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東北地方 青森県

青森市

奈良屋劇場/シネマディクト
所在地 : 青森県青森市古川1-21-18(1990年)
開館年 : 1954年(奈良屋劇場)、1997年3月15日(シネマディクト)
閉館年 : 営業中
Wikipedia : シネマディクト
1960年の映画館名簿では「奈良屋東映」。1969年の映画館名簿では「青森奈良屋東映」。1980年・1990年の映画館名簿では「奈良屋劇場」。2000年・2010年の映画館名簿では「シネマディクトルージュ・シネマディクトノアール」(2館)。

1997年3月15日、11か月前に閉館した奈良屋劇場跡地をそのまま使用した映画館「シネマディクト」が開館した。シネマディクトとは「映画中毒者」を意味する。150席の「ルージュ」、55席の「ノアール」の2スクリーン。それぞれ赤色と黒色の座席はフランスから買い付けた。最新式のデジタル音響設備も導入した。*1

弘前市

弘前市の映画館
弘前東宝スカラ座は経営者が同じであり、弘前東宝は東宝の封切館であり、スカラ座は洋画の封切館である。弘前大映慈善館は大映封切館である。百石町には松竹直営で松竹封切館の弘前大和館がある。弘前東映は東映直営である。弘前日活は国営社直営で日活と新東宝の封切館である。国際劇場は洋画封切館である。国民劇場は洋画番外である。弘前駅前には弘前ニュース劇場がある。駅前劇場の通称を持つ弘前映画劇場は東映二番館かつ日活と新東宝の再映館である。百石町には洋画の有楽座、大映と新東宝ほかの再映館である弘前オリオン座、松竹や東宝ほかの再映管である弘前日本劇場がある。洋画再映館の光映画劇場は1956年春に焼失したが、現在再建中で近く開館の見込みである。
*2

弘前市は青森市・八戸市に次いで第3位の人口14万人を持ち、映画館は14館がある。市街地は戦災を受けておらず、乞食が1人もいないといわれるほど住みよい町である。弘前大映慈善館、弘前ニュース劇場、弘前映画劇場、弘前オリオン座、国際劇場、弘前東宝、スカラ座、国民劇場、有楽座、弘前東映劇場、弘前日本劇場、弘前大和館、光映画劇場、弘前日活の写真あり。
*3

東北地方 岩手県

岩手県北上市

ワーナー・マイカル・シネマズ北上/イオンシネマ北上
所在地 : 岩手県北上市本通り2丁目2-1 さくら野百貨店北上店5階
開館年 : 2000年3月3日
閉館年 : 営業中
2000年3月3日、北上市の中心市街地再開発の核となる商業ビルに映画館「ワーナー・マイカル・シネマズ北上」が開館する。7スクリーン計1317席を有する、岩手県初のシネコンである。北上市では10年以上前に「寿座」が閉館し、映画館の空白地帯となったため、映画ファンは約50km離れた盛岡市まで足を運ぶ必要があった。寿座の閉館から2年後には映画上映サークル「北上シネマパラダイス」が結成され、8年間で40作品以上を上映してきたが、「シネコンを応援したい」として自主上映活動をやめるとしている。*4

陸前高田市

高田公友館
所在地 : 岩手県陸前高田市館の沖21-1(1990年)
開館年 : 1947年頃
閉館年 : 2004年10月22日
1953年・1960年・1969年・1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「高田公友館」。

2004年10月22日、陸前高田市の映画館「高田公友館」が閉館する。220席。気仙地域唯一の映画館だった。観客数の減少や建物の老朽化が理由。終戦頃に演劇場として開館し、1947年頃に映画館となった。1962年には漏電が理由の火災で焼失したが、すぐに再建された。*5

東北地方 秋田県

秋田市

シネマパレ
所在地 : 秋田県秋田市千秋久保田町4番2号 秋田フォーラス8階(現・秋田オーパ)
開館年 : 1985年11月30日
閉館年 : 2017年2月26日
Wikipedia : 秋田オーパ
1985年11月30日に開館。当初は東宝の封切館であり、『千と千尋の神隠し』を上映していた時には年商が1億円を超えていた。郊外にシネコンができたりして客数が減少。2003年に川口豊が運営にかかわると、ミニシアター系の作品を上映したり、名画座形態に変更したりした。近年は1カ月当たりの客数が300人にとどまっていた。2017年2月26日に31年の歴史に幕を閉じて閉館した。最終上映は『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』。座席数は150席。*6

秋田フォーラスのビルに改装に伴って、最上階のシネマパレが閉館する。客席は傾斜が少なく、座席は赤い別珍であり、扉は革張り風である。*7
イオン秋田 TOHOシネタウン/TOHOシネマズ秋田
所在地 : 秋田県秋田市御所野地蔵田一丁目1番1号 イオンモール秋田内
開館年 : 2001年12月22日
閉館年 : 営業中
2001年12月下旬、秋田市御所野地蔵田のイオン秋田ショッピングセンターに秋田県初のシネコン「TOHOシネタウン」が開館する。映画館棟はメイン棟の西側に建設され、連絡通路でつながっている。8スクリーン計1681席。428席のシネマ2が最大。秋田県初のシネコンであり、2001年現在で東北最大級のシネコンとされる。*8

金浦町

金浦港映劇/金浦港映画劇場
所在地 : 秋田県由利郡金浦町字金浦374-1(1990年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1990年5月
1980年の映画館名簿では「金浦港映劇」。1990年の映画館名簿では「金浦港映画劇場」。

1999年3月20日と3月21日、金浦町で映画祭が開催される。『砂の器』や『レオン』などが上映され、石井輝男監督のトークショーなども開催される。。会場は金浦町唯一の映画館だった金浦港映画劇場。1957年、酒田市出身の高橋久雄が開館させ、146席の映画館は漁師や地元住民で満席だった。1980年代には赤字となり、1990年5月に閉館した。*9

東北地方 山形県

山形市

新山形にっかつ
所在地 : 山形県山形市幸町1-2(1990年)
開館年 : 1974年頃
閉館年 : 1999年5月1日
1990年の映画館名簿では「山形にっかつ劇場」。

1999年5月1日をもって、JR山形駅前の新山形にっかつが閉館した。観客数の減少による経営難が理由。25年ほど前に、現在と同じ商業ビルの地下で日活の直営館として開館した。3本立てを1週間交代で上映し、年間約150本を上映した。119席の館内は立ち見状態だったといい、女優の舞台挨拶ではビルの周りにも観客が押し寄せたという。山形県内の成人映画館は山形市本町2丁目の山形ロマン映劇のみとなった。全国的には最盛期の半分の300館を切ったとされる。*10

鶴岡市

鶴岡シネマ旭
所在地 : 山形県鶴岡市本町2-1-6(1990年)
開館年 : 1974年
閉館年 : 2002年4月14日
1980年・1990年の映画館名簿では「鶴岡シネマ旭」。2000年の映画館名簿では「鶴岡シネマ旭1・2・3」(3館)。

2002年4月14日、鶴岡市の映画館「鶴岡シネマ旭」と酒田市の映画館「酒田シネマ旭」が揃って閉館する。両館の経営は山形市の宮崎合名社。2001年8月に三川町に開館したシネコンに観客が流れたため。宮崎合名社は2002年1月に酒田市の「酒田港座」も閉館させている。2館の閉館によって山形県庄内地方の従来型映画館は姿を消す。2館とも1974年に開館しており、鶴岡シネマ旭はボウリング場を併設していた。*11

酒田市

酒田シネマ旭
所在地 : 山形県酒田市中町3-3-1(1990年)
開館年 : 1974年
閉館年 : 2002年4月14日
1980年の映画館名簿では「酒田シネマ旭」。1990年・2000年の映画館名簿では「酒田シネマ旭1・2」(2館)。

2002年4月14日、鶴岡市の映画館「鶴岡シネマ旭」と酒田市の映画館「酒田シネマ旭」が揃って閉館する。両館の経営は山形市の宮崎合名社。2001年8月に三川町に開館したシネコンに観客が流れたため。宮崎合名社は2002年1月に酒田市の「酒田港座」も閉館させている。2館の閉館によって山形県庄内地方の従来型映画館は姿を消す。2館とも1974年に開館しており、鶴岡シネマ旭はボウリング場を併設していた。*12

東北地方 福島県

福島市

フォーラム福島
所在地 : 福島県福島市曽根田町7-8
開館年 : 1987年
閉館年 : 営業中
1998年3月、福島市に7スクリーンの「ワーナー・マイカル・シネマズ福島」が開館した。数百メートルの距離にはミニシアター系作品を多く上映する「福島フォーラム」があり、福島フォーラムのファンによってシネコン進出反対の署名活動が行われた。人口約30万人の福島市で約4万人分の署名が集まったが、ワーナー・マイカル・シネマズ福島は予定通り開館した。年間約30万人だった福島フォーラムの観客数は、1998年度には約15万人と半減した。ワーナー・マイカル・シネマズ福島の観客数は、1998年12月からの1年間で約48万人である。福島フォーラムの支配人は「ハリウッド映画を好む若い層がシネコンに流れた」とするが、福島フォーラムは独自企画でファン層を広げており、福島市の映画人口自体が増えているという。*13
ワーナー・マイカル・シネマズ福島/イオンシネマ福島
所在地 : 福島県福島市曽根田町1-18 MAXふくしま5階
開館年 : 1998年3月
閉館年 : 営業中
1998年3月、福島市に7スクリーンの「ワーナー・マイカル・シネマズ福島」が開館した。数百メートルの距離にはミニシアター系作品を多く上映する「福島フォーラム」があり、福島フォーラムのファンによってシネコン進出反対の署名活動が行われた。人口約30万人の福島市で約4万人分の署名が集まったが、ワーナー・マイカル・シネマズ福島は予定通り開館した。年間約30万人だった福島フォーラムの観客数は、1998年度には約15万人と半減した。ワーナー・マイカル・シネマズ福島の観客数は、1998年12月からの1年間で約48万人である。福島フォーラムの支配人は「ハリウッド映画を好む若い層がシネコンに流れた」とするが、福島フォーラムは独自企画でファン層を広げており、福島市の映画人口自体が増えているという。*14

郡山市

郡山パレス機Ν/アートパレス1・2・3・4
所在地 : 福島県郡山市駅前2-7-2(1990年)
開館年 : 1967年(開館)、1994年(移転)
閉館年 : 1999年6月29日
1990年時点では郡山市駅前2-7-2の郡山パレス機Ν兇里曚に、郡山市駅前1-4-8に郡山東映パレスが、郡山市大町1-4-16に郡山洋画パレスがあった。

1999年6月29日、郡山市堤下町の映画館「アートパレス」が閉館した。4スクリーン。福島地方裁判所郡山支部に自己破産を申し立てて閉館した。負債額は2億8000万円。1967年に国鉄郡山駅前に開館し、4館を経営していた。1994年には現在地に約3億円かけて4スクリーンの映画館を建設して移転した。1980年以降の十数年間は毎年2億円以上の収入があったが、1998年9月期は1億1000万円だった。*15

いわき市

三函座
所在地 : 福島県いわき市常磐湯本町
開館年 : 明治30年代、1918年
閉館年 : 1982年
2010年6月13日、いわき市常磐湯本町にあった「三函座」の建物の見学会が開催された。木造2階建て、420平方メートル。かまぼこ型の屋根が特徴。明治30年代に芝居小屋として建設され、1918年に映画館に改造された。1982年に閉館し、2007年には国の登録有形文化材となった。*16

南相馬市

朝日座
所在地 : 福島県南相馬市原町区大町1
開館年 : 1923年、1952年
閉館年 : 1991年
1923年(大正12年)には芝居小屋兼活動写真館として旭座が開館。1952年(昭和27年)には朝日座に改称して映画専門館となった。1991年(平成3年)の『ホーム・アローン』『シザーハンズ』の上映を最後に閉館。その後もスクリーンなどは残し、小規模な鑑賞会などが開催されている。建物は「旧朝日座」として登録有形文化財となっている。*17

関東地方 群馬県

太田市

太田ゆうき座・太田シネマ
所在地 : 群馬県太田市
開館年 : 1947年、1976年(移転)
閉館年 : 1988年12月
1988年12月初頭、太田市の映画館「太田ゆうき座」と「太田シネマ」が揃って閉館した。両館は東武鉄道太田駅南口のビル内にあり、太田ゆうき座が邦画、太田シネマが洋画を上映していた。いずれも140席。1947年に太田駅北口に開館させ、1976年に太田駅南口に移転させた。現在は太田市内でホテルを経営する永島康弘が両館を経営していた。建物はビジネスホテルに生まれ変わる。これによって太田市から一般映画館がなくなり、成人映画館とドライブインシアター1館ずつとなった。*18

