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東北地方 青森県

弘前市

弘前市の映画館
弘前東宝スカラ座は経営者が同じであり、弘前東宝は東宝の封切館であり、スカラ座は洋画の封切館である。弘前大映慈善館は大映封切館である。百石町には松竹直営で松竹封切館の弘前大和館がある。弘前東映は東映直営である。弘前日活は国営社直営で日活と新東宝の封切館である。国際劇場は洋画封切館である。国民劇場は洋画番外である。弘前駅前には弘前ニュース劇場がある。駅前劇場の通称を持つ弘前映画劇場は東映二番館かつ日活と新東宝の再映館である。百石町には洋画の有楽座、大映と新東宝ほかの再映館である弘前オリオン座、松竹や東宝ほかの再映管である弘前日本劇場がある。洋画再映館の光映画劇場は1956年春に焼失したが、現在再建中で近く開館の見込みである。
*1

弘前市は青森市・八戸市に次いで第3位の人口14万人を持ち、映画館は14館がある。市街地は戦災を受けておらず、乞食が1人もいないといわれるほど住みよい町である。弘前大映慈善館、弘前ニュース劇場、弘前映画劇場、弘前オリオン座、国際劇場、弘前東宝、スカラ座、国民劇場、有楽座、弘前東映劇場、弘前日本劇場、弘前大和館、光映画劇場、弘前日活の写真あり。
*2

東北地方 秋田県

秋田市

シネマパレ
所在地 : 秋田県秋田市千秋久保田町4番2号 秋田フォーラス8階(現・秋田オーパ)
開館年 : 1985年11月30日
閉館年 : 2017年2月26日
Wikipedia : 秋田オーパ
1985年11月30日に開館。当初は東宝の封切館であり、『千と千尋の神隠し』を上映していた時には年商が1億円を超えていた。郊外にシネコンができたりして客数が減少。2003年に川口豊が運営にかかわると、ミニシアター系の作品を上映したり、名画座形態に変更したりした。近年は1カ月当たりの客数が300人にとどまっていた。2017年2月26日に31年の歴史に幕を閉じて閉館した。最終上映は『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』。座席数は150席。*3

秋田フォーラスのビルに改装に伴って、最上階のシネマパレが閉館する。客席は傾斜が少なく、座席は赤い別珍であり、扉は革張り風である。*4
イオン秋田 TOHOシネタウン/TOHOシネマズ秋田
所在地 : 秋田県秋田市御所野地蔵田一丁目1番1号 イオンモール秋田内
開館年 : 2001年12月22日
閉館年 : 営業中
2001年12月下旬、秋田市御所野地蔵田のイオン秋田ショッピングセンターに秋田県初のシネコン「TOHOシネタウン」が開館する。映画館棟はメイン棟の西側に建設され、連絡通路でつながっている。8スクリーン計1681席。428席のシネマ2が最大。秋田県初のシネコンであり、2001年現在で東北最大級のシネコンとされる。*5

東北地方 山形県

山形市

新山形にっかつ
所在地 : 山形県山形市幸町1-2
開館年 : 1974年頃
閉館年 : 1999年5月1日
1999年5月1日をもって、JR山形駅前の新山形にっかつが閉館した。観客数の減少による経営難が理由。25年ほど前に、現在と同じ商業ビルの地下で日活の直営館として開館した。3本立てを1週間交代で上映し、年間約150本を上映した。119席の館内は立ち見状態だったといい、女優の舞台挨拶ではビルの周りにも観客が押し寄せたという。山形県内の成人映画館は山形市本町2丁目の山形ロマン映劇のみとなった。全国的には最盛期の半分の300館を切ったとされる。*6

東北地方 福島県

南相馬市

朝日座
所在地 : 福島県南相馬市原町区大町1
開館年 : 1923年、1952年
閉館年 : 1991年
1923年(大正12年)には芝居小屋兼活動写真館として旭座が開館。1952年(昭和27年)には朝日座に改称して映画専門館となった。1991年(平成3年)の『ホーム・アローン』『シザーハンズ』の上映を最後に閉館。その後もスクリーンなどは残し、小規模な鑑賞会などが開催されている。建物は「旧朝日座」として登録有形文化財となっている。*7

関東地方 茨城県

那珂市

あまや座
所在地 : 茨城県那珂市瓜連1243
開館年 : 2017年10月14日
閉館年 : 営業中
2017年10月、那珂市のJR瓜連駅近くに茨城県北唯一のミニシアターである「あまや座」が開館した。2015年夏ころに空き店舗の活用を検討する社団法人「カミスガプロジェクト」が映画館の開館を目指すプロジェクトを開始させ、クラウドファウンディングなどで資金を調達。椅子は東京都の閉館した映画館から譲り受けた。*8

関東地方 栃木県

宇都宮市

テアトル宇都宮
所在地 : 栃木県宇都宮市曲師町
開館年 : 1981年
閉館年 : 2001年2月9日
2001年(平成13年)1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年(平成8年)には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*9

足利市

中央劇場
所在地 : 栃木県足利市通3丁目
開館年 :
閉館年 : 2001年1月31日
2001年(平成13年)1月末をもって、栃木県足利市通3丁目の映画館「中央劇場1・2」が閉館した。同年2月9日をもって、栃木県宇都宮市曲師町の映画館「テアトル宇都宮1・2」が閉館した。1996年(平成8年)には群馬県太田市に10スクリーンのシネコンが開館しており、他県ではあるが中央劇場の観客数はシネコン開館直後に4割も減少した。テアトル宇都宮は1981年開館であり、『もののけ姫』と『タイタニック』に沸いた1997年には年間16万人の観客数があったが、入居するビルの契約更新にともなって閉館を決めた。2001年現在の宇都宮市にはシネコンがないが、シネコン建設の計画がある。*10

関東地方 群馬県

前橋市

前橋テアトル西友/シネマ前橋/前橋シネマハウス
所在地 : 群馬県前橋市千代田町5-1-16 アーツ前橋3階
開館年 : 2018年3月17日(前橋シネマハウス)
閉館年 : 営業中
2018年3月17日に前橋シネマハウスが開館する。前橋テアトル西友やシネマ前橋として愛されたスクリーンを前橋市が改修して復活させた。市は中心街の新たなにぎわい拠点にしたい考え。116席。ミニシアター系の作品、公開から半年-1年経ったメジャー作品、往年の名画、アニメなどを上映。1日2作品を2回ずつ、年間約50作品の上映を予定。2006年1月、西武系列の商業施設の閉館とともに前橋テアトル西友も閉館。2009年から2011年頃まではNPO法人がシネマ前橋を運営し、過去の名画を中心に上映。近年はイベント用の貸施設として使用され、映画館としては活用されなかった。市は約400万円を投じてスクリーンや座席を改修し、映写機と音響機器を更新。運営は市まちづくり公社に委託。3月17日から3月30日は『ムーンライト』『ラ・ラ・ランド』『湯を沸かすほどの熱い愛』『それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』の4作品を上映。*11

