かつて存在した映画館についてのwikiです。事実上の個人サイトであり管理人「hekikaicinema」のみが編集可能です。

上伊那郡辰野町、伊那市、駒ヶ根市、飯田市、下伊那郡阿智村の順。長野県の他地域は別ページ参照。

上伊那郡辰野町

辰野劇場

所在地 : 長野県上伊那郡辰野町
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1969年以後
1955年(昭和30年)の辰野劇場の写真あり。3本立てで上映され、ナイトショーも行われた。*1

辰野町立図書館に辰野劇場の場所についてレファレンスしたところ、『広報たつの』の製作スタッフに電話してくれた。辰野駅前商店街のスワ時計店から南東30メートルの空き地が辰野劇場跡地であることがわかった。

『広報たつの』2018年10月号には辰野劇場に関する言及がある。*2

伊那市

高遠文化会館

所在地 : 長野県上伊那郡高遠町桜町(現・伊那市)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後

伊那電気館

所在地 : 長野県伊那市山寺区天竜町(1960年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1968年
写真 : 向山雅重(監修)『図説・上伊那の歴史 下巻』〈長野県の歴史シリーズ〉郷土出版社、1987年、p.87
大正時代に入り電気が普及すると、活動写真が上伊那地方にも入ってきて、娯楽場などで上映された。常設館を望む声が高まったため、大正11年(1922)4月には伊那町に伊那電気館が開設され、伊那市域で初めてトーキー映画を上映した*3

伊那中央劇場/伊那中劇

所在地 : 長野県伊那市通り町3447-6
開館年 : 1950年代後半
閉館年 : 2000年以後2010年以前

1970年代前半には成人映画館に転向。1990年から1998年の映画館名簿によると65席の小規模館だった。2010年前後に廃業した伊那ステーションホテルの地下にあった。

伊那旭座/伊那旭座1

伊那旭座1
所在地 : 長野県伊那市錦町3400
開館年 : 1913年
閉館年 : 営業中
座席数 : 424席(1990-1992)→352席(1993-1998)

公式サイト
伊那旭座 - Wikipedia
伊那旭座1 - 港町キネマ通り

伊那旭座は上伊那地域で初の常設劇場であり、1906年(明治39年)開館とされている。伊那旭座に続いて、赤穂常盤座、箕輪座、辰野劇場などが開館している。大正初期には松井須磨子が伊那旭座に来演した。映画の人気が高まると、1923年(大正12年)には映画館の伊那電気館が開館し、伊那旭座も映画を上映するようになった。1927年(昭和2年)頃の「旭座とスケート場」の写真あり。*4

劇場の伊那旭座が映画も上映するようになった時期も1922年(大正11年)とされる*5

1963年には舟木一夫・姿美千子・倉石功など出演の『高校三年生』を上映。1963年の写真あり。*6

1968年には『連合艦隊司令長官 山本五十六』(東宝)の出演者が伊那旭座を訪れた。同年には伊那電気館が閉館し、伊那市の映画館は伊那朝日座のみとなった(【注】伊那中劇はまだ営業中だったはず)。1968年の写真あり。*7

伊那映画劇場/伊那旭座2

伊那旭座2
所在地 : 長野県伊那市錦町3400
開館年 : 1968年
閉館年 : 営業中
座席数 : 221席(1990-1992)→198席(1993-1996)→204席(1997-1998)

公式サイト
伊那旭座 - Wikipedia
伊那旭座2 - 港町キネマ通り

駒ヶ根市

赤穂キネマ

所在地 : 長野県上伊那郡赤穂町15109(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後

赤穂電気館/赤穂映画劇場/アカホ映画劇場

所在地 : 長野県上伊那郡赤穂町14784(1960年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1960年以後1969年以前

当初は赤穂電気館という名称だった。駒ヶ根市街地中心部からは離れており、割烹丸屋の横にあった。後発の赤穂キネマ赤穂銀映が開館したことで、老朽化もあって閉館した。赤穂映画劇場の北方には常盤座という演劇場もあった。1953年頃の写真あり。「AKAHO EIGEKI」の文字が見える。*8

赤穂電気館の開設は大正末年だった*9

赤穂銀映

所在地 : 長野県上伊那郡赤穂町(1960年)、長野県駒ケ根市(現在)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1976年以前
かつての駒ケ根市内には電気館、赤穂キネマ、赤穂銀映の3つの映画館があった。赤穂銀映は現在の八十二銀行駒ケ根支店駐車場の位置にあった。1962年には女優3人を招いて東宝映画友の会伊南支部を結成した。1962年の写真あり。*10