沼田市

沼田テアトル映画館
所在地 : 群馬県沼田市
開館年 : 1956年12月
閉館年 : 1988年
1988年には沼田市の映画館「沼田テアトル映画館」が閉館した。1956年12月に開館し、32年間にわたって日活系の映画を上映していた。昭和20-30年代の沼田市には4館の映画館があったが、現在は沼田テアトル映画館と「沼田キネマ映画館」の2館のみとなっていた。両者はいずれも石崎興行の経営。沼田キネマ映画館は1930年開館の映画館であるが、1974年には建物を建て替え、ホテルやテナントが入る映画館ビルを建設した。沼田テアトル映画館の閉館により、沼田キネマ映画館は利根沼田地方で唯一の映画館となる。*19
沼田キネマ映画館
所在地 : 群馬県沼田市
開館年 : 1930年
閉館年 :
1988年には沼田市の映画館「沼田テアトル映画館」が閉館した。1956年12月に開館し、32年間にわたって日活系の映画を上映していた。昭和20-30年代の沼田市には4館の映画館があったが、現在は沼田テアトル映画館と「沼田キネマ映画館」の2館のみとなっていた。両者はいずれも石崎興行の経営。沼田キネマ映画館は1930年開館の映画館であるが、1974年には建物を建て替え、ホテルやテナントが入る映画館ビルを建設した。沼田テアトル映画館の閉館により、沼田キネマ映画館は利根沼田地方で唯一の映画館となる。*20

関東地方 茨城県

水戸市

京王プラザ・京王グランド
所在地 : 茨城県水戸市
開館年 : 1963年
閉館年 : 1988年10月28日(京王プラザ)、11月25日(京王グランド)
1988年10月28日には水戸市天王町の映画館「京王プラザ」(180席)が、11月25日には同一ビル内の映画館「京王グランド」(485席)が閉館する。1963年に京王映画の直営館として開館したが、京王グループは映画事業からの撤退を決定していた。1989年の正月興行を最後に水戸市南町1丁目の「京王東宝」(294席)の運営からも撤退するが、京王東宝は東宝系の封切館として上映が続けられる予定。*21
テアトル西友1・2
所在地 : 茨城県水戸市
開館年 : 1988年4月
閉館年 :
1988年4月末、水戸駅前の西武百貨店水戸店6階に「テアトル西友1」(84席)と「テアトル西友2」(260席)が開館した。1客20万円以上するフランス製の椅子が売りであり、美術館のような落ち着いた雰囲気を有している。西武系の配給会社であるシネセゾンから配給を受ける。*22

土浦市

土浦劇場
所在地 : 茨城県土浦市桜町3丁目
開館年 : 1928年
閉館年 : 1988年6月頃
1988年のこのほど、土浦市桜町3丁目の映画館「土浦劇場」が閉館した。60年前の1928年に開館し、昭和初期には製糸業の女工らの憩いの場だった。同時期には小野座(現在の土浦日活)、銀映座(現在の土浦東映)、霞浦劇場も開館し、土浦市には4館の映画館があった。海軍の兵隊や予科練生にも親しまれ、戦後の昭和20年代には若者でにぎわった。*23
土浦日活
所在地 : 茨城県土浦市中央2丁目
開館年 : 1939年
閉館年 : 1989年7月頃
1989年のこのほど、土浦市中央2丁目の映画館「土浦日活」が閉館した。現在の土浦市には12館の映画館があり、人口規模を考えると全国屈指の激戦区だった。明治30年代に芝居小屋として開館し、1939年に建て替えて東宝系の映画館となった。1955年には茨城県初の冷暖房完備の映画館となり、洋画上映館に転向して『風と共に去りぬ』などを上映した。東京と同時に公開することができ、「洋画の殿堂」と呼ばれた。1965年には日活の直営となり、1971年には日活ロマンポルノの上映館となった。1988年からは一般作品のロッポニカ路線に切り替えたが、すぐに成人映画の上映館に戻している。*24

那珂市

あまや座
所在地 : 茨城県那珂市瓜連1243
開館年 : 2017年10月14日
閉館年 : 営業中
2017年10月14日、那珂市瓜連に映画館「あまや座」が開館する。JR水郡線瓜連から徒歩5分の場所であり、2015年に閉店したスーパー「あまや」の敷地内にある。座席数は31席、パイプ椅子を含めても収容人数は最大約40人である。運営は大内靖(31)が代表を務める「アウチキネマ」。地域活性化を担う「カスミガプロジェクト」が空き店舗の活用のために映画館を提案し、水戸市で映像製作会社に勤務する大内が開館にこぎつけた。オープニング作品は『八重子のハミング』など4作品であり、初日には佐々部清監督と主演の升毅が来館する。*25

2017年10月、那珂市のJR瓜連駅近くに茨城県北唯一のミニシアターである「あまや座」が開館した。2015年夏ころに空き店舗の活用を検討する社団法人「カミスガプロジェクト」が映画館の開館を目指すプロジェクトを開始させ、クラウドファウンディングなどで資金を調達。椅子は東京都の閉館した映画館から譲り受けた。*26

関東地方 栃木県

宇都宮市

テアトル宇都宮
所在地 : 栃木県宇都宮市曲師町
開館年 : 1981年
閉館年 : 2001年2月9日
2001年(平成13年)1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年(平成8年)には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*27

足利市

中央劇場
所在地 : 栃木県足利市通3丁目
開館年 :
閉館年 : 2001年1月31日
2001年(平成13年)1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年(平成8年)には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*28

関東地方 群馬県

前橋市

前橋テアトル西友/シネマ前橋/前橋シネマハウス
所在地 : 群馬県前橋市千代田町5-1-16 アーツ前橋3階
開館年 : 2018年3月17日(前橋シネマハウス)
閉館年 : 営業中
2018年3月17日に前橋シネマハウスが開館する。前橋テアトル西友やシネマ前橋として愛されたスクリーンを前橋市が改修して復活させた。市は中心街の新たなにぎわい拠点にしたい考え。116席。ミニシアター系の作品、公開から半年-1年経ったメジャー作品、往年の名画、アニメなどを上映。1日2作品を2回ずつ、年間約50作品の上映を予定。2006年1月、西武系列の商業施設の閉館とともに前橋テアトル西友も閉館。2009年から2011年頃まではNPO法人がシネマ前橋を運営し、過去の名画を中心に上映。近年はイベント用の貸施設として使用され、映画館としては活用されなかった。市は約400万円を投じてスクリーンや座席を改修し、映写機と音響機器を更新。運営は市まちづくり公社に委託。3月17日から3月30日は『ムーンライト』『ラ・ラ・ランド』『湯を沸かすほどの熱い愛』『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』の4作品を上映。*29

関東地方 千葉県

千葉市

千葉にっかつ劇場/ロッポニカ千葉/シネロマン千葉
所在地 : 千葉県千葉市中央区中央1丁目1-12
開館年 : 1979年6月3日
閉館年 : 2006年6月29日
2006年6月29日をもって、千葉市中央区中央1丁目の成人映画館「シネロマン千葉」が閉館する。千葉市唯一の成人映画館だった。1979年6月3日に日活直営の千葉にっかつ劇場として開館。千葉にっかつ、ロッポニカ千葉と改称し、1990年にシネロマン千葉となった。最盛期の1982年から1983年頃には、週末に1日約400人、平日に1日約200人が来館した。現在は週末でも1日100人に届かない。アダルトビデオの普及で成人映画の需要が減ったといい、漫画喫茶やカラオケ店の普及でオールナイトの客が減ったという。映写室が雨漏りするなど老朽化が激しかった。*30

関東地方 埼玉県

川越市

鶴川座/川越鶴川座
所在地 : 埼玉県川越市連雀町(1960年)
開館年 : 1898年
閉館年 : 1960年以後1969年以前?
1894年には芝居小屋「川越座」が開館し、6年後に「鶴川座」に改称した。太平洋戦争中には東京の劇場が空襲で多数焼失したことから、鶴川座でも人気芸人や歌手の興行が行われた。戦後には美空ひばりの興行も行われた。その後は映画館に転換し、映画館が閉館すると、1998年には書画や骨董などの卸売店となったが、2004年夏にはこの卸売店も閉店した。現在でも、回り舞台・奈落・映写室などの設備が残されている。会社員の酒井道啓(32)は築100年以上の古い建物に興味を持ち、私財を投じて改修。2005年5月にはライブハウス「TURUKAWA 創奏」がオープンする。格天井や映写室/映写機などは残しており、映画ポスターや看板などを展示する予定である。*31

前身の芝居小屋が1893年(明治26年)の川越大火で焼失すると、1898年(明治31年)に鶴川座が建設された。映画上映や芸能人の興行などに利用されたが、約20年前に閉館していた。雑貨店やライブハウスとして使われた時期もあった。首都圏では唯一とされる明治期の回り舞台が遺構として残っている。2014年から地元商店主らによる保存検討がなされてきたが、耐震・耐火工事などで費用がかかることなどから、2018年に保存を断念した。*32

2019年7月31日、埼玉県川越市連雀町にあるかつての映画館「鶴川座」の取り壊しが始まった。跡地には外国人向けホテルが建設される予定。1898年(明治31年)の建築であり、壁板に直接しっくいを塗った疑似土蔵造である。開館当時は花道や回り舞台があり、歌舞伎などの興行が行われたが、1922年(大正11年)頃に外壁をタイル張りとし、花道をなくした洋風劇場に改築された。戦後には外壁がトタン張りとなり、映画館に転換された。2006年から閉鎖されていた。*33

川口市

川口東映劇場
所在地 : 埼玉県川口市川口6-3-28(1980年・1990年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1996年4月30日
1996年4月30日、川口市川口6丁目の映画館「川口東映劇場」が閉館する。施設の老朽化が理由。最盛期の川口市には8館の映画館があったが、成人映画館1館のみとなる。1955年に開館し、火災で焼失後には同じ場所に再建した。木造モルタル、224人収容。鋳物工場の従業員らでにぎわった。*34

秩父市

秩父座/松竹秩父国際劇場
所在地 : 埼玉県秩父市宮側町18−7
開館年 : 1902年
閉館年 : 1983年
2013年5月、松竹秩父国際劇場の建物を改修したレストランが営業を開始した。建物は明治30年代に芝居小屋として建てられ、昭和に入って映画館となった。外観は東京・浅草の国際劇場を模している。合掌造りの梁など明治期の木造建築の一部を残し、外観は映画館を再現した。松竹秩父国際劇場は約30年前に閉館した。*35

1902年に芝居小屋の秩父座として開館。珍しい大型木造合掌造りの建物である。1942年に映画館に転換し、1950年に松竹秩父国際劇場となった。秩父市最後の映画館だったが、1983年に閉館した。以後は倉庫として使用されていたが、所有者一家の上石有規がイタリアンレストランの開業を計画した。地元住民らも愛着ある建物を残したいと考え、秩父市商店連盟事業協同組合も協力している。地域商店街活性化法に基づく勲位御補助金を受けて改修工事を行う。外観は浅草の国際劇場を模したとされる。*36

幸手市

幸手劇場
所在地 : 埼玉県北葛飾郡幸手町中1-13-15(1980年)、埼玉県幸手市中1-13-15(1990年・2000年)
開館年 : 1947年
閉館年 : 2005年9月25日
1997年12月、幸手市の映画館「幸手劇場」が開館50周年を迎える。幸手市の人口は5万8000人であり、映画館がある町としては埼玉県最小。木造300席。1947年には「幸手劇場」が開館したが、開館3か月前には建設中の劇場がカスリーン台風で水浸しとなっている。1952年には現在の経営者の父親が経営を引き継ぎ、1977年頃に改築を行っている。1997年10月1日の幸手市制施行記念日には、幸手市から地域文化の振興に貢献したとして表彰された。*37

関東地方 東京都

墨田区

墨田区の戦前の映画館
墨田区域(戦前の本所区と向島区)最古の映画館は、業平橋1丁目にあった業平座であるが、太平洋戦争の戦災で焼失したまま復興しなかった。緑町1丁目には相生館(両国日活館)が、石原町3丁目には第八福宝館(後の本所日活館)があった。第八福宝館は日活の前身の映画会社の福宝堂が設置した映画館である。福宝堂は東京市に1区1館の映画館を設置することを目標とし、1910年(明治43年)の四谷第四福宝館など8館の福宝館を開館させている。1936年(昭和11年)の墨田区域には、寺島町に向島劇場・向島キネマ・向島館・南竜館・寺島電気館・玉ノ井館などがあった。吾嬬町には吾嬬館・橘館・請地館・東成館・宮戸館があった。隅田町には映画館がなかった。*38
墨田区の戦後の映画館
1958年(昭和33年)1月時点の墨田区には29館の映画館があった。*39
江東劇場----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
錦糸町映画館------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東文化劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
めばえ座----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東東映映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
本所映画館--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
リッツ劇場--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東地下劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東名画座--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東花月映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
両国日活映画劇場--緑町1丁目12番地
向島金美----------寺島町1丁目3番地
墨田文化映画館----寺島町2丁目98番地
墨田オデオン------寺島町4丁目20番地
玉ノ井東映--------寺島町7丁目78番地
玉ノ井新劇場------寺島町7丁目40番地
請地シネマ--------吾嬬町西1丁目37番地
第一南竜館--------吾嬬町西7丁目1番地
吾嬬富士館--------吾嬬町西8丁目30番地
橘新東宝----------吾嬬町西4丁目62番地
昌和シネマ--------吾嬬町西4丁目12番地
国際映画劇場------吾嬬町東5丁目7番地
菊川シネマ--------菊川1丁目9番地
石原ミリオン座----石原町3丁目9番地
墨田大成館--------寺島町6丁目29番地
朝日座------------寺島町4丁目145番地
向島館------------寺島町3丁目46番地
押上シネマ--------業平橋4丁目6番地
両国劇場----------東両国2丁目19番地
江東楽天地
1937年(昭和12年)2月27日には、工業地帯である東京市江東地域の歓楽地として、錦糸町駅前に江東楽天地が設立された。同年11月には本所映画館・江東劇場の3館の映画館が開館し、1938年(昭和13年)には遊園地の江東楽天地も開業した。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では、本所映画館以外の施設が壊滅的な被害を受けた。1946年(昭和21年)には江東劇場が営業を再開し、その後遊園地も営業を再開した。1948年(昭和23年)には江東劇場が館内の改装を行い、同年4月には関西の宝塚歌劇団が初めて江東地域で公演を行った。1956年に行われた調査によると、江東楽天地の観客の在住地は江東区が33.0%、墨田区が21.5%、江戸川区が16.0%、千葉県が10.4%、その他が19.1%であり、江東地域が80%を占めていた。*40
業平座
所在地 : 東京都本所区業平町1丁目
開館年 :
閉館年 : 1945年
昭和10年代の本所区業平町1丁目にあった業平座の写真あり。現在の墨田区域でもっとも古い映画館である。当時の東京市東部の映画の流行地は浅草六区であるが、本所にも映画館が多かった。業平座は東京大空襲で焼失した。2007年(平成19年)現在の業平座跡地に建っている民家には映写室の一部が残っている。*41
相生館/両国日活映画劇場
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「両国日活映画劇場」。