関東地方 千葉県

千葉市

千葉にっかつ劇場/ロッポニカ千葉/シネロマン千葉
所在地 : 千葉県千葉市中央区中央1丁目1-12
開館年 : 1979年6月3日
閉館年 : 2006年6月29日
2006年6月29日をもって、千葉市中央区中央1丁目の成人映画館「シネロマン千葉」が閉館する。千葉市唯一の成人映画館だった。1979年6月3日に日活直営の千葉にっかつ劇場として開館。千葉にっかつ、ロッポニカ千葉と改称し、1990年にシネロマン千葉となった。最盛期の1982年から1983年頃には、週末に1日約400人、平日に1日約200人が来館した。現在は週末でも1日100人に届かない。アダルトビデオの普及で成人映画の需要が減ったといい、漫画喫茶やカラオケ店の普及でオールナイトの客が減ったという。映写室が雨漏りするなど老朽化が激しかった。*12

関東地方 埼玉県

秩父市

秩父座/松竹秩父国際劇場
所在地 : 埼玉県秩父市宮側町18−7
開館年 : 1902年
閉館年 : 1983年
2013年5月、松竹秩父国際劇場の建物を改修したレストランが営業を開始した。建物は明治30年代に芝居小屋として建てられ、昭和に入って映画館となった。外観は東京・浅草の国際劇場を模している。合掌造りの梁など明治期の木造建築の一部を残し、外観は映画館を再現した。松竹秩父国際劇場は約30年前に閉館した。*13

1902年に芝居小屋の秩父座として開館。珍しい大型木造合掌造りの建物である。1942年に映画館に転換し、1950年に松竹秩父国際劇場となった。秩父市最後の映画館だったが、1983年に閉館した。以後は倉庫として使用されていたが、所有者一家の上石有規がイタリアンレストランの開業を計画した。地元住民らも愛着ある建物を残したいと考え、秩父市商店連盟事業協同組合も協力している。地域商店街活性化法に基づく勲位御補助金を受けて改修工事を行う。外観は浅草の国際劇場を模したとされる。*14

関東地方 東京都

墨田区

墨田区の戦前の映画館
墨田区域(戦前の本所区と向島区)最古の映画館は、業平橋1丁目にあった業平座であるが、太平洋戦争の戦災で焼失したまま復興しなかった。緑町1丁目には相生館(両国日活館)が、石原町3丁目には第八福宝館(後の本所日活館)があった。第八福宝館は日活の前身の映画会社の福宝堂が設置した映画館である。福宝堂は東京市に1区1館の映画館を設置することを目標とし、1910年(明治43年)の四谷第四福宝館など8館の福宝館を開館させている。1936年(昭和11年)の墨田区域には、寺島町に向島劇場・向島キネマ・向島館・南竜館・寺島電気館・玉ノ井館などがあった。吾嬬町には吾嬬館・橘館・請地館・東成館・宮戸館があった。隅田町には映画館がなかった。*15
墨田区の戦後の映画館
1958年(昭和33年)1月時点の墨田区には29館の映画館があった。*16
江東劇場----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
錦糸町映画館------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東文化劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
めばえ座----------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東東映映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
本所映画館--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
リッツ劇場--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東地下劇場------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東名画座--------江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
江東花月映画劇場--江東橋4丁目1番地(江東楽天地)
両国日活映画劇場--緑町1丁目12番地
向島金美----------寺島町1丁目3番地
墨田文化映画館----寺島町2丁目98番地
墨田オデオン------寺島町4丁目20番地
玉ノ井東映--------寺島町7丁目78番地
玉ノ井新劇場------寺島町7丁目40番地
請地シネマ--------吾嬬町西1丁目37番地
第一南竜館--------吾嬬町西7丁目1番地
吾嬬富士館--------吾嬬町西8丁目30番地
橘新東宝----------吾嬬町西4丁目62番地
昌和シネマ--------吾嬬町西4丁目12番地
国際映画劇場------吾嬬町東5丁目7番地
菊川シネマ--------菊川1丁目9番地
石原ミリオン座----石原町3丁目9番地
墨田大成館--------寺島町6丁目29番地
朝日座------------寺島町4丁目145番地
向島館------------寺島町3丁目46番地
押上シネマ--------業平橋4丁目6番地
両国劇場----------東両国2丁目19番地
江東楽天地
1937年(昭和12年)2月27日には、工業地帯である東京市江東地域の歓楽地として、錦糸町駅前に江東楽天地が設立された。同年11月には本所映画館・江東劇場の3館の映画館が開館し、1938年(昭和13年)には遊園地の江東楽天地も開業した。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲では、本所映画館以外の施設が壊滅的な被害を受けた。1946年(昭和21年)には江東劇場が営業を再開し、その後遊園地も営業を再開した。1948年(昭和23年)には江東劇場が館内の改装を行い、同年4月には関西の宝塚歌劇団が初めて江東地域で公演を行った。1956年に行われた調査によると、江東楽天地の観客の在住地は江東区が33.0%、墨田区が21.5%、江戸川区が16.0%、千葉県が10.4%、その他が19.1%であり、江東地域が80%を占めていた。*17
業平座
所在地 : 東京都本所区業平町1丁目
開館年 :
閉館年 : 1945年
昭和10年代の本所区業平町1丁目にあった業平座の写真あり。現在の墨田区域でもっとも古い映画館である。当時の東京市東部の映画の流行地は浅草六区であるが、本所にも映画館が多かった。業平座は東京大空襲で焼失した。2007年(平成19年)現在の業平座跡地に建っている民家には映写室の一部が残っている。*18
相生館/両国日活映画劇場
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1963年以後
1950年・1953年・1960年の映画館名簿では「両国日活映画劇場」。

1963年頃の「両国日活」の写真あり。両国日活になる前は相生館と呼ばれていた。かつてはこの場所に本所区役所があった。*19
墨田文化映画館
所在地 : 東京都墨田区
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
墨田文映とも。

曳舟川通りには洋画系の墨田文化映画館があった。2007年現在の跡地には東京ホンダ向島が建っている。*20
吾嬬国際映画劇場/吾嬬国際劇場
所在地 : 東京都墨田区立花5丁目
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1969年以後
1969年(昭和44年)の吾嬬国際劇場の写真あり。1987年(昭和62年)現在の同一地点の写真もあり。小村井交差点近く、「吉野家立花店」の東側。*21
江東劇場
所在地 : 東京都墨田区江東橋4-27-14(1990年)
開館年 : 1937年
閉館年 : 1990年以後
1953年(昭和28年)のゴールデンウィークには美空ひばりの公演が開催され、江東劇場は開館以来最高の収益を上げた。1953年の美空ひばり公演の写真あり。*22

世田谷区

三軒茶屋中央劇場
所在地 : 東京都世田谷区三軒茶屋1-14-5
開館年 : 1952年
閉館年 : 2013年2月14日
港町キネマ通り : 三軒茶屋中央劇場
2013年2月14日、東京都世田谷区の三軒茶屋駅前にあった三軒茶屋中央劇場が閉館した。1952年に松竹系封切館として開館。男女のかっぱの看板があるため「かっぱの映画館」としても知られた。一時期は成人映画館に転換したが、1992年に姉妹館の三軒茶屋映画劇場が閉館したことから、名作を2本立て1300円で上映する名画座となった。閉館までフィルム上映のみだった。閉館後も元従業員の映写技師らは存続を求めて署名運動も行っている。*23

調布市

イオンシネマシアタス調布
所在地 : 東京都調布市小島町2丁目61−1 トリエ京王調布C館
開館年 : 2017年9月29日
閉館年 : 営業中
2017年度には京王調布駅の駅前広場の西側に建設する商業施設に、イオンシネマが開館する予定。11スクリーンで計約2100席。うち一つは500席超の大型スクリーンとなる。2011年9月に調布駅前のパルコ調布キネマが閉館してから、「映画のまち調布」をPRしているにもかかわらず映画館がなかった。*24