飯田市

飯田市の劇場

江戸時代から下伊那では人形芝居や地芝居が盛んだった。明治時代にはたびたび東京の役者が訪れて興行を行っている。1899年(明治32年)には羽場坂の歌舞伎座のこけら落とし公演に五代目音羽屋尾上菊五郎一座が訪れ、また主税町の曙座の改築祝いには大阪の市川左団次が訪れ、東西の人気役者が同時に飯田の町で興行したことから連日満員だった。1915年(大正4年)には松井須磨子や島村抱月らの一行が訪れ、抱月は「糸の都、芝居の王国、飯田の皆さん」と挨拶した。昭和に入ると市田に昭和劇場、阿知に駒場劇場、時又に時又劇場、下條に四海座、新野に開明座などが開業した。*11

1927年(昭和2年)11月にはトーキー映画が飯田で初公開された。1928年(昭和3年)には中山晋平作曲の「龍峡小唄」が発表された。1929年(昭和4年)には男性オペラ歌手の藤原義江が、1930年(昭和5年)には女性声楽家の関谷敏子が飯田を訪れている。そのころには飯田に若松座飯田帝国館が開館しており、下伊那地方では時又劇場大島劇場が開館している。*12

明治以来の飯田市街地に設けられた劇場や映画館の分布図あり。このほかに飯田以外の下伊那地方には、松川町大島に新富座(1909年開館)、大島劇場(1927年開館)、市田に昭和劇場(1928年開館、のち高森会館)、阿智村に駒場劇場(1929年開館)、時又に時又劇場(1927年開館)、八幡に八幡会館、天竜峡に龍峡会館あるいは天竜峡会館(戦後開館)、喬木村に阿島劇場、下条村北又に四海座、阿南町新野に開明座があった。さらには和田(南信濃村)、平岡(天龍村)にも劇場があった。*13

飯田市の映画館

飯田市には戦前から多くの映画館がありました。帝国館大松座などに加え、1949(昭和24)年には洋画専門館として主税町3丁目に銀星会館ができています。映画は庶民の代表的な娯楽として人気を集めていきました。1958(昭和33)年8月、一つの映画雑誌が飯田で創刊されました。「編集後記」は、「せまい飯田にも、常盤中央銀星の他に1958年9月に開館する飯田松竹劇場と4つの映画館をもつことになります。各館で毎週上映される数は沢山です」と述べ、今度創刊される『月間・飯田 映画ノート』は「毎月の各館の上映目録をまっ先に掲載して、これは『みた方がよいもの』は責任をもって推薦し、それについては詳しい解説をのせる」、「よい映画のための案内をはたす」ものとして誕生したとうたっています。編集責任者は菊池幸子、編集委員には池田憲介や高堂正男ら飯田の社会教育関係者も名を連ね、のちには同人誌『橋』の林俊も参加していました。*14


昭和22年の飯田大火前には下荒町(中央通り1)に電気館帝国館が軒を並べ賑わっていた。古くは末広座大松座飯田劇場があり、映画も上映していた。大火後電気館跡は中劇となり、銀座の角に常盤劇場が出来た。さらに主税町には昭和25年洋画を専門とする銀星会館が創られた。戦後の娯楽に飢えた人々で、映画館はいつも満員の盛況であった。とりわけ洋画専門の銀星会館は長らく禁じられてきた外国語と西洋の文化に触れる唯一の機会であっただけに、盛況を極めた。やがてテレビが普及し、その後カラーテレビが流行り始めると、映画館から人々の足が遠のき急速に衰退していった。昭和45年、ついに銀星会館は閉館。中央通り3丁目にも松竹劇場のち日活劇場があったが閉館となった。今日、中劇千劇と名を変え、トキワ劇場と2館のみが上映をつづけている。写真1は大火復興後の常盤劇場。唯一の娯楽は映画だった。写真2は復興記念館と常盤劇場。この建物は今はない。写真3は大火後電気館跡にできた中劇。カラー映画は総天然色といい、いつも満員だった。写真4は洋画専門の銀星会館。西部劇からフランス映画と多くの人々に思い出を残して消えて行った。*15

橘亭/若松座/大松座

所在地 : 長野県飯田市
開館年 : 1891年
閉館年 : 1947年
1891年(明治24年)、現在の橋南防災センターの場所に寄席の橘亭が開館した。門前へ若松を植えたことからやがて若松座と改め、主に新派の演劇を上演していた。1932年(昭和7年)には大松座に改称し、戦後すぐの1945年(昭和20年)12月には「市長公選、在外同胞救済、失業対策の確立、家庭用塩の増配」等の決議をした市民大会が開かれた。1947年(昭和22年)4月の飯田大火で焼失した。写真あり。*16}

