。鉄三郎はやがて坂東喜知六の養子となり、1889年(明治22年)に守田勘弥の知遇を受けて坂東蓑助を襲名した。1909年(明治42年)に故郷知立にある東雲座での公演に出演したが、翌月には刈谷の大黒座での興行中に急死した。47歳だった。*15

大正末期には東雲座を建て直して知立劇場が開館したため、劇場内は1階も和式だった。1950年(昭和25年)に増資をし、玄関と座席を洋式にする大改装を行って映画の常設館となった。知立劇場のこけら落しには、沢村宗十郎の「阿古屋の琴責め」が上演された。西三河地方における大劇場であったが、1975年(昭和50年)に閉館した。建物はのちに取り壊されて、1980年(昭和55年)現在の跡地は駐車場となっている。*16

昭和40年代まで知立市中山町には映画館の知立劇場があったため、劇場前の通りは「劇場通り」と呼ばれる。旧国道1号、旧東海道、新地通りが交わる六差路の中町交差点から、旧東海道を東へ向かう通りのことである。この写真が撮影された当時は旧知立駅(現・三河知立駅)近辺に洋画専門の「オリオン座」と東映系の「第一劇場」があった。バイパスが完成する1951年(昭和26年)までは、狭い「劇場通り」が国道1号であり、渋滞が激しかったという。写真は知立劇場の方向から仲町方面を見ている。*17

1950年(昭和25年)の知立劇場の写真あり。大正末期に東雲座を建て直して開館。1950年(昭和25年)に大改装して知立唯一の映画館に生まれ変わった。1975年(昭和50年)閉館。*18

知立オリオン座

所在地 : 碧海郡知立町知立西新地*19
開館年 : 1952年*20
閉館年 : 1961年
この写真が撮影された当時、旧知立駅(現・三河知立駅)周辺に洋画専門の「オリオン座」と東映系の「第一劇場」があった。*21

1952年(昭和27年)には新地町にオリオン座が開館。経営者は工業会社の社長による兼任であり、また人気映画の配給権が得られなかった。このため経営は苦しく、何度か経営権の委譲が行われている。*22

1955年(昭和30年)頃のオリオン座の写真あり。1952年(昭和27年)に知立2番目の映画館としてオリオン座が開館した。人気作品の配給権獲得競争に負け、1959年(昭和34年)末に閉館した。現在の山本学園1号館の場所である。*23

知立第一劇場/知立第一東映

所在地 : 碧海郡知立町平田43*24、知立市内幸町平田43*25
開館年 : 1955年
閉館年 : 1994年
1966年の第一劇場
知立市内幸町にあった第一劇場の写真。かつて知立には3つの映画館があった。1955年(昭和30年)に最後発として開館したのが第一劇場であり、3年前の1952年(昭和27年)に新地町に開館したオリオン座に続く3番目だった。第一劇場の開館から4年後にはまずオリオン座が閉館し、1975年(昭和50年)には老舗の知立劇場も閉館した。第一劇場も平成になってから閉館し、2009年(平成21年)には建物も取り壊された。*26

1955年(昭和30年)12月には建坪260坪(860平方メートル)の第一劇場が開館。1977年(昭和52年)現在の知立に残る映画館は第一劇場のみである。*27

1965年(昭和40年)の第一劇場の写真あり。昭和30年代には全国で映画館の開館ブームが起こり、1955年(昭和30年)12月に知立3番目の映画館として第一劇場が開館した。*28

知立小劇場

所在地 : 知立市栄1-8*29
開館年 : 1980年代初頭
閉館年 : 2008年
『映画年鑑1980年版別冊 映画館名簿』によると60席。洋画と成人映画を上映。運営は愛三観光。

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