西東京市

田無銀映座
所在地 : 東京都田無市
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後
1960年・1969年の映画館名簿では「田無銀映座」。

1960年の「田無銀映」の写真あり。昭和30年代の北多摩郡田無町には、西武新宿線田無駅北側に「田無館」・「田無文化」・「田無銀映」の3つの映画館があった。田無町の住民だけでなく、近隣自治体からも観客がやってきた。*25

『目で見る西東京・東久留米・清瀬の100年』p.123には「田無銀映」が掲載されている。*26
田無館
所在地 : 東京都田無市
開館年 : 1927年以前
閉館年 : 1966年
1927年(昭和2年)の田無館の写真あり。田無館は北多摩郡田無町初の映画館だった。1966年(昭和41年)に閉館し、跡地はイトーヨーカドーとなった。*27

立川市

立川演芸館/立川名画座
所在地 : 東京都立川市
開館年 : 1925年
閉館年 : 1986年4月
1925年(大正14年)9月には立川駅南口に、芝居などを上映する立川演芸館が開館。1935年頃から映画の上映を始め、やがて立川名画座に改称した。勝て立川駅周辺には最大10館の映画館がひしめいていた。立川名画座は1986年4月に閉館した。*28

八王子市

ニュー八王子シネマ
所在地 : 東京都八王子市横山町13-4
開館年 : 1947年以前
閉館年 : 2017年1月31日
Wikipedia : ニュー八王子シネマ
1947年頃の文献からニュー八王子の名前が登場する。1950年代の八王子駅周辺には6館の映画館があった。1964年に現在のニュー八王子ビルに移り、4階で1スクリーンだった。1992年に現在の運営会社が引き継ぎ、3階から5階の4スクリーンに増やした。ビルの建て替えに伴い、2017年1月31日で閉館した。*29

関東地方 神奈川県

平塚市

平塚松竹劇場
所在地 : 神奈川県平塚市
開館年 : 1925年以前
閉館年 :
1916年(大正5年)頃には、平塚町初の映画常設館として旭座(後の平塚旭劇場)が開館した。1925年(大正14年)の平塚町案内図には、映画館として旭座、湘南キネマ、平塚劇場が掲載されている。平塚劇場は後に平塚松竹劇場に改称し、松竹作品を上映した。2003年(平成15年)現在の跡地はマンションと駐車場になっている。*30

小田原市

小田原ロマンス座
所在地 : 神奈川県小田原市
開館年 :
閉館年 : 1960年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「小田原ロマンス座」。
小田原銀映座
所在地 : 神奈川県小田原市
開館年 :
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1969年の映画館名簿では「小田原銀映座」。
シネサロンネムレ/にっかつロマンネムレ
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-4-1(1980年)
開館年 :
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1988年の住宅地図では「杉田ビル」4階の「にっかつロマンネムレ」。跡地は「スナックユリ」や「パブクラブアンアン」などがある名称不明のビル。映画館があった時代と同一の建物と思われる。
小田原オークラ劇場
所在地 : 神奈川県小田原市栄町1-14-4(1980年)
開館年 :
閉館年 : 1980年以後1990年以前
跡地は「音羽プラーザビル」北側の駐車場。
小田原みゆき座/小田原御幸座
所在地 : 神奈川県小田原市浜町1-5-35(1980年)
開館年 : 1960年(映画館化)
閉館年 : 1984年
1969年の映画館名簿では「小田原みゆき座」。1980年の映画館名簿では「小田原御幸座」。1988年の住宅地図では「小田原御幸座」。

小田原市浜松1丁目には御幸座という芝居小屋があったが、1960年(昭和35年)に映画館に転換した。1984年(昭和59年)に閉館した。「御幸座」の文字が見える1962年(昭和37年)の写真あり。*31
復興館/国際劇場/小田原日活/小田原日活国際劇場/小田原国際劇場・小田原にっかつ劇場
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-5-4(1980年)
開館年 : 1923年
閉館年 : 2000年
1969年の映画館名簿では「小田原日活国際劇場」。1980年の映画館名簿では「小田原国際劇場・小田原にっかつ劇場」(2館)。1988年の住宅地図では跡地に駐車場。番地から場所はほぼ確定。 跡地は葬儀場「ファミリーホール小田原」。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災からの復興を願って、同年に日活作品の上映館として「復興館」が開館した。1953年(昭和28年)には建物を建て替え、「国際劇場」に改称して大映と東映作品の上映館となった。1960年(昭和35年)には「小田原日活」に改称して再び日活作品の上映館となった。小田原東映と同じく2000年(平成12年)に閉館した。東海道と青物町商店街が交わる国際通り交差点の角にあった。1967年の写真あり。当時の青物町商店街の入口にはアーチが架けられており、現在の東海道に架かる歩道橋はまだないように見える。*32
小田原東映劇場
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-7-5(1980年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2000年3月31日
Wikipedia : 小田原東映劇場
1988年の住宅地図では「小田原東映劇場」。跡地はどら焼き店「菜の花あん工房」。

国道1号の小田原市民会館交差点の近くには、1956年(昭和31年)に開館した小田原東映劇場があった。東映作品の専門館であり、「東映まんがまつり」は人気が高かった。2000年(平成12年)に閉館した。「小田原東映」の文字が見える1967年(昭和42年)の写真あり。『一心太助 江戸っ子祭り』、『網走番外地 決斗零下30度』の看板が見える。*33
小田原中央劇場/小田原中央劇場1・2
所在地 : 神奈川県小田原市本町2-9-27(1980年・1990年)
開館年 : 1956年
閉館年 : 2003年
1980年の映画館名簿では「小田原中央劇場」。1988年の住宅地図では「小田原中央劇場」。1990年の映画館名簿では「小田原中央劇場1・2」(2館)。跡地は「さがみ信用金庫本店」北側の駐車場。

小田原市の国道1号沿いには、小田原東映と同じく1956年(昭和31年)に開館した中央劇場があった。西湘地区唯一の「洋画封切り劇場」がうたい文句であり、『太陽がいっぱい』『ベン・ハー』『慕情』などを上映した。2003年に閉館した。1967年頃の写真あり。『カレードマン 大胆不敵』などの看板が見え、「Chuo Theatre」の文字が見える。*34
小田原オリオン座/小田原オリオン座レッドホール・イエローホール・ブルーホール
所在地 : 神奈川県小田原市本町3-11-20(1980年・1990年)
開館年 : 1946年9月
閉館年 : 2003年8月20日
1969年・1980年の映画館名簿では「小田原オリオン座」。1990年・2000年の映画館名簿では「小田原オリオン座レッドホール・イエローホール・ブルーホール」(3館)。1988年の住宅地図では「オリオン座ビル」の「1階レッドホール 2階イエローホール 3階ブルーホール」。跡地は2005年竣工のマンション「レアージュ小田原本町」。

