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hekikaicinema 2026年09月10日(木) 20:04:18履歴
沼津市の映画館を参照。
三島市の映画館を参照。
伊東市の映画館を参照。
熱海市の映画館を参照。
所在地 : 静岡県田方郡修善寺町柏久保(1973年)
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 1973年頃
跡地は「もりの歯科クリニック」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
1972年の修善寺町にあった「中央劇場」の写真あり。『キングギドラ対ゴジラ』『ガメラ対深海怪獣ジグラ』『いなかっぺ大将』の東宝作品3本立てである。修善寺駅の近くにあった。大仁町にあった映画館が閉館すると、近隣では唯一の映画館となった。*4
開館年 : 1947年5月
閉館年 : 1973年頃
跡地は「もりの歯科クリニック」。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
1972年の修善寺町にあった「中央劇場」の写真あり。『キングギドラ対ゴジラ』『ガメラ対深海怪獣ジグラ』『いなかっぺ大将』の東宝作品3本立てである。修善寺駅の近くにあった。大仁町にあった映画館が閉館すると、近隣では唯一の映画館となった。*4
所在地 : 静岡県田方郡土肥町土肥311(1981年)
開館年 : 1926年7月、1978年頃(建て替え)
閉館年 : 1981年頃
映画館の建物は「スナック雅」として現存。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
1927年の『大日本職業別明細図之内』「土肥温泉」には「演芸館」が描かれている。*5
開館年 : 1926年7月、1978年頃(建て替え)
閉館年 : 1981年頃
映画館の建物は「スナック雅」として現存。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
1927年の『大日本職業別明細図之内』「土肥温泉」には「演芸館」が描かれている。*5
所在地 : 静岡県田方郡伊豆長岡町古奈(1964年)
開館年 : 1912年2月
閉館年 : 1964年頃
吉田初三郎『伊豆霊湯長岡温泉名所図絵』大和宇平、1923年には「劇場」が描かれている。(※菖蒲座のことはどうかは不明)*6
1951年6月23日、伊豆長岡町立長岡小学校でナトコ映写機の技術講習会が開催された。ナトコ映写機やフィルムが学校に貸与され、小学校では映画教室の時間が設けられた。1948年から1953年にかけて、「あやめ座」・長岡小学校・江間小学校で上映された映画としては、『鐘の鳴る丘』、『風の子』、『村八分』、『ひげのある天使』、『せむしの子馬』、『トランペット少年』、『三太頑張れ』、『水島山の少年』、『にしん』、『あげはちょう』、『消えた子牛』、ウォルト・ディズニー最初の長編色彩漫画『白雪姫』などがある。*7
開館年 : 1912年2月
閉館年 : 1964年頃
吉田初三郎『伊豆霊湯長岡温泉名所図絵』大和宇平、1923年には「劇場」が描かれている。(※菖蒲座のことはどうかは不明)*6
1951年6月23日、伊豆長岡町立長岡小学校でナトコ映写機の技術講習会が開催された。ナトコ映写機やフィルムが学校に貸与され、小学校では映画教室の時間が設けられた。1948年から1953年にかけて、「あやめ座」・長岡小学校・江間小学校で上映された映画としては、『鐘の鳴る丘』、『風の子』、『村八分』、『ひげのある天使』、『せむしの子馬』、『トランペット少年』、『三太頑張れ』、『水島山の少年』、『にしん』、『あげはちょう』、『消えた子牛』、ウォルト・ディズニー最初の長編色彩漫画『白雪姫』などがある。*7
所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取801(1970年)
開館年 : 1953年
閉館年 : 1970年頃
映画館の建物は「静岡銀行稲取支店」北東110mに民家として現存。最寄駅は伊豆急行線伊豆稲取駅。
1953年には稲取の東町に「オリオン座」が開館し、「中央劇場」と2館体制が続いた。昭和30年代以降の映画は斜陽となり、まずオリオン座が閉館した。平成初期には中央劇場も姿を消した(※平成初期に営業終了したという意味なのか取り壊されたという意味なのかは不明)。*8
開館年 : 1953年
閉館年 : 1970年頃
映画館の建物は「静岡銀行稲取支店」北東110mに民家として現存。最寄駅は伊豆急行線伊豆稲取駅。
1953年には稲取の東町に「オリオン座」が開館し、「中央劇場」と2館体制が続いた。昭和30年代以降の映画は斜陽となり、まずオリオン座が閉館した。平成初期には中央劇場も姿を消した(※平成初期に営業終了したという意味なのか取り壊されたという意味なのかは不明)。*8
所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取415(1977年)
開館年 : 1937年7月
閉館年 : 1978年
跡地は「東伊豆町いきいきセンター」から道路を挟んで北東の「中央プラザ」。最寄駅は伊豆急行線伊豆稲取駅。
東伊豆町の稲取地区には「オリオン劇場」と「中央劇場」、城東地区には「白田劇場」と「熱川劇場」があったが、昭和40年代初頭には「中央劇場」を除く3館が閉館した。*9
明治30年代、稲取の田町に「どんどろ」という芝居小屋が開館し、アメヤ芝居や浪花節の興行が行われた。大正中期には映画の上映も開始された。その後経営者が変わって下清水に移転し、戦後には映画常設館「中央劇場」となった。1931年には字向井に「稲取館」も開館し、中央劇場と稲取館の2館体制が続いたが、1943年には稲取館が閉館した。*10