1963年頃の「両国日活」の写真あり。両国日活になる前は相生館と呼ばれていた。かつてはこの場所に本所区役所があった。*42
墨田文化映画館
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
墨田文映とも。

曳舟川通りには洋画系の墨田文化映画館があった。2007年現在の跡地には東京ホンダ向島が建っている。*43
吾嬬国際映画劇場/吾嬬国際劇場
所在地 : 東京都墨田区立花5丁目
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
1969年(昭和44年)の吾嬬国際劇場の写真あり。1987年(昭和62年)現在の同一地点の写真もあり。小村井交差点近く、「吉野家立花店」の東側。*44
江東劇場
所在地 : 東京都墨田区江東橋4-27-14(1990年)
開館年 : 1937年
閉館年 : 1990年以後
1953年(昭和28年)のゴールデンウィークには美空ひばりの公演が開催され、江東劇場は開館以来最高の収益を上げた。1953年の美空ひばり公演の写真あり。*45

世田谷区

三軒茶屋中央劇場
所在地 : 東京都世田谷区三軒茶屋1-14-5
開館年 : 1952年
閉館年 : 2013年2月14日
港町キネマ通り : 三軒茶屋中央劇場
2013年2月14日、東京都世田谷区の三軒茶屋駅前にあった三軒茶屋中央劇場が閉館した。1952年に松竹系封切館として開館。男女のかっぱの看板があるため「かっぱの映画館」としても知られた。一時期は成人映画館に転換したが、1992年に姉妹館の三軒茶屋映画劇場が閉館したことから、名作を2本立て1300円で上映する名画座となった。閉館までフィルム上映のみだった。閉館後も元従業員の映写技師らは存続を求めて署名運動も行っている。*46

調布市

イオンシネマシアタス調布
所在地 : 東京都調布市小島町2丁目61−1 トリエ京王調布C館
開館年 : 2017年9月29日
閉館年 : 営業中
2017年度には京王調布駅の駅前広場の西側に建設する商業施設に、イオンシネマが開館する予定。11スクリーンで計約2100席。うち一つは500席超の大型スクリーンとなる。2011年9月に調布駅前のパルコ調布キネマが閉館してから、「映画のまち調布」をPRしているにもかかわらず映画館がなかった。*47

西東京市

田無銀映座
所在地 : 東京都田無市
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後
1960年・1969年の映画館名簿では「田無銀映座」。

1960年の「田無銀映」の写真あり。昭和30年代の北多摩郡田無町には、西武新宿線田無駅北側に「田無館」・「田無文化」・「田無銀映」の3つの映画館があった。田無町の住民だけでなく、近隣自治体からも観客がやってきた。*48

『目で見る西東京・東久留米・清瀬の100年』p.123には「田無銀映」が掲載されている。*49
田無館
所在地 : 東京都田無市
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1966年
1927年(昭和2年)の田無館の写真あり。田無館は北多摩郡田無町初の映画館だった。1966年(昭和41年)に閉館し、跡地はイトーヨーカドーとなった。*50

立川市

立川市の映画館
1950年代の立川市には10館の映画館があり、立川市は「映画の街」と呼ばれた。JR立川駅の北側には「シネマ通り」があり、高松町3丁目の駐車場の隅には「立川シネマ発祥の地」がある。1925年に開館した立川市初の映画館「立川キネマ」(後の立川シネマ)の跡地である。立川飛行場が開設されると、兵士や従業員の娯楽の場として立川シネマが開館した。戦後には立川飛行場がアメリカ軍に接収され、東映、松竹、日活などの映画館も開館した。東映は立川駅南側にあるWINS立川の場所に、日活はスーパーいなげやの場所にあった。1969年には立川シネマが閉館し、また土地区画整理事業で南口の映画館が姿を消すと、1980年代半ばには松竹、中央、セントラルの「北口3館」だけになった。現在の立川シネマシティ・シネマワン付近である。1992年には北口の再開発のために揃って閉館し、以後の2年間は立川市から映画館がなくなった。1994年には6スクリーンの立川シネマシティが開館し、2004年には立川シネマシティ・シネマツーが開館した。シネマツーの開館時には音響設備だけで一般的な映画館の10倍以上の投資を行い、音楽ライブ用のスピーカーを導入したほか、著名な音響家が臨場感あふれる音響システムを構築した。2009年にはマイケル・ジャクソンのライブ映画『This is It』が大ヒットし、さらに初めてマサラ上映(ライブスタイル上映)を行ったことで、SNSなどで良質な音響が知られるようになった。2014年の『Godzilla ゴジラ』の上映の際には重低音を再現できるスピーカーを導入し、現在の音響システムが完成した。今日では全国に会員が広がっている。*51
立川演芸館/立川名画座
所在地 : 東京都立川市
開館年 : 1925年
閉館年 : 1986年4月
1925年(大正14年)9月には立川駅南口に、芝居などを上映する立川演芸館が開館。1935年頃から映画の上映を始め、やがて立川名画座に改称した。勝て立川駅周辺には最大10館の映画館がひしめいていた。立川名画座は1986年4月に閉館した。*52

八王子市

ニュー八王子シネマ
所在地 : 東京都八王子市横山町13-4
開館年 : 1947年以前
閉館年 : 2017年1月31日
Wikipedia : ニュー八王子シネマ
1947年頃の文献からニュー八王子の名前が登場する。1950年代の八王子駅周辺には6館の映画館があった。1964年に現在のニュー八王子ビルに移り、4階で1スクリーンだった。1992年に現在の運営会社が引き継ぎ、3階から5階の4スクリーンに増やした。ビルの建て替えに伴い、2017年1月31日で閉館した。*53

八丈町

共映会館
所在地 : 東京都八丈町字三根(1969年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1972年
1960年・1969年の映画館名簿では「共映会館」。浅丘ルリ子・山本陽子・泉雅子の3人は共映会館を訪れて舞台挨拶を行ったことがあるという。

1957年(昭和32年)には八丈町三根に映画館「共映会館」が開館した。内部は日比谷の映画館と同じ設計だった。昼夜の2本立てであり、洋画の上映も多かった。1972年に閉館した。時期不明の写真あり。*54
八丈島会館
所在地 : 東京都八丈町字三根宮の平(1969年)、東京都八丈町三根1930-1(1980年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1983年
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「八丈島会館」。1980年時点では東京都島嶼部唯一の映画館だった。跡地は「七島信用組合八丈島支店」。

1956年(昭和31年)には八丈町に映画館「八丈島会館」が開館した。座席数は320席。火災で全焼した後に小規模な映画館を再建したが、1983年(昭和58年)に閉館した。1956年の開館当時の写真あり。*55

関東地方 神奈川県

平塚市

平塚松竹映画劇場
所在地 : 神奈川県平塚市新宿(1960年)
開館年 : 1925年以前
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1953年・1960年の映画館名簿では「平塚松竹映画劇場」。1969年の映画館名簿では「平塚松竹」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。

1916年(大正5年)頃には、平塚町初の映画常設館として旭座(後の平塚旭劇場)が開館した。1925年(大正14年)の平塚町案内図には、映画館として旭座、湘南キネマ、平塚劇場が掲載されている。平塚劇場は後に平塚松竹劇場に改称し、松竹作品を上映した。2003年(平成15年)現在の跡地はマンションと駐車場になっている。*56

小田原市

小田原ロマンス座
所在地 : 神奈川県小田原市緑町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「小田原ロマンス座」。
小田原銀映座
所在地 : 神奈川県小田原市緑町(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1960年・1969年の映画館名簿では「小田原銀映座」。
シネサロン・ネムレ/にっかつロマンネムレ
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-4-1(1980年)
開館年 : 1969年以後1980年以前?
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「シネサロン・ネムレ」。1988年の住宅地図では「杉田ビル」4階の「にっかつロマンネムレ」。跡地は「スナックユリ」や「パブクラブアンアン」などがある名称不明のビル。映画館があった時代と同一の建物と思われる。
小田原オークラ劇場
所在地 : 神奈川県小田原市栄町1-14-4(1980年)
開館年 : 1969年以後1980年以前?
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「小田原オークラ劇場」。跡地は「音羽プラーザビル」北側の駐車場。
小田原みゆき座/小田原御幸座
所在地 : 神奈川県小田原市浜町1-5-35(1980年)
開館年 : 1960年(映画館化)
閉館年 : 1984年
1969年の映画館名簿では「小田原みゆき座」。1980年の映画館名簿では「小田原御幸座」。1988年の住宅地図では「小田原御幸座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。

小田原市浜松1丁目には御幸座という芝居小屋があったが、1960年(昭和35年)に映画館に転換した。1984年(昭和59年)に閉館した。「御幸座」の文字が見える1962年(昭和37年)の写真あり。*57
復興館/国際劇場/小田原日活/小田原日活国際劇場/小田原国際劇場・小田原にっかつ劇場
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-5-4(1980年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 1980年以後1990年以前? 2000年?
1960年の映画館名簿では「小田原国際劇場」。1969年の映画館名簿では「小田原日活国際劇場」。1980年の映画館名簿では「小田原国際劇場・小田原にっかつ劇場」(2館)。1988年の住宅地図では跡地に駐車場。1990年の映画館名簿には掲載されていない。番地から場所はほぼ確定。 跡地は葬儀場「ファミリーホール小田原」。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災からの復興を願って、同年に日活作品の上映館として「復興館」が開館した。1953年(昭和28年)には建物を建て替え、「国際劇場」に改称して大映と東映作品の上映館となった。1960年(昭和35年)には「小田原日活」に改称して再び日活作品の上映館となった。小田原東映と同じく2000年(平成12年)に閉館した。東海道と青物町商店街が交わる国際通り交差点の角にあった。1967年の写真あり。当時の青物町商店街の入口にはアーチが架けられており、現在の東海道に架かる歩道橋はまだないように見える。*58
小田原東映劇場/小田原東映
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-7-5(1990年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2000年3月31日
Wikipedia : 小田原東映劇場
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「小田原東映劇場」。1988年の住宅地図では「小田原東映劇場」。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原東映」。跡地はどら焼き店「菜の花あん工房」。

国道1号の小田原市民会館交差点の近くには、1956年(昭和31年)に開館した小田原東映劇場があった。東映作品の専門館であり、「東映まんがまつり」は人気が高かった。2000年(平成12年)に閉館した。「小田原東映」の文字が見える1967年(昭和42年)の写真あり。『一心太助 江戸っ子祭り』、『網走番外地 決斗零下30度』の看板が見える。*59
小田原中央劇場/小田原中央劇場1・2
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-9-27(1980年・1990年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2003年
1980年の映画館名簿では「小田原中央劇場」。1988年の住宅地図では「小田原中央劇場」。1990年の映画館名簿では「小田原中央劇場1・2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「さがみ信用金庫本店」北側の駐車場。

小田原市の国道1号沿いには、小田原東映と同じく1956年(昭和31年)に開館した中央劇場があった。西湘地区唯一の「洋画封切り劇場」がうたい文句であり、『太陽がいっぱい』『ベン・ハー』『慕情』などを上映した。2003年に閉館した。1967年頃の写真あり。『カレードマン 大胆不敵』などの看板が見え、「Chuo Theatre」の文字が見える。*60
小田原オリオン座/小田原オリオン座レッドホール・イエローホール・ブルーホール
所在地 : 神奈川県小田原市本町3-11-20(1980年・1990年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 2003年8月20日
1969年・1980年の映画館名簿では「小田原オリオン座」。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原オリオン座レッドホール・イエローホール・ブルーホール」(3館)。1988年の住宅地図では「オリオン座ビル」の「1階レッドホール 2階イエローホール 3階ブルーホール」。跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。