戦争からの復興途中の1946年(昭和21年)9月、小田原市にオリオン座が開館した。『わが生涯の輝ける日』の看板が見える昭和20年代の写真あり。オリオン座は松竹の直営館だった。最盛期の小田原市街地には9館の映画館があったが、テレビやビデオの普及、娯楽の多様化などが理由で相次いで閉館していった。平成に入って中央劇場と東映劇場も閉館し、2003年(平成15年)現在は東宝館とオリオン座の2施設のみとなっている。松竹の直営館だったオリオン座は洋画も上映する映画館となり、3スクリーンに増やして営業している。「THEATER ORION」の看板が見える2003年の写真あり。*35
東宝館/小田原東宝劇場
所在地 : 神奈川県小田原市栄町2-8-18(1980年)
開館年 : 1939年
閉館年 : 2003年8月29日
1988年の住宅地図では「サンバード長崎屋小田原店」の地下。跡地は「ドン・キホーテ小田原店」などがある「山崎商事ビル」。

戦前の1939年(昭和14年)、足柄下郡小田原町緑1丁目(現・栄町2丁目)に「東宝館」が開館した。「東宝館」(※東宝劇場ではない)の文字が見える。当時の小田原には東宝館のほかに、日活系の復興館と松竹系の富貴座もあった。東宝館は1945年(昭和20年)8月15日の小田原空襲を免れ、戦後まもなく営業を再開したことで、映画館前の通りは東宝館通りと呼ばれるようになった。1962年には隣接地に長崎屋小田原店が開店。長崎屋小田原店の店舗改修時には東宝館が地下に入り、東宝館通りはダイヤ街に名を変えている。かつての東宝館通りは飲食店が中心だったが、現在は大型店やアパレル店・日用雑貨店なども多く、小田原市街地の繁華街となっている。*36
ヴァージンシネマズ小田原/TOHOシネマズ小田原
所在地 : 神奈川県小田原市中里313−12 ダイナシティウォーク
開館年 : 2002年12月
閉館年 : 営業中
2002年12月に「ヴァージンシネマズ小田原」として開館。2004年2月に「TOHOシネマズ小田原」に改称。9スクリーンのシネコン。
小田原コロナシネマワールド
所在地 : 神奈川県小田原市前川219−4
開館年 : 2003年12月
閉館年 : 営業中
10スクリーンのシネコン。2014年8月には4DXを導入。

藤沢市

フジサワ中央
所在地 : 神奈川県藤沢市藤沢93
開館年 : 1950年4月
閉館年 : 2010年8月31日
Wikipedia : フジサワ中央
藤沢市最後の映画館だったフジサワ中央が2010年8月31日をもって閉館する。1950年4月に現在地に開業した。JR藤沢駅北口から徒歩5分。大小の2スクリーンがある。2007年に4スクリーンがあった湘南オデオンが閉館すると藤沢市最後の映画館となった。座席には背もたれもカップホルダーもなかく、興行収入はこの5年で3割も減少していた。*37
シネコヤ
所在地 : 神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-4-6
開館年 : 2017年4月8日
閉館年 : 営業中
ベーカリーと読書スペースを併設した小規模映画館「シネコヤ」が開館。25席ある館内。竹中翔子社長(32歳)が2016年9月に起業し手準備を進めた。竹中は藤沢市内の他の映画館で働いたり、上映会を企画した。2007年と2010年には藤沢氏内の老舗映画館が相次いで閉館。*38

中郡大磯町

ドライブイン・シアター Movix大磯/大磯ドライブインシアター
所在地 : 神奈川県中郡大磯町
開館年 : 1993年10月9日
閉館年 : 2010年10月11日
2007年から2010年まで「日本最後のドライブインシアター」だった。

1993年(平成5年)10月には大磯プリンスホテルの駐車場に、神奈川県内唯一のドライブインシアターがオープンした。*39

2007年8月末には千葉県野田市にあったドライブインシアターが閉館し、2007年10月末には千葉県船橋市にあった「ドライブインシアター・プラウド」の閉館も決定している。プラウドは1981年に開館した国内初のドライブインシアターである。これによって、国内の常設ドライブインシアターはドライブインシアター大磯のみとなる。大磯プリンスホテルにあるドライブインシアター大磯は、上映の合間の待ち時間に子供が遊べるスペースと道具が設置されており、売店では映画にちなんだ菓子を販売している。*40

大磯プリンスホテルは情報誌を発行しており、1993年10月1日発行の第7号に「ドライブイン・シアター MOVIX IN 大磯」、1993年12月1日発行の第9号に「紙上再現」、1994年2月1日発行の第11号「車の前にBIGなスクリーン ドライブイン・シアター」、1994年7月1日発行の第16号「編集後記」にドライブインシアターに関する記事が掲載されている。

近畿地方 大阪府

堺市

堺旭劇場
所在地 : 大阪府堺市昭和通3-42(19860年)
開館年 : 1980年年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
堺大劇
所在地 : 大阪府堺市甲斐町東2-1-33(19860年)
開館年 : 1980年年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
ニュー鳳劇場
所在地 : 大阪府堺市鳳東町1-65(19860年)
開館年 : 1980年年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
堺港東映
所在地 : 大阪府堺市楠町(1960年)
開館年 : 1953年以後1958年以前
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1969年の映画館名簿では「堺港東映」。跡地は「now Fresh mandai」(スーパー万代)。

映画最盛期の阪堺電鉄東湊電停付近にはおよそ5軒の映画館があり、この地域最大の娯楽街だった。2006年現在は「now Fresh mandai」(スーパー万代)となっている。1958年(昭和33年)の写真あり。*41
堺国際劇場
所在地 : 大阪府堺市甲斐町東2-1-35(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1988年1月31日
1980年の映画館名簿では「堺国際劇場」。阪堺電鉄宿院駅前。
堺宿院劇場・宿院シネマ/堺宿院劇場・堺宿院シネマ
所在地 : 大阪府堺市大町東3-1-28(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿では「堺宿院劇場・宿院シネマ」(2館)。1990年の映画館名簿では「堺宿院劇場・堺宿院シネマ」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。
堺東銀座ニューシネマ
所在地 : 大阪府堺市中瓦町2-3-12 第2阪本ビル(1990年)
開館年 : 1980年以後1990年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年・2000年の映画館名簿では「堺東銀座ニューシネマ」。1999年のゼンリン住宅地図ではパーターさかもと第2ビル 2階に「堺東銀座ニューシネマ 堺東AVシネマ」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海高野線堺東駅。
パンジョシネマ/パンジョホール
所在地 : 大阪府堺市茶山台1-3-1 パンジョ4階(1990年)
開館年 : 1986年7月19日
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿には掲載されていない。1990年の映画館名簿では「パンジョシネマ」。2000年の映画館名簿では「パンジョホール」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。パンジョ4階にあった1スクリーン80席のビデオシアター。
堺東宝
所在地 : 大阪府堺市北瓦町2-1-28(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「堺東宝」。1999年のゼンリン住宅地図では商業ビル「ヤングタウン103」4階に「堺東宝」。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海高野線堺東駅。
堺シネマ/堺シネマ・堺ロキシー/堺シネマ・堺シネマ2
所在地 : 大阪府堺市北瓦町2-1-28(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年の映画館名簿では「堺シネマ」。1990年の映画館名簿では「堺シネマ・堺ロキシー」(2館)。1999年のゼンリン住宅地図では商業ビル「ヤングタウン103」2階に「堺シネマ1・2」。2000年の映画館名簿では「堺シネマ・堺シネマ2」(2館)。2010年の映画館名簿には掲載されていない。最寄駅は南海高野線堺東駅。
堺東銀座東映劇場・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス/堺東銀座東映・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス/堺東映シネマ1・2
所在地 : 大阪府堺市北瓦町1-5-25(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2010年12月26日
1980年の映画館名簿では「堺東銀座東映劇場・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス」(3館)。1990年の映画館名簿では「堺東銀座東映・堺東銀座プラザ・堺東銀座パラス」(3館)。1999年のゼンリン住宅地図ではパーターさかもと第1ビル3階に「堺東映シネマ1・2」。2000年・2010年の映画館名簿では「堺東映シネマ1・2」(2館)。最寄駅は南海高野線堺東駅。
ヴァージンシネマズ泉北/TOHOシネマズ泉北
所在地 : 大阪府堺市南区原山台5-9-5 クロスモール内(2010年)
開館年 : 2000年12月
閉館年 : 営業中
9スクリーンのシネコン。2000年12月にヴァージンシネマズ泉北として開館。2004年2月にTOHOシネマズ泉北に改称。
MOVIX堺
所在地 : 大阪府堺市堺区築港八幡町1-1 堺浜シーサイドステージ堺浜えんため館内(2010年)
開館年 : 2006年4月15日
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。
TOHOシネマズ鳳
所在地 : 大阪府西区鳳南町3-199-12 アリオ鳳4階(2010年)
開館年 : 2008年3月
閉館年 : 営業中
10スクリーンのシネコン。