1951年(※ただし映画ポスターは1952-53年)頃の賀茂郡稲取町にあった「中央劇場」の写真あり。『銭形平次捕物控 からくり屋敷』(1953年)や遠山金四郎シリーズの『飛びっちょ判官』(1952年)の写真あり。*11
1950年の賀茂郡稲取町にあった「稲取中央劇場」の写真あり。大正時代には喜遊座という芝居小屋だったが、やがて映画館に転換し、無声映画・天然色映画・シネスコープの時代を通じてにぎわった。稲取町唯一の娯楽施設だった。1978年に閉館すると中央プラザとなり、ヤオハンの衣料部がテナントに入っていた。ヤオハンが旧静岡県立稲取高校跡地に移転すると、2006年現在は福祉関係の事務所が一部を利用している。1950年の写真あり。*12
開館年 : 1937年7月
閉館年 : 1978年
跡地は「東伊豆町いきいきセンター」から道路を挟んで北東の「中央プラザ」。最寄駅は伊豆急行線伊豆稲取駅。
東伊豆町の稲取地区には「オリオン劇場」と「中央劇場」、城東地区には「白田劇場」と「熱川劇場」があったが、昭和40年代初頭には「中央劇場」を除く3館が閉館した。*9
明治30年代、稲取の田町に「どんどろ」という芝居小屋が開館し、アメヤ芝居や浪花節の興行が行われた。大正中期には映画の上映も開始された。その後経営者が変わって下清水に移転し、戦後には映画常設館「中央劇場」となった。1931年には字向井に「稲取館」も開館し、中央劇場と稲取館の2館体制が続いたが、1943年には稲取館が閉館した。*10
1951年(※ただし映画ポスターは1952-53年)頃の賀茂郡稲取町にあった「中央劇場」の写真あり。『銭形平次捕物控 からくり屋敷』(1953年)や遠山金四郎シリーズの『飛びっちょ判官』(1952年)の写真あり。*11
1950年の賀茂郡稲取町にあった「稲取中央劇場」の写真あり。大正時代には喜遊座という芝居小屋だったが、やがて映画館に転換し、無声映画・天然色映画・シネスコープの時代を通じてにぎわった。稲取町唯一の娯楽施設だった。1978年に閉館すると中央プラザとなり、ヤオハンの衣料部がテナントに入っていた。ヤオハンが旧静岡県立稲取高校跡地に移転すると、2006年現在は福祉関係の事務所が一部を利用している。1950年の写真あり。*12
所在地 : 静岡県賀茂郡松崎町松崎355(1997年)
開館年 : 1927年以前、1950年4月
閉館年 : 1997年頃
映画館の建物は「静岡中央銀行松崎支店」南東80mの「ファミリー焼肉大門」として現存。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
1927年の『大日本職業別明細図之内』「松崎町」には「松崎劇場」が描かれている。*13
2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
開館年 : 1927年以前、1950年4月
閉館年 : 1997年頃
映画館の建物は「静岡中央銀行松崎支店」南東80mの「ファミリー焼肉大門」として現存。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
1927年の『大日本職業別明細図之内』「松崎町」には「松崎劇場」が描かれている。*13
2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
所在地 : 静岡県賀茂郡西伊豆町田子1155-1(2011年)
開館年 : 1945年、1950年8月、1977年頃(ビル化)
閉館年 : 2011年頃
映画館の建物は「かしわや食堂」などとして現存。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
伊豆半島の中央部・南部唯一の映画館である田子劇場は、1999年現在でも営業を続けている。100席と小さな映画館であり、戦後すぐの1945年に開館した。当時は娯楽が乏しい時代であり、立ち見は当たり前、連日盛況だった。カツオ漁船に乗り組んでいた漁師は、漁から戻ると映画を観て一杯やるのが楽しみだった。2代目経営者の真野昭元(65歳)は、合わせて経営している飲食店の収入で食いつないでいる。アクション作品やアニメ作品は観客が多いが、文芸作品は観客が少ないという。*14
「田子劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*15
2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。
開館年 : 1945年、1950年8月、1977年頃(ビル化)
閉館年 : 2011年頃
映画館の建物は「かしわや食堂」などとして現存。最寄駅は伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅。
伊豆半島の中央部・南部唯一の映画館である田子劇場は、1999年現在でも営業を続けている。100席と小さな映画館であり、戦後すぐの1945年に開館した。当時は娯楽が乏しい時代であり、立ち見は当たり前、連日盛況だった。カツオ漁船に乗り組んでいた漁師は、漁から戻ると映画を観て一杯やるのが楽しみだった。2代目経営者の真野昭元(65歳)は、合わせて経営している飲食店の収入で食いつないでいる。アクション作品やアニメ作品は観客が多いが、文芸作品は観客が少ないという。*14
「田子劇場」に言及している書籍として、中馬聰『映画館 中馬聰写真集』リトルモア、2015年がある。*15
2021年1月にWeb OYA-bunko(大宅壮一文庫)で検索したが有意な言及は発見できず。

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