1947年以後1954年以前の大松座跡地の写真あり。1947年(昭和22年)の飯田大火後、上常盤町や扇町の南側は防火のための緑地帯となり、建物の建設が禁じられた。大松座の経営者は北側に移転し、映画の常設館である常盤劇場を開館させた。大火が起こる原因は鼎側から松川を越えて吹き上げる風であるとされ、1954年(昭和29年)には防風を兼ねた施設として復興記念館が建てられた。現在は橋南防災センター(橋南公民館)に建て替えられている。*17

飯田劇場/飯田会館

所在地 : 長野県飯田市
開館年 : 1925年(飯田劇場として)、1938年(飯田会館として)
閉館年 : 1947年
1925年(大正14年)には飯田劇場が開館したが、1932年(昭和7年)2月の失火により焼失した。その後株式を募り、1938年(昭和13年)3月に飯田会館として再建された。1996年現在では信南交通バスターミナルの一角に位置していた。1947年の飯田大火で焼失する前の飯田会館の写真あり。*18

戦前の興行中の劇場「飯田会館」の写真あり。*19

銀星会館

所在地 : 長野県飯田市主税町
開館年 : 1949年12月
閉館年 : 1969年10月?、1970年?
銀星会館の写真あり。1949年(昭和24年)12月、洋画専門の映画館として主税町に銀星会館が開館した。1990年現在のリンク会館の場所である。建物の正面にはアメリカの映画製作各社のマークがつけられていたが、やがて外されて「The Ginsei」の文字に代わった。1969年(昭和44年)10月に閉館した。*20

1950年(昭和25年)には主税町に洋画を専門とする銀星会館が開館した。銀星会館は1970年(昭和45年)に閉館した。*21}

飯田中央劇場1/飯田千劇1/飯田千劇シアター1/飯田センゲキシネマズ1

所在地 : 長野県飯田市中央通り1-5
開館年 : 1953年以後
閉館年 : 営業中
座席数 : 270席(1990-1992)→234席(1993-1995)→217席(1996-1998)
Wikipedia : 飯田センゲキシネマズ

1947年(昭和22年)の飯田大火前に電気館があった場所には、飯田大火後に中劇が開館した。やがて千劇と改称し、2016年現在はセンゲキシネマズとなっている。昭和30年代前半の中劇時代の写真あり。*22

下荒町にある中央通り、1988年現在の中劇付近の1947年以前の写真あり。右側に映画の常設館である電気館帝国館が並んでいる。1947年(昭和22年)の飯田大火後に中央劇場が建てられた。*23

1962年(昭和37年)の中央劇場の写真あり。*24

1962年(昭和37年)の中劇の食堂の写真あり。映画館の中劇に併設された大衆食堂であり、入口・内部ともに映画ポスターや映画俳優/女優のポスターで飾られていた。*25

飯田中央劇場2/飯田千劇2/飯田千劇シアター2/飯田センゲキシネマズ2

所在地 : 長野県飯田市中央通り1-5
開館年 : 1953年以後
閉館年 : 営業中
座席数 : 174席(1990-1992)→168席(1993-1998)

飯田センゲキシネマズ3

所在地 : 長野県飯田市中央通り1-5
開館年 : 1998年以後
閉館年 : 営業中
座席数 :

飯田常盤劇場/飯田トキワ劇場

所在地 : 長野県飯田市銀座5-2
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 飯田トキワ劇場

昭和30年代の常盤劇場の前の写真あり。常磐町を信南交通の旧型バスが走っている。まだ道路に横断歩道はなく、和服姿の市民もちらほらと見える。*26

下伊那郡阿智村

駒場劇場

所在地 : 長野県下伊那郡阿智村栄町1丁目
開館年 :
閉館年 :
阿智村誌編集委員会『阿智村誌 下巻』阿智村誌刊行委員会、1984年、pp.541-544に記載あり。未確認。

肥料屋の松岡徳右衛門が桶川藤蔵と共同で栄町一丁目に駒場劇場を設立し、1943年(昭和18年)に売却するまで映画を上映していた。*27

各年の映画館

【1990年版】
飯田中央劇場1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1991年版】
不明
【1992年版】
飯田千劇1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1993年版】
飯田千劇1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1994年版】
飯田千劇1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1995年版】
飯田千劇シアター1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1996年版】
飯田千劇シアター1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1997年版】
飯田千劇シアター1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇
【1998年版】
飯田千劇シアター1・2、飯田常盤劇場、伊那旭座、伊那映画劇場、伊那中劇

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