戦争からの復興途中の1946年(昭和21年)9月、小田原市にオリオン座が開館した。『わが生涯の輝ける日』の看板が見える昭和20年代の写真あり。オリオン座は松竹の直営館だった。最盛期の小田原市街地には9館の映画館があったが、テレビやビデオの普及、娯楽の多様化などが理由で相次いで閉館していった。平成に入って中央劇場と東映劇場も閉館し、2003年(平成15年)現在は東宝館とオリオン座の2施設のみとなっている。松竹の直営館だったオリオン座は洋画も上映する映画館となり、3スクリーンに増やして営業している。「THEATER ORION」の看板が見える2003年の写真あり。*61
東宝館/小田原東宝劇場/小田原東宝
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-8-18(1980年)
開館年 : 1939年
閉館年 : 2003年8月29日
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「小田原東宝劇場」。1988年の住宅地図では「サンバード長崎屋小田原店」の地下。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原東宝」。跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」。

戦前の1939年(昭和14年)、足柄下郡小田原町緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。「東宝館」(※東宝劇場ではない)の文字が見える。当時の小田原には東宝館のほかに、日活系の復興館と松竹系の富貴座もあった。東宝館は1945年(昭和20年)8月15日の小田原空襲を免れ、戦後まもなく営業を再開したことで、映画館前の通りは東宝館通りと呼ばれるようになった。1962年には隣接地に長崎屋小田原店が開店。長崎屋小田原店の店舗改修時には東宝館が地下に入り、東宝館通りはダイヤ街に名を変えている。かつての東宝館通りは飲食店が中心だったが、現在は大型店やアパレル店・日用雑貨店なども多く、小田原市街地の繁華街となっている。*62
ヴァージンシネマズ小田原/TOHOシネマズ小田原
所在地 : 神奈川県小田原市中里313−12 ダイナシティウォーク
開館年 : 2002年12月
閉館年 : 営業中
2002年12月に「ヴァージンシネマズ小田原」として開館。2004年2月に「TOHOシネマズ小田原」に改称。9スクリーンのシネコン。
小田原コロナシネマワールド
所在地 : 神奈川県小田原市前川219−4
開館年 : 2003年12月
閉館年 : 営業中
10スクリーンのシネコン。2014年8月には4DXを導入。

鎌倉市

テアトル鎌倉
所在地 : 神奈川県鎌倉市
開館年 :
閉館年 : 1988年4月
1988年4月末、鎌倉市の旧鎌倉地区唯一の映画館だった「テアトル鎌倉」が閉館した。閉館後には市民グループが署名活動を行って存続を訴えていたが、経営元の東京テアトルは存続が不可能であると判断した。*63

藤沢市

フジサワ中央
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢93
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 2010年8月31日
Wikipedia : フジサワ中央
藤沢市最後の映画館だったフジサワ中央が2010年8月31日をもって閉館する。1950年4月に現在地に開業した。JR藤沢駅北口から徒歩5分。大小の2スクリーンがある。2007年に4スクリーンがあった湘南オデオンが閉館すると藤沢市最後の映画館となった。座席には背もたれもカップホルダーもなかく、興行収入はこの5年で3割も減少していた。*64
シネコヤ
所在地 : 神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-4-6
開館年 : 2017年4月8日
閉館年 : 営業中
ベーカリーと読書スペースを併設した小規模映画館「シネコヤ」が開館。25席ある館内。竹中翔子社長(32歳)が2016年9月に起業し手準備を進めた。竹中は藤沢市内の他の映画館で働いたり、上映会を企画した。2007年と2010年には藤沢氏内の老舗映画館が相次いで閉館。*65

中郡大磯町

ドライブイン・シアター Movix大磯/大磯ドライブインシアター
所在地 : 神奈川県中郡大磯町
開館年 : 1993年10月9日
閉館年 : 2010年10月11日
2007年から2010年まで「日本最後のドライブインシアター」だった。

1993年(平成5年)10月には大磯プリンスホテルの駐車場に、神奈川県内唯一のドライブインシアターがオープンした。*66

2007年8月末には千葉県野田市にあったドライブインシアターが閉館し、2007年10月末には千葉県船橋市にあった「ドライブインシアター・プラウド」の閉館も決定している。プラウドは1981年に開館した国内初のドライブインシアターである。これによって、国内の常設ドライブインシアターはドライブインシアター大磯のみとなる。大磯プリンスホテルにあるドライブインシアター大磯は、上映の合間の待ち時間に子供が遊べるスペースと道具が設置されており、売店では映画にちなんだ菓子を販売している。*67

大磯プリンスホテルは情報誌を発行しており、1993年10月1日発行の第7号に「ドライブイン・シアター MOVIX IN 大磯」、1993年12月1日発行の第9号に「紙上再現」、1994年2月1日発行の第11号「車の前にBIGなスクリーン ドライブイン・シアター」、1994年7月1日発行の第16号「編集後記」にドライブインシアターに関する記事が掲載されている。

近畿地方 大阪府

堺市

堺旭劇場
所在地 : 大阪府堺市昭和通3-42(19860年)
開館年 : 1980年年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
堺大劇
所在地 : 大阪府堺市甲斐町東2-1-33(19860年)
開館年 : 1980年年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
ニュー鳳劇場
所在地 : 大阪府堺市鳳東町1-65(19860年)
開館年 : 1980年年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
堺港東映
所在地 : 大阪府堺市楠町(1960年)
開館年 : 1953年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1969年の映画館名簿では「堺港東映」。跡地は「now Fresh mandai」(スーパー万代)。

映画最盛期の阪堺電鉄東湊電停付近にはおよそ5軒の映画館があり、この地域最大の娯楽街だった。2006年現在は「now Fresh mandai」(スーパー万代)となっている。1958年(昭和33年)の写真あり。*68
堺国際劇場
所在地 : 大阪府堺市甲斐町東2-1-35(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1988年1月31日
1980年の映画館名簿では「堺国際劇場」。阪堺電鉄宿院駅前。
堺宿院劇場・宿院シネマ/堺宿院劇場・堺宿院シネマ
所在地 : 大阪府堺市大町東3-1-28(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿では「堺宿院劇場・宿院シネマ」(2館)。1990年の映画館名簿では「堺宿院劇場・堺宿院シネマ」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
堺東銀座ニューシネマ
所在地 : 大阪府堺市中瓦町2-3-12 第2阪本ビル(1990年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年の映画館名簿では「堺東銀座ニューシネマ」。1999年のゼンリン住宅地図ではパーターさかもと第2ビル 2階に「堺東銀座ニューシネマ 堺東AVシネマ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海高野線堺東駅。
パンジョシネマ/パンジョホール
所在地 : 大阪府堺市茶山台1-3-1 パンジョ4階(1990年)
開館年 : 1986年7月19日
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「パンジョシネマ」。2000年の映画館名簿では「パンジョホール」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。パンジョ4階にあった1スクリーン80席のビデオシアター。
堺東宝
所在地 : 大阪府堺市北瓦町2-1-28(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「堺東宝」。1999年のゼンリン住宅地図では商業ビル「ヤングタウン103」4階に「堺東宝」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海高野線堺東駅。
堺シネマ/堺シネマ・堺ロキシー/堺シネマ・堺シネマ2
所在地 : 大阪府堺市北瓦町2-1-28(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿では「堺シネマ」。1990年の映画館名簿では「堺シネマ・堺ロキシー」(2館)。1999年のゼンリン住宅地図では商業ビル「ヤングタウン103」2階に「堺シネマ1・2」。2000年の映画館名簿では「堺シネマ・堺シネマ2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海高野線堺東駅。
堺東銀座東映劇場・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス/堺東銀座東映・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス/堺東映シネマ1・2
所在地 : 大阪府堺市北瓦町1-5-25(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2010年12月26日
1980年の映画館名簿では「堺東銀座東映劇場・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス」(3館)。1990年の映画館名簿では「堺東銀座東映・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス」(3館)。1999年のゼンリン住宅地図ではパーターさかもと第1ビル3階に「堺東映シネマ1・2」。2000年・2010年の映画館名簿では「堺東映シネマ1・2」(2館)。最寄駅は南海高野線堺東駅。
ヴァージンシネマズ泉北/TOHOシネマズ泉北
所在地 : 大阪府堺市南区原山台5-9-5 クロスモール内(2010年)
開館年 : 2000年12月
閉館年 : 営業中
9スクリーンのシネコン。2000年12月にヴァージンシネマズ泉北として開館。2004年2月にTOHOシネマズ泉北に改称。
MOVIX堺
所在地 : 大阪府堺市堺区築港八幡町1-1 堺浜シーサイドステージ堺浜えんため館内(2010年)
開館年 : 2006年4月15日
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。
TOHOシネマズ鳳
所在地 : 大阪府西区鳳南町3-199-12 アリオ鳳4階(2010年)
開館年 : 2008年3月
閉館年 : 営業中
10スクリーンのシネコン。

東大阪市

布施の映画館
映画最盛期の大阪府には約400館の映画館があったが、当時の布施市には20館以上が集まっていた。1954年(昭和29年)に線路際に並ぶ映画館版を映した写真あり。*69
大栄座
所在地 : 大阪府布施市
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1953年以後1960年以前?
1958年(昭和33年)時点の布施市には20館以上の映画館があり、河内市や枚岡市よりも遥かに多かった。1954年(昭和29年)に大栄座前で写した写真あり。1954年公開『人生劇場 望郷篇 三州吉良港』の看板が見える。*70

1954年(昭和29年)の布施駅前の写真あり。アドバルーンで大栄座の『人生劇場 望郷篇 三州吉良港』を宣伝している。*71

時期不明の東大阪市の住宅地図に掲載されている。
長瀬映劇
所在地 : 大阪府東大阪市長瀬町1-8-7(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「長瀬映劇」。
河内劇場
所在地 : 大阪府東大阪市岩田町5-7-21(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「河内劇場」。
布施光楽座
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-35(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施光楽座」。
布施東宝東大阪劇場
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-68(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施東宝東大阪劇場」。
布施有楽座
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町1-22(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施有楽座」。
布施アルス座
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町2-45(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施アルス座」。
布施日活劇場・布施ロマン劇場
所在地 : 大阪府東大阪市足代北2-69(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施日活劇場・布施ロマン劇場」(2館)。
布施東映リオン座・布施リオン小劇場/リオン座1・リオン座2
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町2-14(1980年)、大阪府東大阪市足代2-14(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿では「布施東映リオン座・布施リオン小劇場」(2館)。1990年の映画館名簿では「リオン座1・リオン座2」(2館)。
布施富士映劇
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町2-40(1980年・1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年・1990年の映画館名簿では「布施富士映劇」。
布施昭栄座・布施昭栄シネマ
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-58(1980年)、大阪府東大阪市足代1-15-5(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「布施昭栄座・布施昭栄シネマ」(2館)。
布施東劇1・布施東劇2
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-21-10(2000年)
開館年 :
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1990年・2000年の映画館名簿では「布施東劇1・布施東劇2」(2館)。

時期不明の東大阪市の住宅地図に掲載されている。
小阪座・小阪国際劇場
所在地 : 大阪府東大阪市下小坂677(1980年)、大阪府東大阪市小阪1-5-2(2010年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2010年3月31日
1980年の映画館名簿では「小坂国際劇場・ニュー小坂座」(2館)。2000年・2010年の映画館名簿では「小阪座・小阪国際劇場」(2館)。
布施ラインシネマ
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町7-4 布施ラインシネマ10 北館・南館(2010年)
開館年 : 1997年12月
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 布施ラインシネマ
港町キネマ通り : 布施ラインシネマ
2000年の映画館名簿では「布施ラインシネマ1・2・3・4・5・6・7」(7館)。2001年6月には南館を増築。2010年の映画館名簿では「布施ラインシネマ1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」(10館)。10スクリーンのシネコン。シネマ1-7が北館に、シネマ8-10が南館にある。

近畿地方 兵庫県

尼崎市

尼崎シネ・ラ・ティエラ1・2
所在地 : 兵庫県尼崎市東難波町5-16-20 ラ・ティエラ2階(2000年)
開館年 : 1996年4月13日
閉館年 : 2002年9月1日
1993年8月には尼崎市東難波町5丁目の映画館「尼崎グランドシネマ」が閉館した。1996年4月13日、跡地をそのまま利用して映画館「シネ・ラ・ティエラ」が開館する。10階建てビルの2階に「ティエラ1」(100席)と「ティエラ2」(50席)の2スクリーンがある。最新のビデオシアターシステムを導入。身体障碍者はエレベーターで入場できる。運営は毎日興業。オープニング作品はティエラ1が『地獄堂霊界通信』、ティエラ2が『美味しんぼ』。*72

西宮市

敷島劇場
所在地 : 兵庫県西宮市
開館年 : 1950年以後1953年以前?
閉館年 : 1953年以後1960年以前?
1953年の映画館名簿では「敷島劇場」。

阪神電車札場筋の踏切南側には映画館「敷島劇場」があった。1988年現在はパチンコ店になっている。*73

札場筋の写真に敷島劇場が見える。札場筋はその後拡幅整備され、また阪急西宮駅が上を通っている。敷島劇場跡地には2009年時点でパチンコ店が建っている。*74
日芸会館/西宮北口会館/北口会館
所在地 : 兵庫県西宮市津門呉羽町2-24(1990年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1970年頃
1956年に演劇場の日芸会館が東宝の所有となり、1960年に東宝封切館の西宮北口会館が開館した。1970年頃に閉館した。
今津大劇
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町13-5(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「今津大劇」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
今津東映
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町13-7(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「今津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
国際シネマ
所在地 : 兵庫県西宮市戸田町5-14(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「国際シネマ」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
今津阪急文化会館/今津文化会館/今津文化1・2
所在地 : 兵庫県西宮市津門呉羽町2-24(1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1995年12月
西宮市最後の従来型映画館。