東大阪市

布施の映画館
映画最盛期の大阪府には約400館の映画館があったが、当時の布施市には20館以上が集まっていた。1954年(昭和29年)に線路際に並ぶ映画館版を映した写真あり。*42
大栄座
所在地 : 大阪府布施市
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1953年以後1960年以前?
1958年(昭和33年)時点の布施市には20館以上の映画館があり、河内市や枚岡市よりも遥かに多かった。1954年(昭和29年)に大栄座前で写した写真あり。1954年公開『人生劇場 望郷篇 三州吉良港』の看板が見える。*43

1954年(昭和29年)の布施駅前の写真あり。アドバルーンで大栄座の『人生劇場 望郷篇 三州吉良港』を宣伝している。*44

時期不明の東大阪市の住宅地図に掲載されている。
長瀬映劇
所在地 : 大阪府東大阪市長瀬町1-8-7(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「長瀬映劇」。
河内劇場
所在地 : 大阪府東大阪市岩田町5-7-21(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「河内劇場」。
布施光楽座
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-35(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施光楽座」。
布施東宝東大阪劇場
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-68(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施東宝東大阪劇場」。
布施有楽座
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町1-22(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1985年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施有楽座」。
布施アルス座
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町2-45(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施アルス座」。
布施日活劇場・布施ロマン劇場
所在地 : 大阪府東大阪市足代北2-69(1980年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「布施日活劇場・布施ロマン劇場」(2館)。
布施東映リオン座・布施リオン小劇場/リオン座1・リオン座2
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町2-14(1980年)、大阪府東大阪市足代2-14(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年の映画館名簿では「布施東映リオン座・布施リオン小劇場」(2館)。1990年の映画館名簿では「リオン座1・リオン座2」(2館)。
布施富士映劇
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町2-40(1980年・1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 1990年以後2000年以前
1980年・1990年の映画館名簿では「布施富士映劇」。
布施昭栄座・布施昭栄シネマ
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-58(1980年)、大阪府東大阪市足代1-15-5(1990年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1980年・1990年・2000年の映画館名簿では「布施昭栄座・布施昭栄シネマ」(2館)。
布施東劇1・布施東劇2
所在地 : 大阪府東大阪市足代1-21-10(2000年)
開館年 :
閉館年 : 2000年以後2010年以前
1990年・2000年の映画館名簿では「布施東劇1・布施東劇2」(2館)。

時期不明の東大阪市の住宅地図に掲載されている。
小阪座・小阪国際劇場
所在地 : 大阪府東大阪市下小坂677(1980年)、大阪府東大阪市小阪1-5-2(2010年)
開館年 : 1980年以前
閉館年 : 2010年3月31日
1980年の映画館名簿では「小坂国際劇場・ニュー小坂座」(2館)。2000年・2010年の映画館名簿では「小阪座・小阪国際劇場」(2館)。
布施ラインシネマ
所在地 : 大阪府東大阪市足代新町7-4 布施ラインシネマ10 北館・南館(2010年)
開館年 : 1997年12月
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 布施ラインシネマ
港町キネマ通り : 布施ラインシネマ
2000年の映画館名簿では「布施ラインシネマ1・2・3・4・5・6・7」(7館)。2001年6月には南館を増築。2010年の映画館名簿では「布施ラインシネマ1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」(10館)。10スクリーンのシネコン。シネマ1-7が北館に、シネマ8-10が南館にある。

近畿地方 兵庫県

西宮市

敷島劇場
所在地 : 兵庫県西宮市
開館年 : 1950年以後1953年以前?
閉館年 : 1953年以後1960年以前?
1953年の映画館名簿では「敷島劇場」。

阪神電車札場筋の踏切南側には映画館「敷島劇場」があった。1988年現在はパチンコ店になっている。*45

札場筋の写真に敷島劇場が見える。札場筋はその後拡幅整備され、また阪急西宮駅が上を通っている。敷島劇場跡地には2009年時点でパチンコ店が建っている。*46
日芸会館/西宮北口会館/北口会館
所在地 : 兵庫県西宮市津門呉羽町2-24(1990年)
開館年 : 1950年
閉館年 : 1970年頃
1956年に演劇場の日芸会館が東宝の所有となり、1960年に東宝封切館の西宮北口会館が開館した。1970年頃に閉館した。
今津大劇
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町13-5(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「今津大劇」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
今津東映
所在地 : 兵庫県西宮市津門川町13-7(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「今津東映」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
国際シネマ
所在地 : 兵庫県西宮市戸田町5-14(1980年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1960年・1969年・1980年の映画館名簿では「国際シネマ」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
今津阪急文化会館/今津文化会館/今津文化1・2
所在地 : 兵庫県西宮市津門呉羽町2-24(1990年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1995年
西宮市最後の従来型映画館。
TOHOシネマズ西宮OS
所在地 : 兵庫県西宮市高松町14-2-501 阪急西宮ガーデンズ5階
開館年 : 2008年11月
閉館年 : 営業中
12スクリーンのシネコン。

明石市

明石市の映画館
1956年(昭和31年)現在の明石市において、男女ともに「趣味」の第1位は映画だった。映画をどの自治体で観るか聞いたアンケートでは、83.6%が明石市内、13.5%が神戸市、12.0%が大阪市、1.7%がその他だった(複数回答可)。*47

1964年(昭和39年)現在の明石市には洋画系1館を含む7館の映画館がある。1963年(昭和38年)には7館の総観客数が84万人であり、市民1人あたり5.6回の計算となる。しかし、1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)には総観客数が200万人近かった。*48

1968年(昭和43年)の商工名鑑には、「明石劇場」(柏木興業、1950年設立)、「明石松竹」(柏木興業、1954年設立)、「明石東映」(明宝興業、1950年設立)、「白鳥座」(明宝興業、1950年設立)、「大久保劇場」が掲載されている。*49

1980年(昭和55年)の商工名鑑には、「明石東宝・明石日活」(柏木興業、大明石町1-6-7)、「明石松竹・明石東映・明石パレス」(明和興業、本町2-9-19)、「大久保劇場」(大久保町大畑549-1、1946年設立)が掲載されている。*50