1995年12月、西宮市津門呉羽町の映画館「今津文化」が閉館する。西宮市唯一の映画館だった。12月12日から取り壊し作業が行われている。1956年の洋画の二番館として開館し、『風と共に去りぬ』『鳥』『禁じられた遊び』などを上映した。週末には西100mの阪急今津駅まで行列ができることもあったという。1995年1月17日の阪神淡路大震災で半壊したが、2月12日には営業を再開し、入場無料の上映会などを行っていた。震災を機に観客が減少したことで閉館を決定した。*75
TOHOシネマズ西宮OS
所在地 : 兵庫県西宮市高松町14-2-501 阪急西宮ガーデンズ5階
開館年 : 2008年11月
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。

明石市

明石市の映画館
1956年(昭和31年)現在の明石市において、男女ともに「趣味」の第1位は映画だった。映画をどの自治体で観るか聞いたアンケートでは、83.6%が明石市内、13.5%が神戸市、12.0%が大阪市、1.7%がその他だった(複数回答可)。*76

1964年(昭和39年)現在の明石市には洋画系1館を含む7館の映画館がある。1963年(昭和38年)には7館の総観客数が84万人であり、市民1人あたり5.6回の計算となる。しかし、1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)には総観客数が200万人近かった。*77

1968年(昭和43年)の商工名鑑には、「明石劇場」(柏木興業、1950年設立)、「明石松竹」(柏木興業、1954年設立)、「明石東映」(明宝興業、1950年設立)、「白鳥座」(明宝興業、1950年設立)、「大久保劇場」が掲載されている。*78

1980年(昭和55年)の商工名鑑には、「明石東宝・明石日活」(柏木興業、大明石町1-6-7)、「明石松竹・明石東映・明石パレス」(明和興業、本町2-9-19)、「大久保劇場」(大久保町大畑549-1、1946年設立)が掲載されている。*79

1990年(平成2年)現在の明石市には、明石喜春商店会の中に明石東宝あり。本町商店街の中に本町にっかつあり。*80
明石日活
所在地 : 兵庫県明石市
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1954年以後
国道2号と銀座通りの交差点の北側には明石日活があった。1954年の明石日活の写真あり。1954年日本公開の『ローマの休日』の看板が見える。*81
白鳥座
所在地 : 兵庫県明石市
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1973年
国道2号沿いには白鳥座があった。1959年(昭和34年)当時の明石市中心部には、白鳥座のほかに、明石東映、明石東宝、本町日活などがあった。明石商業高校映画部の生徒が映っている1959年頃の写真あり。*82
大久保劇場
所在地 : 兵庫県明石市大久保町大畑549(1980年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「大久保劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
明石パレス・明石松竹・明石東映
所在地 : 兵庫県明石市本町1-19(1980年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「明石パレス・明石松竹・明石東映」(3館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
明石東宝
所在地 : 兵庫県明石市大明石町1-6-7 明神ビル2階(2010年)
開館年 : 1953年(経営者交代)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り : 明石東宝
跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。

かつてはJR明石駅前の国道2号沿いに映画会社直営館が並んでおり、明石市全体で7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。『大空のサムライ』と『喜劇 百点満点』の看板が見える。この年にはすでに3館にまで減少していた。*83
本町日活
所在地 : 兵庫県明石市本町1-14-18(2010年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2014年12月
明石市最後の従来型映画館。晩年は成人映画館。2015年12月1日には本町日活を改修して大衆演劇場「ほんまち三白館」(みはくかん)が開館。

JR明石駅南口の魚の棚商店街には、大正時代に芝居小屋「三白亭」が開館した。昭和時代になると映画館に転換したが、2014年に映画館としては閉館した。商店街振興組合が劇場主から建物を借り、耐震化工事を行った上で内装や外観を一新した。2015年12月1日に大衆演劇場の「明石ほんまち三白館」として開館させた。外壁は漆喰の白壁と焼杉板である。壁面やステンドグラスには千鳥がデザインされているが、これは「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」という百人一首に着想を得ている。客席は160席。*84
ワーナー・マイカル・シネマズ明石/イオンシネマ明石
所在地 : 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通1丁目3-2 イオン明石ショッピングセンター1番街
開館年 : 1997年10月23日
閉館年 : 営業中
7スクリーンのシネコン。スクリーン4(定員492名)は兵庫県内の映画館で最大。

加古川市

加古川劇場/加古川映劇
所在地 : 兵庫県加古川市加古川町本町
開館年 :
閉館年 : 1962年
加古川市立加古川小学校北側の道を西に向かい、ニッケ社宅に入る手前には雁南川橋があるが、そのたもとの右側には加古川劇場があった。戦後しばらくは芝居の興行を行っていたが、全面的に改装して映画館の加古川映劇に転換した。中心市街地からはやや離れており、1962年には営業不振で閉館した。加古川映劇という名称だった期間は短く、住民には加古川劇場として記憶されている。1952年頃の写真あり。「KAKOGAWA EIGEKI」の文字が見える。*85
新興座/第一新興会館・第二新興会館
所在地 : 兵庫県加古川市加古川町篠原町
開館年 : 1932年
閉館年 : 1961年以後1972年以前
1932年(昭和7年)、劇場の末広劇場が映画館の新興座に転換した。『青い山脈』や『君の名は』は超満員だった。小中学生の映画教室の際には、教師に引率されて新興座に連れられた。1956年(昭和31年)12月には4階建ての映画館ビル「新興会館」に建て替えられ、第一新興会館・第二新興会館となった。ワンフロア・ワンスロープという特徴的な構造だった。座席数はいずれも260席。新興会館内には食堂・喫茶店・たこやき屋・うどん屋・飲み屋も営業していた。単独館時代の1953年の写真あり。映画館ビル時代の1961年の写真あり。ネオンアーチのすぐ無効に新興快感が見える。映画館が閉館した後、ヤマトヤシキのカコガワストアとなり、1972年(昭和47年)には百貨店のヤマトヤシキ加古川店となったが、映画館の建物を百貨店に転換するのには無理があり、1979年(昭和54年)に閉店した。1989年(平成元年)には建物が取り壊され、跡地にはパチンコ店が建った。*86

国鉄加古川駅のすぐ南西、加古川町篠原町三桝には映画館の「新興座」があった。1899年(明治32年)12月11日に許可を得て新築し、1900年(明治33年)6月7日に寿座として初興業を行った。1915年(大正4年)12月28日には播州鉄道が持ち主となり、大成座に改称した。尾上松之助や淡海一座が常打ちに近い時代があった。加古川市の名誉市民第一号である演劇評論家の三宅周太郎は、大成座を気にかけていた。1930年(昭和5年)には持ち主が代わって新興座に改称、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この時代には芝居と映画の双方を行う加古川劇場もあった。戦後には鉄筋コンクリート造の新興会館ビルとなり、内部には2映画館があった。その後ヤマトヤシキ加古川店となり、1980年現在はパチンコ店となっている。*87
旭倶楽部/加古川旭クラブ
所在地 : 兵庫県加古川市加古川町本町
開館年 : 1914年
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1969年の映画館名簿では「加古川旭クラブ」。

現在の本町公園の場所には映画館の「旭クラブ」があった。1928年(昭和3年)元旦に開館し、U字型の1階・2階客席を有した。大映系の萌芽と洋画を上映した。1953年の写真あり。*88

加古川市の旭クラブ。「ASAHI CLUB」や「旭クラブ」の文字が見える。昭和30年代の写真あり。若者が建物前で立ち話している。*89

1914年(大正3年)には加古川市本町に映画館の「旭倶楽部」が開館した。館内には売店があり、売り子が客席を回った。2006年(平成18年)現在の跡地は本町公園となっている。昭和初期の写真あり。*90

加古川町366番地には映画館の「旭倶楽部」があった。1927年(昭和2年)4月4日に許可を得て、木村の岡田米吉らが建設し、1928年(昭和3年)1月1日に活動写真館として開館した。写真あり。*91
加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町3-73-4(1980年)
開館年 :
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ」(4館)。
ワーナー・マイカル・シネマズ加古川/イオンシネマ加古川
所在地 : 兵庫県加古川市平岡町新在家615-1 イオン加古川店シネマ棟3階
開館年 : 2001年1月26日
閉館年 : 営業中
8スクリーンのシネコン。

宝塚市

宝塚大劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
新芸座
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
宝塚中央劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面五反田(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
宝塚銀映劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面山ノ上(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
宝塚映画劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1945年?、1952年?
閉館年 : 1960年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。宝塚映画劇場は宝塚ファミリーランドの東端にあったと思われる。

戦後の1952年(昭和27年)、宝塚ファミリーランドの一角、入場口左手に開業した。収容人員200人。この頃の宝塚市には、宝塚駅、宝塚南口駅、逆瀬川駅付近に数館の映画館があった。*92
新花月劇場/宝塚新花月劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市伊子志亥谷(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1960年の映画館名簿では「新花月劇場」。1969年の映画館名簿では「宝塚新花月劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
シネ・ピピア
所在地 : 兵庫県宝塚市売布2-5-1 ピピアめふ5階(2010年)
開館年 : 1999年10月29日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 宝塚シネ・ピピア
2000年・2010年の映画館名簿では「シネ・ピピア1・2」。

2005年現在でシネ・ピピアは宝塚市唯一の映画館である。公設民営という点が特徴であり、所有者は宝塚市、運営は民間である。阪急宝塚線売布神社駅からすぐの場所にある。ピピア1とピピア2の2スクリーンがあり、どちらも座席数は50席である。音響設備は日本トップクラスであり、車いす席や補聴システムも導入されている。ピピア1は新作映画を上映するロードショー館であり、ピピア2は観客のリクエスト作の上映、市民企画枠の作品の上映、市民団体への貸しホールなど、独自のプログラムを組んでいる。1999年にシネ・ピピアが開館するまで、約30年間は宝塚市に映画館が存在しなかった。1990年には主婦らによって「宝塚に映画館をつくろう会」が設立され、のちに「宝塚・シネクラブ」に改称して映画上映会や企業との交渉などを行った。1995年の阪神大震災で存続が危ぶまれたが、半年後には上映会を再開した。震災復興再開発ビル「ピピアめふ」にシネ・ピピアが開館したことで10年間の活動が実った。「宝塚・シネクラブ」は「すみれ座」と改称して上映活動を続けている。2000年には「すみれ座」などを中心に宝塚映画祭実行委員会が結成され、2002年11月にはシネ・ピピアをメイン会場として第1回映画祭が開催された。*93

伊丹市

伊丹グリーン劇場・伊丹ローズ劇場
所在地 : 兵庫県伊丹市中央町4-2-2(1980年・1990年)、兵庫県伊丹市中央4-2-2(2000年)
開館年 : 1970年
閉館年 : 2002年9月8日
2002年9月8日、伊丹市中央4丁目の映画館「伊丹グリーン劇場」(178席)と「伊丹ローズ劇場」(134席)が閉館する。1970年に開館した際は東宝系の封切館だった。1983年からは特撮映画のオールナイト上映を開始し、『大魔神』『ガメラ』など約200本を上映。「グリーンリボン賞」という自主製作特撮映画賞では約300メートルの行列もできた。伊丹市は1987年から1994年まで伊丹映画祭を開催し、同賞を特撮以外も含めた自主製作映画賞に発展させた。映画監督の三原光尋も同賞での入選経験がある。近隣に約1800席のシネコンが開館することが閉館の理由。*94

豊岡市

永楽館
所在地 : 兵庫県出石郡出石町(1950年・1960年)
開館年 : 1901年
閉館年 : 1964年
出石永楽館は1901年(明治34年)に開館。木造2階建て、610m2。350人収容。当初は歌舞伎や寄席の興行を行い、のちに映画館となった。1964年(昭和39年)に閉館。2006年(平成18年)には復元工事が行われ、2008年(平成20年)に片岡愛之助一座が杮落としの歌舞伎公演を行った。*95

中国地方 鳥取県

鳥取市

シネマスポットフェイドイン
所在地 : 鳥取県鳥取市南吉方1
開館年 : 1991年
閉館年 : 2006年10月29日
2006年10月29日、鳥取市南吉方1の映画館「シネマスポットフェイドイン」が閉館する。1991年に開館し、110席と70席の2スクリーンを有していた。設備の老朽化が主な理由。鳥取市の映画館は1館2スクリーンのみに、鳥取県の映画館は4館14スクリーンのみになる。1999年には山陰地方初のシネコンとして、日吉津村に6スクリーンのMOVIX日吉津が開館している。2007年には山陰地方2施設目のシネコンとして、島根県出雲市にもシネコンが開館する。*96

中国地方 島根県

松江市

松江シネマシャンテ
所在地 : 島根県松江市朝日町
開館年 :
閉館年 : 1997年1月17日
1997年1月17日、松江市朝日町の映画館「松江シネマシャンテ」が閉館した。松江市の映画館は松江サティ東宝のみとなった。開館から松江市の映画市場を独占していたが、1994年に5スクリーンの松江サティ東宝が開館すると、競合を避けるためにシャンテ2を閉館させてシャンテ1を名画座としていた。*97

浜田市

浜田東劇
所在地 : 島根県浜田市
開館年 : 1961年
閉館年 : 2003年12月23日
2003年12月23日、浜田市朝日町の映画館「浜田東劇」が閉館する。最終上映作品は『陰陽師2』。浜田市唯一の常設映画館だった。家庭用ビデオの普及、シネコンがある広島市への客の離脱などが理由。1961年に開館。1961年から1962年の浜田市には6館の映画館があったが、1991年には経営者が同じ浜田東映が閉館し、浜田東劇のみとなっていた。*98

江津市

デジタルシアター江津中央
所在地 : 島根県江津市二宮町神主
開館年 : 1973年
閉館年 : 2008年6月13日
2008年6月13日、江津市の映画館「デジタルシアター江津中央」が閉館する。広島市や松江市などのシネコンに観客を取られたことなどが理由であり、2008年6月21日には出雲市にも10スクリーンのシネコンが開館することが決定していた。1スクリーン180席。1973年、小野沢興行がオープンさせたボウリング場の一角に開館。JR江津駅近くにあった「江津あけぼの中央」の名前を引き継ぎ、江津あけぼの中央という名称で開館した。当初は夏休みなどに期間営業をしていたが、1998年にデジタル音響設備を導入した際に通年営業に切り替え、現在の名称に変更した。江津中央閉館後の約1週間は、島根県西部地方の映画館が「デジタルシアター益田中央」のみとなる。*99

隠岐郡西ノ島町

大久館
所在地 : 島根県隠岐郡西ノ島町美田尻
開館年 : 昭和30年代半ば
閉館年 : 昭和40年代
昭和30年代半ば頃、美田尻に大久館(だいきゅうかん)という映画館が開館。毎日興行ではなかったが、常設の映画館だった。テレビの普及に伴い、昭和40年代に閉館となった。*100

中国地方 岡山県

津山市

津山劇場
所在地 : 岡山県津山市
開館年 :
閉館年 :
宮川の西岸、大橋と新大橋の間にあった。*101
津山東宝
所在地 : 岡山県津山市 明宝ビル1階
開館年 :
閉館年 : 2008年以前
津山明宝会館と同じ明宝ビルの1階には津山東宝があったが、津山明宝会館よりもかなり早くに閉館した。『七人の侍』などの邦画を上映した。明宝ビルは2015年前半に取り壊され、明宝ビルの跡地は2015年8月28日に開店した「ファミリーマート津山駅前店」の駐車場となった。*102
津山映画劇場
所在地 : 岡山県津山市
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後
アルネ津山の立体駐車場の東側、パチンコ店の駐車場になっている場所には津山映画劇場があった。1955年頃には『二十四の瞳』を上映した。*103
さくら映画劇場
所在地 : 岡山県津山市
開館年 :
閉館年 : 1987年以前
銀天街と一番街の交差点から南西方向にあった。現在はアルネ津山になっている場所と思われる。*104
新地座/協映劇場
所在地 : 岡山県津山市山下
開館年 : 1885年(新地座)、1954年(協栄劇場)
閉館年 : 1988年
1885年(明治18年)に芝居小屋の「新地座」が開館し、1954年に映画館化して「協映劇場」に改称した。日活作品(石原裕次郎・小林旭出演作品)を上映していた。1988年に閉館した。*105
冨士映画劇場/津山東映
所在地 : 岡山県津山市本町三丁目
開館年 :
閉館年 : 1989年以後
本町3丁目商店街にあった。
津山明宝会館
所在地 : 岡山県津山市 明宝ビル2階
開館年 : 1957年
閉館年 : 2008年7月13日
JR津山駅からすぐ、「津山駅前交差点」北側角の明宝ビル2階にあった。1957年に津山明宝会館が開館し、洋画専門館だった。最盛期の津山市内には7館の映画館があった。2008年7月13日に閉館した。最終上映作品は『ナルニア国物語第二章 カスピアン王子の角笛』。観客は約30人であり、支配人に就任してまだ9か月の能勢さん(33歳)の前で片岡社長が閉館のあいさつを行った。片岡社長は3代目である。閉館から1週間後の7月20日と7月21日には、津山明宝会館で『ほっこまい 高松純情シネマ』のロケが行われた。1970年の高松市に住む高校生の主人公が通い詰める映画館として使用された。1960年頃の明宝会館の写真あり。*106

2008年7月13日、津山市の映画館「明宝」が51年の歴史に幕を閉じて閉館する。津山市の映画館は「銀映」のみとなる。1957年に開館し、当時の津山市には明宝、東宝、津映(松竹)、大栄、協映(日活)、錦映(新東宝)の7館があった。*107

明宝ビルは2015年前半に取り壊され、明宝ビルの跡地は2015年8月28日に開店した「ファミリーマート津山駅前店」の駐車場となった。*108
錦鶴映画劇場(錦映)
所在地 : 岡山県津山市福渡町
開館年 :
閉館年 : 2008年11月30日
2008年7月13日に津山明宝会館が閉館すると、3か月後の2008年11月30日には津山市最後の映画館だった錦映も閉館した。最終上映作品は『崖の上のポニョ』。*109

中国地方 広島県

広島市

広島リッツ劇場
所在地 : 広島県広島市中区流川町
開館年 : 1956年12月15日
閉館年 : 1999年10月15日
1999年10月15日、広島市中区流川町の映画館「広島リッツ劇場」が閉館する。1956年12月15日、『傷だらけの栄光』で洋画封切館として開館した。広島市の映画館ではもっとも古い。1992年頃には600席を400席に減らした。1997年に広島県で初めて開館した南区のシネコンに客を取られた。*110

中国地方 山口県

萩市

萩キラク1・2/萩ツインシネマ1・2
所在地 : 山口県萩市東田町18(1990年)、山口県萩市東田町18-4(2010年)
開館年 : 1981年(萩キラク)、1996年7月19日(萩ツインシネマ)
閉館年 : 2008年11月30日
1990年の映画館名簿では「萩キラク1・2」(2館)。2000年・2010年の映画館名簿では「萩ツインシネマ1・2」(2館)。

1981年に映画館「萩キラク」が開館し、キラク1(150席)とキラク2(195席)の2スクリーンからなっていた。1985年の観客数は約6万人だったが、1994年9月以降の一年間では約6000人にまで減少していた。赤字額は年間200万円となり、経営者の山萩企画は閉館を検討していた。山口県日本海側の北浦地方では唯一の映画館である。1995年には「萩の映画館を守る会」などが募金活動を開始した。1996年4月には元市長の林秀宣が発起人となって出資を募り、約50人が応じて資本金1000万円が集まったことから、1996年6月22日には新会社の設立総会が行われた。映画ファンの陶芸家・医師・市議会議員などが出資した株式会社が運営を引き継ぎ、1996年7月19日に『スーパーの女』でこけら落としとなる。*111

2004年3月13日、防府市の小学校であった実話に基づく映画『ほたるの星』の先行上映が行われ、ツインシネマでも菅原浩志監督・原作者の宗田理・俳優の北見敏之・女優の小柳友貴美による舞台挨拶が行われた。*112

2004年5月9日、萩市の映画館「ツインシネマ」が閉館する。北浦地方では唯一の映画館だった。宇部市や防府市のシネコンに観客を奪われ、駐車場がないことなどもあって観客が伸び悩んでいた。かつて萩市には2館の映画館があったが、ツインシネマの前身となる映画館が閉館する際に、市民有志が株式会社「ムービー・ボラトピア」を設立して運営を引き継いだ。資本金は1000万円であり、萩市で歯科医院を経営する高雄一寿が社長に就任。館名は公募でツインシネマに決定し、1996年7月に2スクリーンのツインシネマを開館させた。1997年度の観客数は4万4000人だったが、1998年度は3万4000人、2000年度は1万7000人と減少した。2001年度には萩市が舞台となった『釣りバカ日誌12』もあって3万4000人と盛り返したが、近年は再び1万人台に低迷していた。*113

2004年5月9日には萩市の映画館「ツインシネマ」が閉館したが、同年夏には「萩コミュニティシネマ」が設立され、現在はNPO法人の申請中である。理事長はツインシネマの運営会社で社長を務めていた高雄一寿。8月7日から上映を再開する。*114

2005年7月30日と31日、萩市の映画館「ツインシネマ」は上映再開1周年記念イベントとして、入場者200人に萩市産のトマトをプレゼントした。両日とも定員200人は予約で満席。*115

2006年9月には佐賀県佐賀市の「佐賀セントラル」が閉館し、シネコン以外の既存映画館が姿を消した。2006年10月には鹿児島県鹿児島市の鹿児島東宝が閉館し、奄美を除くとシネコンしかない県となった。しかし、2007年4月には鹿屋市の市民交流センターに映画館が開館する予定である。山口県山口市の映画館「コミュニティシネマ山口」は全国でも珍しい公設公営の映画館である。2004年に山口県萩市に開館した「萩ツインシネマ」は、閉館した映画館をNPOが引き受けた。山口県の日本海側唯一の映画館であり、『武士の一分』など大手の作品も上映している。*116

2008年1月10日、東京都の不動産会社が所有していた萩市東田町の4階建てビル「ヤングプラザ萩」を、NPO法人萩コミュニティシネマの高雄一寿理事長ら3人で設立した土地建物賃貸借会社「株式会社TTF」が買収した。資本金は300万円であり、3人が100万円ずつ出資している。約6000万円の買収費用は市内の金融機関からの融資で賄っている。1階と2階に入居している飲食店や薬局などからの家賃収入で、借入金の返済を含めたビル経営が可能であるとしている。1981年、市内にある2館の映画館の経営者が良寛を統合した新映画館の開館のために建設された。映画館は3階と4階にある。*117

2008年11月21日から11月30日まで、萩市の映画館「萩ツインシネマ」で「萩コミュニティ映画祭」が開催される。下関市出身の佐々部清監督の作品6本が上映される。『陽はまた昇る』、『半落ち』、『チルソクの夏』、『四日間の奇蹟』、『夕凪の街桜の国』、『三本木農業高校馬術部』。11月22日には14時から『チルソクの夏』に主演した水谷妃里の舞台挨拶があり、16時15分から佐々部監督のトークショーがある。2008年8月には島根県益田市の映画館が閉館したことで、山口県長門市から島根県出雲市までの間にある映画館は萩ツインシネマのみとなった。*118

2010年初頭には萩市の映画館「萩ツインシネマ」が3D作品上映設備を導入し、3D第1弾として『アバター』を上映している。山口県内では宇部市と岩国市の映画館にも3D上映設備があるという。現在の会員は約500人。年間観客数は2006年度が1万6800人、2007年度が1万2300人、2008年度が9900人と漸減している。起爆剤として3D作品上映設備の導入を決め、総事業費1527万円のうち、2/3は国からの補助金で、1/3は萩市からの補助金で賄った。*119

2010年1月、萩ツインシネマに3D作品上映設備が導入された。2008年度の観客数は9900人であり1万人を割り込んだ。約1500万円で導入。山口県内では宇部市と岩国市の映画館でも3D設備を導入している。*120

2014年3月には下関市の「シアター・ゼロ」が休館し、単独映画館は萩市の「萩ツインシネマ」のみとなった。1999年には防府市・宇部市・下松市にシネコン3施設計21スクリーンが相次いで開館し、2014年には下関市に8スクリーンのシネマサンシャイン下関が開館している。1967年に開館した周南市のテアトル徳山は、デジタル上映設備の資金を捻出できず、2012年に閉館した。萩ツインシネマは2004年にいったん閉館したが、3カ月後にNPO法人が運営を引き継いだ。2スクリーンを1スクリーンに絞り、配給会社への支払いを歩合制に変更してもらうなどした。2004年の再出発時には年間2万人の観客がいたが、現在は8000人にまで減少している。*121

萩市の映画館「萩ツインシネマ」。2019年2月18日からは映写機の故障により休館していたが、映写機をレンタルして3月9日に営業を再開し、『ボヘミアン・ラプソディ』や『笑顔の向こうに』などを上映した。*122

2019年2月には映写機が故障して一時休館となり、3月にはレンタルした映写機で営業を再開した。4月には映写機の購入のためのクラウドファウンディングを開始すると、約2か月半で432万5000円が集まり、その他にも約250万円の寄付が寄せられた。8月には約600万円で最新式の映写機を購入した。*123

四国地方 徳島県

徳島市

OSグランド
所在地 : 徳島県徳島市
開館年 : 1955年
閉館年 : 2002年3月24日
2002年3月24日、徳島市の映画館「OSグランド」が閉館する。最終上映作品は『風と共に去りぬ』。1955年に開館し、全盛期には500席あった客席が満席となることもあった。2000年から急激に観客が減少した。*124

美馬市

脇町劇場
所在地 : 徳島県美馬郡脇町(1980年)
開館年 : 1934年
閉館年 : 1995年
Wikipedia : 脇町劇場
脇町劇場は1934年に歌舞伎を上演できる劇場として建設された。戦前には人形浄瑠璃や芝居などが行われ、戦後に椅子席が設置されて映画館となった。1995年に閉館し、取り壊すことも検討された。1996年には西田敏行主演の『虹をつかむ男』の舞台となって全国的に知られるようになった。1999年には周辺の街並み全体をテーマパークととらえる「99わきまち映画博」が開催され、6月19日には脇町劇場前で山田監督らによるテープカットが行われた。1998年7月には脇町指定文化財となり、10月からは約1億7000万円を投じた修復工事も行われた。脇町は第三セクターに管理運営を委託し、観光・文化活動・街づくりの拠点として生かす方針。