1990年(平成2年)現在の明石市には、明石喜春商店会の中に明石東宝あり。本町商店街の中に本町にっかつあり。*51
明石日活
所在地 : 兵庫県明石市
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1954年以後
国道2号と銀座通りの交差点の北側には明石日活があった。1954年の明石日活の写真あり。1954年日本公開の『ローマの休日』の看板が見える。*52
白鳥座
所在地 : 兵庫県明石市
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1973年
国道2号沿いには白鳥座があった。1959年(昭和34年)当時の明石市中心部には、白鳥座のほかに、明石東映、明石東宝、本町日活などがあった。明石商業高校映画部の生徒が映っている1959年頃の写真あり。*53
大久保劇場
所在地 : 兵庫県明石市大久保町大畑549(1980年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「大久保劇場」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
明石パレス・明石松竹・明石東映
所在地 : 兵庫県明石市本町1-19(1980年)
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「明石パレス・明石松竹・明石東映」(3館)。1990年の映画館名簿には掲載されていない。
明石東宝
所在地 : 兵庫県明石市大明石町1-6-7 明神ビル2階(2010年)
開館年 : 1953年(経営者交代)
閉館年 : 2013年9月24日
港町キネマ通り : 明石東宝
跡地は複合商業施設「パピオスあかし」。

かつてはJR明石駅前の国道2号沿いに映画会社直営館が並んでおり、明石市全体で7館の映画館があった。1977年の明石東宝の写真あり。『大空のサムライ』と『喜劇 百点満点』の看板が見える。この年にはすでに3館にまで減少していた。*54
本町日活
所在地 : 兵庫県明石市本町1-14-18(2010年)
開館年 : 1969年以前
閉館年 : 2014年12月
明石市最後の従来型映画館。晩年は成人映画館。2015年12月1日には本町日活を改修して大衆演劇場「ほんまち三白館」(みはくかん)が開館。
ワーナー・マイカル・シネマズ明石/イオンシネマ明石
所在地 : 兵庫県明石市大久保町ゆりのき通1丁目3-2 イオン明石ショッピングセンター1番街
開館年 : 1997年10月23日
閉館年 : 営業中
7スクリーンのシネコン。スクリーン4(定員492名)は兵庫県内の映画館で最大。

加古川市

加古川劇場/加古川映劇
所在地 : 兵庫県加古川市加古川町本町
開館年 :
閉館年 : 1962年
加古川市立加古川小学校北側の道を西に向かい、ニッケ社宅に入る手前には雁南川橋があるが、そのたもとの右側には加古川劇場があった。戦後しばらくは芝居の興行を行っていたが、全面的に改装して映画館の加古川映劇に転換した。中心市街地からはやや離れており、1962年には営業不振で閉館した。加古川映劇という名称だった期間は短く、住民には加古川劇場として記憶されている。1952年頃の写真あり。「KAKOGAWA EIGEKI」の文字が見える。*55
新興座/第一新興会館・第二新興会館
所在地 : 兵庫県加古川市加古川町篠原町
開館年 : 1932年
閉館年 : 1961年以後1972年以前
1932年(昭和7年)、劇場の末広劇場が映画館の新興座に転換した。『青い山脈』や『君の名は』は超満員だった。小中学生の映画教室の際には、教師に引率されて新興座に連れられた。1956年(昭和31年)12月には4階建ての映画館ビル「新興会館」に建て替えられ、第一新興会館・第二新興会館となった。ワンフロア・ワンスロープという特徴的な構造だった。座席数はいずれも260席。新興会館内には食堂・喫茶店・たこやき屋・うどん屋・飲み屋も営業していた。単独館時代の1953年の写真あり。映画館ビル時代の1961年の写真あり。ネオンアーチのすぐ無効に新興快感が見える。映画館が閉館した後、ヤマトヤシキのカコガワストアとなり、1972年(昭和47年)には百貨店のヤマトヤシキ加古川店となったが、映画館の建物を百貨店に転換するのには無理があり、1979年(昭和54年)に閉店した。1989年(平成元年)には建物が取り壊され、跡地にはパチンコ店が建った。*56

国鉄加古川駅のすぐ南西、加古川町篠原町三桝には映画館の「新興座」があった。1899年(明治32年)12月11日に許可を得て新築し、1900年(明治33年)6月7日に寿座として初興業を行った。1915年(大正4年)12月28日には播州鉄道が持ち主となり、大成座に改称した。尾上松之助や淡海一座が常打ちに近い時代があった。加古川市の名誉市民第一号である演劇評論家の三宅周太郎は、大成座を気にかけていた。1930年(昭和5年)には持ち主が代わって新興座に改称、旭倶楽部とともに活動写真館となった。この時代には芝居と映画の双方を行う加古川劇場もあった。戦後には鉄筋コンクリート造の新興会館ビルとなり、内部には2映画館があった。その後ヤマトヤシキ加古川店となり、1980年現在はパチンコ店となっている。*57
旭倶楽部/加古川旭クラブ
所在地 : 兵庫県加古川市加古川町本町
開館年 : 1914年
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1969年の映画館名簿では「加古川旭クラブ」。

現在の本町公園の場所には映画館の「旭クラブ」があった。1928年(昭和3年)元旦に開館し、U字型の1階・2階客席を有した。大映系の萌芽と洋画を上映した。1953年の写真あり。*58

加古川市の旭クラブ。「ASAHI CLUB」や「旭クラブ」の文字が見える。昭和30年代の写真あり。若者が建物前で立ち話している。*59

1914年(大正3年)には加古川市本町に映画館の「旭倶楽部」が開館した。館内には売店があり、売り子が客席を回った。2006年(平成18年)現在の跡地は本町公園となっている。昭和初期の写真あり。*60

加古川町366番地には映画館の「旭倶楽部」があった。1927年(昭和2年)4月4日に許可を得て、木村の岡田米吉らが建設し、1928年(昭和3年)1月1日に活動写真館として開館した。写真あり。*61
加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ
所在地 : 兵庫県加古川市篠原町3-73-4(1980年)
開館年 :
閉館年 : 1980年以後1990年以前
1980年の映画館名簿では「加古川東映パラス・加古川グリーン・加古川シネマ・加古川ローズ」(4館)。
ワーナー・マイカル・シネマズ加古川/イオンシネマ加古川
所在地 : 兵庫県加古川市平岡町新在家615-1 イオン加古川店シネマ棟3階
開館年 : 2001年1月26日
閉館年 : 営業中
8スクリーンのシネコン。

宝塚市

宝塚大劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
新芸座
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
宝塚中央劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面五反田(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
宝塚銀映劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面山ノ上(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1969年以前
宝塚映画劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市川面武庫川通(1960年)
開館年 : 1945年?、1952年?
閉館年 : 1960年以後1969年以前
1960年の映画館名簿では「宝塚映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。宝塚映画劇場は宝塚ファミリーランドの東端にあったと思われる。