板野郡北島町

シネマサンシャイン北島
所在地 : 徳島県板野郡北島町鯛浜西ノ須174 フジグラン北島3階
開館年 : 2001年12月1日
閉館年 : 営業中
2001年(平成13年)12月1日、徳島県北島町鯛浜に徳島県初のシネコン「北島シネマサンシャイン」が開館した。11月初頭に開業したフジグラン北島の3階と4階を占めている。8スクリーン計1376席。1スクリーンの座席数は85席から300席。佐々木総合管理は関東や四国でシネコンを運営しており、北島で13施設目である。北島シネマサンシャインの開館によって、徳島県の映画館数は2倍に、収容人数は1.5倍に増加した。*125

美馬郡つるぎ町

貞光劇場
所在地 : 徳島県美馬郡貞光町(1969年・1980年・2000年)、徳島県美馬郡つるぎ町貞光字宮下68-3(2010年)
開館年 : 1932年
閉館年 : 2011年
JR徳島線貞光駅から駅前通りを東に5-6分歩くと、映画館「貞光劇場」がある。1932年に開館し、現役の映画館建築としては徳島県最古である。館主は藤本一二三(66)。開館当時は1階席・2階席とも畳敷きであり、やがて1階席を木製の長いすに変更した。外観は何度か塗り替えを行っているが、それ以外は開館当時のままである。1991年春には貞光町で山田洋次監督の映画祭が開催され、貞光劇場で『男はつらいよ』や『幸せの黄色いハンカチ』など5本を上映した。2日間で約1000人の観客が詰めかけた。山田監督は『虹をつかむ男』の舞台に、隣接する脇町の脇町劇場を選んでいるが、脇町劇場は1995年に閉館するまで藤本一二三が経営していた映画館である。*126

四国地方 香川県

高松市

高松グランド大映/グランド劇場
所在地 : 香川県高松市内町4-16(1980年・1990年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 1997年
1969年の映画館名簿では「高松グランド大映」。1980年・1990年の映画館名簿では「高松グランド劇場・高松グランド松竹」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1992年には香川県の映画史をまとめた『思い出の香川映画史』が刊行されている。辻清治は1956年から高松市内町でグランド劇場を経営していたが、1990年頃から業績が悪化し、1997年に閉館した。閉館後の跡地は駐車場となっている。*127
ライオンカン
所在地 : 香川県高松市
開館年 : 1922年
閉館年 : 1999年11月5日
1999年11月5日、高松市の映画館「ライオンカン」が閉館する。1922年、サーカス運営に携わっていた矢野米が木造2階建ての建物で無声映画を上映したのが始まり。1925年頃にはライオンの子供3匹を客寄せとしたのが評判となり、ライオンカンという名称となった。1930年頃の高松市では「男は高商、映画はライオンカン」(高商は高松高等商業学校のことであり現在の香川大学経済学部)という流行語もあった。1945年には高松空襲で焼失したが、1946年に同一地点に再建された。周辺のアーケード街にはライオン通りと名づけられた。1994年には香川県初のシネコンが宇多津町に開館したことで観客を減らした。跡地はバッティングセンター「ライオンカンドーム」となる予定。*128

四国地方 愛媛県

新居浜市

新宝館/シネックス新居浜
所在地 : 愛媛県新居浜市
開館年 : 1956年(新宝館)、1993年(シネックス新居浜)
閉館年 : 2003年2月
1956年に洋画専門映画館「新宝館」が開館。1993年にはシネコン「シネックス新居浜」に改装された。2003年2月に閉館した。ネットカフェとして営業していた時期もあったが、2010年1月にはライブハウス「新居浜ジャンドール」となった。2019年7月20日は一日限定で映画館となり、『チャーリーとチョコレート工場』が上映された。*129

宇和島市

宇和島市の映画館
宇和島市には多すぎるといわれる映画館8館のうち7館までが商店街沿いまたは近接して位置している。商店街の南端にある洋画封切館のスバル座は、演劇場の融通座を回収したシネマスコープ劇場である。700席を持ち、客層はインテリ層が多数を占める。中央劇場は宇和島の草分け的存在であり、約50年前に開館した。戦火を免れた唯一の館であり、日活の封切館である。商店街の中心部にある丸の内劇場(丸劇)は松竹封切館であり、広いステージで歌謡ショーやファッションショーも催されるため女性ファンが多い。丸の内劇場と向かい合って、1955年に開館したばかりの宇和島東映があり、東映の封切館である。城山の山麓、宇和島港に接して日劇があり、スバル座と同じく洋画の封切館である。海岸村から来る客に便利な立地のせいか西部劇が多い。臨港道路を渡ると東宝封切館の新劇がある。新劇を過ぎて商店街の北端部に、大映封切館のキリン館がある。市街地南部の町はずれにあるつばめ座は、1956年9月に町工場を改修して開館したばかりの邦画再映館である。*130

宇和島の映画館は宇和島発祥の堀部チェーンと戦後に松山から進出した坪内チェーンに二分される。スバル座、丸の内劇場、新劇は堀部チェーン、日劇、宇和島東映、中央劇場、キリン館は坪内チェーンである。つばめ座のみは個人経営。宇和島東映、つばめ座、丸の内映画劇場(丸劇)、新栄劇場、キリン座、スバル座、中央劇場、日劇の写真あり。*131
宇和島シネマサンシャイン
所在地 : 愛媛県宇和島市本町追手
開館年 : 1991年
閉館年 : 2005年4月10日
2005年4月10日、宇和島市本町追手の映画館「宇和島シネマサンシャイン」が閉館する。この場所には1885年に開館した芝居小屋「融通座」があった。戦後には映画館「スバル座」となり、1991年に佐々木総合管理による3スクリーンの宇和島シネマサンシャインとなった。佐々木総合管理は1999年に大洲市に6スクリーンの大洲シネマサンシャインを開館させており、効率化を図ることにしたという。*132

喜多郡内子町

旭館
所在地 : 愛媛県喜多郡内子町内子
開館年 : 1926年
閉館年 : 1967年
1926年に木造平屋建て一部2階建ての旭館が開館。重要伝統的建造物群保存地区の町並みに近い。1967年に閉館し、長らく倉庫として使用されていた。2013年12月には登録有形文化財となった。2013年6月2日には約半世紀ぶりに上映会が開催され、不定期に上映会を行っている。*133

四国地方 高知県

高知市

TOHOシネマズ高知
所在地 : 高知県高知市秦南町1丁目4−8 イオンモール高知3階
開館年 : 2004年7月
閉館年 : 営業中
2004年(平成16年)7月には高知市郊外に、高知県内初のシネコンとして「TOHOシネマズ高知」が開館。10スクリーン計約1600席。同年8月には本町1丁目の「高知東映」が閉館し、翌2005年(平成17年)3月には帯屋町1丁目の「高知東宝」が閉館を決定した。同年6月末には本町1丁目の「高知松竹ピカデリー」も閉館するが、高知松竹ピカデリーの支配人は運営を引き継ぐ方針を示しており、松竹の撤退後しばらくして営業を再開する予定である。TOHOシネマズ高知の開館後、高知東宝と高知松竹ピカデリーの観客数は従来の3割にまで激減していた。*134

四万十市

中村太陽館
所在地 : 高知県中村市栄町
開館年 : 1926年? 1935年?
閉館年 : 2005年3月
2005年3月、中村市栄町の映画館「太陽館」の閉館が決定した。2004年5月のゴールデンウィーク興行を最後に休館となっており、同年夏には経営者の沢田寛(79)が体調を崩して入院していた。1935年に組合組織で開館。昭和30年代中頃の中村市には6館の映画館があった。高知県西部では唯一の映画館だった。*135

1926年(大正15年)に中村太陽館が開館した。全盛期の中村市には4館の映画館があり、中村市栄町にあった中村太陽館は「おまち中村」のシンボル的存在だった。2005年(平成17年)には4館の中で最後に残った中村太陽館も閉館した。幡多地域最後の映画館だった。閉館後も待ち合わせ場所などに使用されたが、2017年(平成29年)5月以降に建物が解体された。*136

九州地方 福岡県

福岡市

西新アカデミー
所在地 : 福岡県福岡市西区西新町1-7-28(1980年)、福岡県福岡市早良区西新1-7-8(1990年)
開館年 : 1977年9月
閉館年 : 1999年9月15日
1999年9月15日、福岡市の映画館「西新アカデミー」が閉館する。副都心である西新地区には昭和30年代に約7館があったが、現在は西新アカデミーが唯一の映画館だった。1977年9月、オレンジ通り商店街にある7階建てマンションの1階部分に西新アカデミーが開館。180席の1スクリーン。1996年4月にはキャナルシティ博多に13スクリーンのシネコンが開館し、最近は天神地区や近隣地にも新映画館が開館していた。最終上映作品は『ポケットモンスター』。*137

北九州市

有楽映画劇場
所在地 : 福岡県北九州市八幡東区前田2丁目
開館年 : 1954年
閉館年 : 2019年6月27日
2019年6月27日、北九州市八幡東区前田2丁目の成人映画館「有楽映画劇場」が閉館する。所在地の地名から「前田有楽」とも呼ばれる。高度経済成長期初期の1954年に一般映画館として開館し、八幡製鉄所の工員などが詰めかけて盛況だった。映画離れに加えて製鉄業の低迷もあり、1970年代に成人映画館に転換した。近年は10年以上にわたって赤字が続いていた。2005年公開の映画『カーテンコール』、2007年公開の映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』ではロケ地としても使用された。閉館後の6月29日には有志によって「さよなら前田有楽まつり」が開催され、館内や映写室内の見学会や、倖田李梨主演作『スモーキング・エイリアンズ』の上映、倖田李梨によるアフタートークなどが開催される。建物は近いうちに取り壊される予定。*138

大川市

大川シネマホール
所在地 : 福岡県大川市酒見215-1
開館年 : 2015年10月11日
閉館年 : 営業中
2015年(平成27年)10月11日、福岡県大川市に映画館の大川シネマホールが開館した。運営は国際医療福祉大学などを運営する高邦会グループ。2015年4月にオープンした同グループの複合施設「おおかわ交流プラザ」4階に設置される。370席。スクリーンは高さ6.3メートル、幅14.5メートル。かつて大川市には4館の映画館があったが、1975年(昭和50年)頃までにすべて閉館している。*139

糟屋郡志免町

志免映劇
所在地 : 福岡県糟屋郡志免町
開館年 : 1984年12月
閉館年 : 1993年1月15日
1993年1月15日をもって、福岡県糟屋郡志免町(しめまち)の映画館「志免映劇」が閉館する。1984年12月に開館。132席。経営者の八尋新は故郷の須恵町に映写機やスクリーンや音響装置などの機材一式を寄贈する予定であり、須恵町は1994年開館を目指している文化会館に設置する予定である。*140

九州地方 佐賀県

佐賀市

シアター・シエマ
所在地 : 佐賀県佐賀市松原2丁目14−16
開館年 : 2007年12月15日
閉館年 : 営業中
閉館した映画館を使用して2007年12月15日に開館。2スクリーンに計165席。ランチが食べれるカフェもある。10年間で上映した作品数は約1700作品。2008・2009年頃にはデジタル化に際して約1000万円かかる機材の導入に頭を悩ませたが、募金で1200万円超が集まり、2014年末に1スクリーンで新しい映写機を導入できた。2014年以降には上映された作品についてカフェで語り合う催しを開催。2017年12月10日にはファン投票による歴代上映作ベスト10を発表。*141

唐津市

唐津東宝大劇/唐津東宝大劇1・2
所在地 : 佐賀県唐津市千代田町2109-3(1990年)
開館年 : 1957年
閉館年 : 1997年2月16日
1980年の映画館名簿では「唐津東宝大劇」。1990年の映画館名簿では「唐津東宝大劇1・2」(2館)。

1997年2月16日、唐津市の映画館「東宝大劇」が閉館する。1957年に開館し、全盛期には唐津市だけで約8館の映画館があった。閉館後には建物を取り壊し、テナントビルを建設する予定。*142

九州地方 長崎県

長崎市

新世界
所在地 : 長崎県長崎市梅香崎町
開館年 : 1955年
閉館年 : 2001年1月31日
2001年1月31日、長崎市梅香崎町の映画館「新世界」が閉館する。JR長崎駅アミュプラザ長崎にシネコン「ユナイテッド・シネマ長崎」が開館したことで観客が減少したのが理由。2スクリーン、計685席。長崎市有数の大型館であり、幅14メートルのスクリーンは長崎県最大級。1993年から長崎市未公開の名画を夜間に上映する試みを行って映画ファンを引き付けていた。1955年に開館。*143

島原市

島原八木館1・2
所在地 : 長崎県島原市中堀町18・中堀町156(1980年・1990年)
開館年 : 1964年
閉館年 : 1991年6月4日
1980年・1990年の映画館名簿では「島原八木館1・2」(2館)。

島原市中堀町にある「八木館」は島原半島唯一の映画館である。経営者は八木晴恵。1991年6月3日には雲仙普賢岳の大規模災害が起こり、(建物に被害はなかったものの)6月4日から休館していた。7月上旬にはボランティア団体がアニメ映画の無料上映会を開催し、大きな反響があったことから、10月12日には通常営業を再開した。*144

1999年11月3日、島原市中堀町の水都88ビルにある映画館「八木館」が4年ぶりに営業を再開する。日曜と祝日の上映を続けたいとしている。経営者は八木晴恵(62)。1964年に島原市の要請などで開館した。1991年には雲仙普賢岳の災害などで休館を余儀なくされ、1995年に営業を再開したものの、再び休館していた。常設館を休館させている間は、島原半島の施設や学校などで出張上映を行っていた。*145

九州地方 熊本県

阿蘇郡小国町

小国シネ・ホール
所在地 : 熊本県阿蘇郡小国町宮原1988-7
開館年 : 1970年代
閉館年 : 2007年12月(定期上映終了)
2007年12月から休館中の映画館「小国シネ・ホール」(阿蘇郡小国町宮原)が、約8年ぶりに期間限定で上映会を行う。休館前は阿蘇郡唯一の映画館だった。2018年6月18日から6月24日まで、2016年4月の熊本地震前に県内で撮影された短編映画『うつくしいひと』をチャリティー上映する。*146

小国町中心部の宮原地区にはかつて約250席の「雄国館」があったが、1960年代後半に閉館。北村の父・弘義が同館の設備を賃借し、1970年代から不定期に映画興行を行ってきた。『砂の器』『スター・ウォーズ』などのヒット作を次々に上映したが、過疎化で観客が減少して賃借料の支払いが困難になったため、弘義は1983年に自宅を改装して小国シネ・ホールを開館し、不定期で上映を続けた。1994年頃に栄次朗が帰郷して手伝い、『もののけ姫』や『タイタニック』などを上映。町内外から入りきらないほどの客が訪れ、「雄国館」の建物でも臨時上映した。2002年頃には大規模改修。映画館用の固定椅子63席と音響設備。ワーナー・ブラザーズなどと契約し、常設館として最新作を毎日上映した。しかし熊本市近郊に相次いでシネコンが開業すると、客数が減少して2007年12月に休館。支配人の北村栄次朗50歳。2016年4月の熊本地震後、『うつくしいひと』を上映すると1週間で約350人が来館。以後は不定期で上映を再開し、2017年には『この世界の片隅に』、2018年6月には『blank13』を上映。町民数人が「小国シネマ倶楽部」を結成してチケット販売や宣伝用看板の製作を手伝っている。*147

九州地方 大分県

別府市

A級別府劇場
2009年には別府市のストリップ劇場「A級別府劇場」が閉館した。大分県で唯一のストリップ劇場だった。2010年にはNPO法人BEPPU PROJECTが所有者から施設を貸借し、花道・回転ステージ・椅子などを残したままイベント会場とし、ダンス・音楽・落語などが行われた。2015年に開催された別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」では、「永久別府劇場」という名称でお化け屋敷の開場となった。*148

豊後高田市

玉津東天紅
所在地 : 大分県豊後高田市
開館年 : 2017年4月
閉館年 :
2017年4月、豊後高田市の商店街「玉津プラチナ通り」にミニシアター「玉津東天紅」(たまつとうてんこう)が開館した。大分県北部唯一の映画館である。閉店したパン工場を改修。1933年に開館して昭和40年代に閉館した映画館「東天紅」が名称の由来。隔週の金曜・土曜・日曜のみ開館し、それ以外の期間はカラオケルームとして使用されている。鑑賞量は一般が1800円、60歳以上が1000円。現在は約450人の会員がおり、一般会員は1300円、60歳以上会員は500円。開業に際しての資金1500万円は、大分県と豊後高田市の補助金も入っており、行政が補助しながら運営する独特のスタイルの映画館である。大分市でシネマ5を運営する田井肇が作品選定に協力している。*149

九州地方 宮崎県

宮崎市

宮崎東映劇場
所在地 : 宮崎県宮崎市
開館年 : 1950年代後半
閉館年 : 1999年1月17日
1999年1月17日、宮崎市中央通3丁目の映画館「宮崎東映劇場」が閉館する。1スクリーン180席。観客数の減少による経営不振が理由。東映の子会社である九州東映事業が運営していた。宮崎県における大手邦画会社の直営館は宮崎東宝劇場のみとなる。昭和30年代初頭に開館し、1993年には現在の貸しビルに移転していた。1998年の観客数は2万7000人、興行収入は3700万円だった。宮崎市内の興行会社が施設を引き取って改装し、1月23日には洋画上映館「マジソンシアター」が開館する予定である。*150

九州地方 鹿児島県

鹿児島市

鹿児島名画座
所在地 : 鹿児島県鹿児島市下荒田3-27-20(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「鹿児島名画座」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鹿児島有楽座・鹿児島ロマン
所在地 : 鹿児島県鹿児島市山之口町11-1(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「鹿児島有楽座・鹿児島ロマン」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鹿児島文化プラザ120・鹿児島文化プラザ80
所在地 : 鹿児島県鹿児島市東千石町2-12(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「鹿児島文化プラザ120・鹿児島文化プラザ80」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
鹿児島東映劇場
所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町13-24(1990年)
開館年 : 1962年3月15日
閉館年 : 2004年9月16日
1990年・2000年の映画館名簿では「鹿児島東映劇場」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1962年3月15日に東映会館が開館。鉄筋コンクリート造1790m2。地上3階・地下1階建。地下1階と1階が映画館。2階と3階はキャバレーエンパイア。2004年9月16日には閉館。東映九州最後の直営館だった。翌日の9月17日には西鹿児島駅前に鹿児島ミッテ10が開館している。
松竹高島劇場/鹿児島松竹タカシマ/松竹タカシマ1・2・3
所在地 : 鹿児島県鹿児島市
開館年 : 1987年4月25日
閉館年 : 2005年5月5日
1990年・2000年の映画館名簿では「鹿児島ピカデリー・鹿児島松竹高島」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1987年4月25日に開館。2階がピカデリー、4階が松竹高島劇場。2000年8月には松竹高島劇場が3スクリーンの鹿児島松竹タカシマに。2005年5月5日に閉館した。*151
文化劇場/鹿児島シネシティ文化
所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町5-6(1980年)
開館年 : 1957年9月
閉館年 : 2006年6月5日
1990年の映画館名簿では「鹿児島シネシティ文化1-4」(4館)。2000年の映画館名簿では「鹿児島シネシティ文化1-5」(5館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

福岡県の有楽興行は鹿児島県に進出し、1957年9月に富士館を文化劇場と改称して鹿児島の拠点とした。1959年に劇場を新築し、鹿児島市の洋画館として初めて冷房設備を設置した。文化劇場・銀ザシネマ・銀座劇場の洋画上映館3館は提携して番組編成を行っており、文化劇場はその要となった。1988年9月には約10億円を投じた地上7階・地下1階のシネシティビルが千日町天文館通りに完成し、4スクリーンの複合映画館「シネシティ文化」が開館。厳密にはシネコンの定義には当てはまらない。1990年6月には5スクリーンに増やし、2003年12月には6スクリーンに増やした。2004年にミッテ10が開館したことなどが理由で、2006年6月5日から休館し、10月7日には営業再開の断念を決定した。*152
鹿児島東宝銀座・鹿児島東宝スカラ座・鹿児島銀座劇場/鹿児島東宝1・2・3
所在地 : 鹿児島県鹿児島市千日町14-28(1990年)
開館年 :
閉館年 : 2006年10月14日
1990年の映画館名簿では「鹿児島東宝銀座・鹿児島東宝スカラ座・鹿児島銀座劇場」(3館)。2000年の映画館名簿では「鹿児島東宝1・2・3」(3館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。

1995年には東宝銀座が3スクリーンの鹿児島東宝に。鹿児島東宝は2004年10月14日をもって閉館。翌日には鹿児島市郊外にTOHOシネマズ与次郎が開館している。*153
鹿児島旭シネマ
所在地 : 鹿児島県鹿児島市中央町20-12(2010年)
開館年 : 1977年2月
閉館年 : 2017年9月30日
1990年・2000年・2010年の映画館名簿では「鹿児島旭シネマ」。晩年は鹿児島県唯一の成人映画館だった。

1977年2月、上町東映の経営者は西鹿児島駅周辺の平和通り(ベル通り)に西駅旭シネマを開館させた。西鹿児島駅周辺では久々の映画館だった。*154
鹿児島ミッテ10
所在地 : 鹿児島県鹿児島市中央町1-1 アミュプラザ鹿児島6階
開館年 : 2004年9月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「鹿児島ミッテ10 1-10」(10館)。10スクリーンのシネコン。

2004年3月には九州新幹線の新八代駅=鹿児島中央駅間が開業。同年9月には鹿児島中央駅ビルに隣接して複合商業施設「アミュプラザ鹿児島」が開業し、6階にシネコン「鹿児島ミッテ10」が開館。10スクリーン計1922席。東映の子会社と有楽興行の合弁会社が運営。*155
TOHOシネマズ与次郎
所在地 : 鹿児島県鹿児島市与次郎1-11-1 フレスポジャングルパーク内
開館年 : 2004年10月15日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「TOHOシネマズ与次郎1-10」(10館)。
ガーデンズシネマ
所在地 : 鹿児島県鹿児島市呉服町6-5 マルヤガーデンズ7階
開館年 : 2010年4月4日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。
天文館シネマパラダイス
所在地 : 鹿児島県鹿児島市東千石町19‐1 LAZO表参道3階
開館年 : 2012年5月3日
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。7スクリーン計875席のシネコン。

鹿屋市

鹿屋テアトル文化
所在地 : 鹿児島県鹿屋市本町4-6(1980年・1990年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 1992年2月
1969年・1980年・1990年の映画館名簿では「鹿屋テアトル文化」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

1992年2月には鹿屋市のテアトル文化が閉館。鹿児島県内では鹿児島市以外にあった唯一の映画館だった。2000年8月には奄美市にシネマパニックが開館するまで、約8年間は鹿児島県内の映画館は鹿児島市のみという状態が続いた。*156
リナシアター
所在地 : 鹿児島県鹿屋市大手町1-1 鹿屋市市民交流センター内
開館年 : 2007年4月
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「リナシアター」。

2007年4月に鹿屋市民交流センター「リナシティ」にリナシアターが開館。鹿屋市の指定管理施設。座席数68席。

西ノ表市

西ノ表文化劇場
所在地 : 鹿児島県西ノ表市西町3-2(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「西ノ表文化劇場」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

奄美市

シネマパニック
所在地 : 鹿児島県奄美市名瀬有屋町2-3
開館年 : 2000年8月3日
閉館年 : 営業中
2000年の映画館名簿には掲載されていない。2010年の映画館名簿では「シネマパニック機Ν供廖

2000年8月3日には名瀬市に映画館「シネマパニック」が開館した。1989年に閉館した映画館の跡地を改装しており、140席と50席の2スクリーンがある。鹿児島県の地方部としては8年ぶりの映画館である。*157

2010年6月1日には奄美市の「シネマパニック」が閉館した。鹿児島県の離島部唯一の映画館だった。*158

伊佐市

大口喜楽館
所在地 : 鹿児島県里2070(1990年)
開館年 :
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1990年の映画館名簿では「大口喜楽館」。2000年の映画館名簿には掲載されていない。

姶良市

シネマサンシャイン姶良
所在地 : 鹿児島県姶良市東餅田336 イオンタウン姶良東街区3階
開館年 : 2010年以後
閉館年 : 営業中
2010年の映画館名簿には掲載されていない。

熊毛郡中種子町

平興行
所在地 : 鹿児島県熊毛郡中種子町野間旭町(1980年)

九州地方 沖縄県

石垣市

シネマ石垣
所在地 : 沖縄県石垣市美崎町7-14(1990年・2000年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2001年
2001年にはシネマ石垣が閉館した。2003年7月12日には営業を再開した。*159

ストリップ劇場

ピーク時の1966年頃には約300軒のストリップ劇場があったが、2016年現在はその10分の1とされている。地方都市ほど減少が激しく、特に温泉地で減っているという。1985年に改正風俗営業法によってオールナイトなどの深夜営業が禁止され、劇場が大きく減る要因となった。アダルトビデオ、ヘアヌード写真、インターネットの影響も大きいという。*160

2008年までの4年間で、ストリップ劇場が3分の1にまで激減していることが分かった。2006年5月施行の改正風俗営業法の影響が大きいとされるが、インターネットで過激な画像が閲覧出来たり、他の性風俗産業に流れたことも理由とされている。2003年の店舗型性風俗特殊営業3号(ストリップ劇場など)の営業所数は509店だったが、2005年には439店となり、2006年には192店となり、2007年には180店となった。*161

1947年が「ストリップ元年」とされる。8月15日には日本最大の盛り場だった浅草六区興業街に「浅草ロック座」が開館し、浅草寺の大僧正が祝辞を述べた。小説家のの永井荷風も常連客だったが、よれよれの背広に晴れた日でもコウモリ傘を持ち、若いスタッフは荷風を見て「なんだあのスケベ爺さんは」と陰口をたたいた。最盛期の1965年には全国に300軒以上のストリップ劇場があったという。1979年にインテリジェンス社が刊行した『ストリップ昭和史』には劇場一覧表が掲載されている。1985年に新風俗営業法が施行されると、新手の性産業が台頭したこともあって、ストリップ劇場は150軒まで減少した。*162

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