戦後の1952年(昭和27年)、宝塚ファミリーランドの一角、入場口左手に開業した。収容人員200人。この頃の宝塚市には、宝塚駅、宝塚南口駅、逆瀬川駅付近に数館の映画館があった。*62
新花月劇場/宝塚新花月劇場
所在地 : 兵庫県宝塚市伊子志亥谷(1960年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1980年以前
1960年の映画館名簿では「新花月劇場」。1969年の映画館名簿では「宝塚新花月劇場」。1980年の映画館名簿には掲載されていない。
シネ・ピピア
所在地 : 兵庫県宝塚市売布2-5-1 ピピアめふ5階(2010年)
開館年 : 1999年10月29日
閉館年 : 営業中
Wikipedia : 宝塚シネ・ピピア
2000年・2010年の映画館名簿では「シネ・ピピア1・2」。

2005年現在でシネ・ピピアは宝塚市唯一の映画館である。公設民営という点が特徴であり、所有者は宝塚市、運営は民間である。阪急宝塚線売布神社駅からすぐの場所にある。ピピア1とピピア2の2スクリーンがあり、どちらも座席数は50席である。音響設備は日本トップクラスであり、車いす席や補聴システムも導入されている。ピピア1は新作映画を上映するロードショー館であり、ピピア2は観客のリクエスト作の上映、市民企画枠の作品の上映、市民団体への貸しホールなど、独自のプログラムを組んでいる。1999年にシネ・ピピアが開館するまで、約30年間は宝塚市に映画館が存在しなかった。1990年には主婦らによって「宝塚に映画館をつくろう会」が設立され、のちに「宝塚・シネクラブ」に改称して映画上映会や企業との交渉などを行った。1995年の阪神大震災で存続が危ぶまれたが、半年後には上映会を再開した。震災復興再開発ビル「ピピアめふ」にシネ・ピピアが開館したことで10年間の活動が実った。「宝塚・シネクラブ」は「すみれ座」と改称して上映活動を続けている。2000年には「すみれ座」などを中心に宝塚映画祭実行委員会が結成され、2002年11月にはシネ・ピピアをメイン会場として第1回映画祭が開催された。*63

中国地方 岡山県

津山市

津山劇場
所在地 : 岡山県津山市
開館年 :
閉館年 :
宮川の西岸、大橋と新大橋の間にあった。*64
津山東宝
所在地 : 岡山県津山市 明宝ビル1階
開館年 :
閉館年 : 2008年以前
津山明宝会館と同じ明宝ビルの1階には津山東宝があったが、津山明宝会館よりもかなり早くに閉館した。『七人の侍』などの邦画を上映した。明宝ビルは2015年前半に取り壊され、明宝ビルの跡地は2015年8月28日に開店した「ファミリーマート津山駅前店」の駐車場となった。*65
津山映画劇場
所在地 : 岡山県津山市
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1955年以後
アルネ津山の立体駐車場の東側、パチンコ店の駐車場になっている場所には津山映画劇場があった。1955年頃には『二十四の瞳』を上映した。*66
さくら映画劇場
所在地 : 岡山県津山市
開館年 :
閉館年 : 1987年以前
銀天街と一番街の交差点から南西方向にあった。現在はアルネ津山になっている場所と思われる。*67
新地座/協映劇場
所在地 : 岡山県津山市山下
開館年 : 1885年(新地座)、1954年(協栄劇場)
閉館年 : 1988年
1885年(明治18年)に芝居小屋の「新地座」が開館し、1954年に映画館化して「協映劇場」に改称した。日活作品(石原裕次郎・小林旭出演作品)を上映していた。1988年に閉館した。*68
冨士映画劇場/津山東映
所在地 : 岡山県津山市本町三丁目
開館年 :
閉館年 : 1989年以後
本町3丁目商店街にあった。
津山明宝会館
所在地 : 岡山県津山市 明宝ビル2階
開館年 : 1957年
閉館年 : 2008年7月13日
JR津山駅からすぐ、「津山駅前交差点」北側角の明宝ビル2階にあった。1957年に津山明宝会館が開館し、洋画専門館だった。最盛期の津山市内には7館の映画館があった。2008年7月13日に閉館した。最終上映作品は『ナルニア国物語第二章 カスピアン王子の角笛』。観客は約30人であり、支配人に就任してまだ9か月の能勢さん(33歳)の前で片岡社長が閉館のあいさつを行った。片岡社長は3代目である。閉館から1週間後の7月20日と7月21日には、津山明宝会館で『ほっこまい 高松純情シネマ』のロケが行われた。1970年の高松市に住む高校生の主人公が通い詰める映画館として使用された。1960年頃の明宝会館の写真あり。*69

明宝ビルは2015年前半に取り壊され、明宝ビルの跡地は2015年8月28日に開店した「ファミリーマート津山駅前店」の駐車場となった。*70
錦鶴映画劇場(錦映)
所在地 : 岡山県津山市福渡町
開館年 :
閉館年 : 2008年11月30日
2008年7月13日に津山明宝会館が閉館すると、3か月後の2008年11月30日には津山市最後の映画館だった錦映も閉館した。最終上映作品は『崖の上のポニョ』。*71

中国地方 島根県

隠岐郡西ノ島町

大久館
所在地 : 島根県隠岐郡西ノ島町美田尻
開館年 : 昭和30年代半ば
閉館年 : 昭和40年代
昭和30年代半ば頃、美田尻に大久館(だいきゅうかん)という映画館が開館。毎日興行ではなかったが、常設の映画館だった。テレビの普及に伴い、昭和40年代に閉館となった。*72

四国地方 徳島県

板野郡北島町

シネマサンシャイン北島
所在地 : 徳島県板野郡北島町鯛浜西ノ須174 フジグラン北島3階
開館年 : 2001年12月1日
閉館年 : 営業中
2001年(平成13年)12月1日、徳島県北島町鯛浜に徳島県初のシネコン「北島シネマサンシャイン」が開館した。11月初頭に開業したフジグラン北島の3階と4階を占めている。8スクリーン計1376席。1スクリーンの座席数は85席から300席。佐々木総合管理は関東や四国でシネコンを運営しており、北島で13施設目である。北島シネマサンシャインの開館によって、徳島県の映画館数は2倍に、収容人数は1.5倍に増加した。*73

四国地方 愛媛県

宇和島市

宇和島市の映画館
宇和島市には多すぎるといわれる映画館8館のうち7館までが商店街沿いまたは近接して位置している。商店街の南端にある洋画封切館のスバル座は、演劇場の融通座を回収したシネマスコープ劇場である。700席を持ち、客層はインテリ層が多数を占める。中央劇場は宇和島の草分け的存在であり、約50年前に開館した。戦火を免れた唯一の館であり、日活の封切館である。商店街の中心部にある丸の内劇場(丸劇)は松竹封切館であり、広いステージで歌謡ショーやファッションショーも催されるため女性ファンが多い。丸の内劇場と向かい合って、1955年に開館したばかりの宇和島東映があり、東映の封切館である。城山の山麓、宇和島港に接して日劇があり、スバル座と同じく洋画の封切館である。海岸村から来る客に便利な立地のせいか西部劇が多い。臨港道路を渡ると東宝封切館の新劇がある。新劇を過ぎて商店街の北端部に、大映封切館のキリン館がある。市街地南部の町はずれにあるつばめ座は、1956年9月に町工場を改修して開館したばかりの邦画再映館である。*74

宇和島の映画館は宇和島発祥の堀部チェーンと戦後に松山から進出した坪内チェーンに二分される。スバル座、丸の内劇場、新劇は堀部チェーン、日劇、宇和島東映、中央劇場、キリン館は坪内チェーンである。つばめ座のみは個人経営。宇和島東映、つばめ座、丸の内映画劇場(丸劇)、新栄劇場、キリン座、スバル座、中央劇場、日劇の写真あり。*75

喜多郡内子町

旭館
所在地 : 愛媛県喜多郡内子町内子
開館年 : 1926年
閉館年 : 1967年
1926年に木造平屋建て一部2階建ての旭館が開館。重要伝統的建造物群保存地区の町並みに近い。1967年に閉館し、長らく倉庫として使用されていた。2013年12月には登録有形文化財となった。2013年6月2日には約半世紀ぶりに上映会が開催され、不定期に上映会を行っている。*76

四国地方 高知県

高知市

TOHOシネマズ高知
所在地 : 高知県高知市秦南町1丁目4−8 イオンモール高知3階
開館年 : 2004年7月
閉館年 : 営業中
2004年(平成16年)7月には高知市郊外に、高知県内初のシネコンとして「TOHOシネマズ高知」が開館。10スクリーン計約1600席。同年8月には本町1丁目の「高知東映」が閉館し、翌2005年(平成17年)3月には帯屋町1丁目の「高知東宝」が閉館を決定した。同年6月末には本町1丁目の「高知松竹ピカデリー」も閉館するが、高知松竹ピカデリーの支配人は運営を引き継ぐ方針を示しており、松竹の撤退後しばらくして営業を再開する予定である。TOHOシネマズ高知の開館後、高知東宝と高知松竹ピカデリーの観客数は従来の3割にまで激減していた。*77

四万十市

中村太陽館
所在地 : 高知県中村市(現・高知県四万十市中村栄町)
開館年 : 1926年
閉館年 : 2005年
1926年(大正15年)に中村太陽館が開館した。全盛期の中村市には4館の映画館があり、中村市栄町にあった中村太陽館は「おまち中村」のシンボル的存在だった。2005年(平成17年)には4館の中で最後に残った中村太陽館も閉館した。幡多地域最後の映画館だった。閉館後も待ち合わせ場所などに使用されたが、2017年(平成29年)5月以降に建物が解体された。*78

九州地方 福岡県

大川市

大川シネマホール
所在地 : 福岡県大川市酒見215−1
開館年 : 2015年10月11日
閉館年 : 営業中
2015年(平成27年)10月11日、福岡県大川市に映画館の大川シネマホールが開館した。運営は国際医療福祉大学などを運営する高邦会グループ。2015年4月にオープンした同グループの複合施設「おおかわ交流プラザ」4階に設置される。370席。スクリーンは高さ6.3メートル、幅14.5メートル。かつて大川市には4館の映画館があったが、1975年(昭和50年)頃までにすべて閉館している。*79

九州地方 佐賀県

佐賀市

シアター・シエマ
所在地 : 佐賀県佐賀市松原2丁目14−16
開館年 : 2007年12月15日
閉館年 : 営業中
閉館した映画館を使用して2007年12月15日に開館。2スクリーンに計165席。ランチが食べれるカフェもある。10年間で上映した作品数は約1700作品。2008・2009年頃にはデジタル化に際して約1000万円かかる機材の導入に頭を悩ませたが、募金で1200万円超が集まり、2014年末に1スクリーンで新しい映写機を導入できた。2014年以降には上映された作品についてカフェで語り合う催しを開催。2017年12月10日にはファン投票による歴代上映作ベスト10を発表。*80

九州地方 熊本県

阿蘇郡小国町

小国シネ・ホール
所在地 : 熊本県阿蘇郡小国町宮原1988-7
開館年 : 1970年代
閉館年 : 2007年12月(定期上映終了)
2007年12月から休館中の映画館「小国シネ・ホール」(阿蘇郡小国町宮原)が、約8年ぶりに期間限定で上映会を行う。休館前は阿蘇郡唯一の映画館だった。2018年6月18日から6月24日まで、2016年4月の熊本地震前に県内で撮影された短編映画『うつくしいひと』をチャリティー上映する。*81

小国町中心部の宮原地区にはかつて約250席の「雄国館」があったが、1960年代後半に閉館。北村の父・弘義が同館の設備を賃借し、1970年代から不定期に映画興行を行ってきた。『砂の器』『スター・ウォーズ』などのヒット作を次々に上映したが、過疎化で観客が減少して賃借料の支払いが困難になったため、弘義は1983年に自宅を改装して小国シネ・ホールを開館し、不定期で上映を続けた。1994年頃に栄次朗が帰郷して手伝い、『もののけ姫』や『タイタニック』などを上映。町内外から入りきらないほどの客が訪れ、「雄国館」の建物でも臨時上映した。2002年頃には大規模改修。映画館用の固定椅子63席と音響設備。ワーナー・ブラザーズなどと契約し、常設館として最新作を毎日上映した。しかし熊本市近郊に相次いでシネコンが開業すると、客数が減少して2007年12月に休館。支配人の北村栄次朗50歳。2016年4月の熊本地震後、『うつくしいひと』を上映すると1週間で約350人が来館。以後は不定期で上映を再開し、2017年には『この世界の片隅に』、2018年6月には『blank13』を上映。町民数人が「小国シネマ倶楽部」を結成してチケット販売や宣伝用看板の製作を手伝っている。*82

九州地方 鹿児島県

鹿児島市

旭シネマ
1977年2月、上町東映の経営者は西鹿児島駅周辺の平和通り(ベル通り)に西駅旭シネマを開館させた。西鹿児島駅周辺では久々の映画館だった。*83
鹿児島東映
1962年3月15日に東映会館が開館。鉄筋コンクリート造1790m2。地上3階・地下1階建。地下1階と1階が映画館。2階と3階はキャバレーエンパイア。2004年9月16日には閉館。東映九州最後の直営館だった。翌日の9月17日には西鹿児島駅前に鹿児島ミッテ10が開館している。
文化劇場/シネシティ文化
所在地 : 鹿児島市千日町5
開館年 : 1957年9月
閉館年 : 2006年6月5日
福岡県の有楽興行は鹿児島県に進出し、1957年9月に富士館を文化劇場と改称して鹿児島の拠点とした。1959年に劇場を新築し、鹿児島市の洋画館として初めて冷房設備を設置した。文化劇場・銀ザシネマ・銀座劇場の洋画上映館3館は提携して番組編成を行っており、文化劇場はその要となった。1988年9月には約10億円を投じた地上7階・地下1階のシネシティビルが千日町天文館通りに完成し、4スクリーンの複合映画館「シネシティ文化」が開館。厳密にはシネコンの定義には当てはまらない。1990年6月には5スクリーンに増やし、2003年12月には6スクリーンに増やした。2004年にミッテ10が開館したことなどが理由で、2006年6月5日から休館し、10月7日には営業再開の断念を決定した。*84
鹿児島東宝
所在地 : 鹿児島市千日町5
開館年 :
閉館年 : 2006年10月14日
1995年には東宝銀座が3スクリーンの鹿児島東宝に。鹿児島東宝は2004年10月14日をもって閉館。翌日には鹿児島市郊外にTOHOシネマズ与次郎が開館している。*85
松竹高島劇場/鹿児島松竹タカシマ
1987年4月25日に開館。2階がピカデリー、4階が松竹高島劇場。2000年8月には松竹高島劇場が3スクリーンの鹿児島松竹タカシマに。*86
鹿児島ミッテ10
2004年3月には九州新幹線の新八代駅=鹿児島中央駅間が開業。同年9月には鹿児島中央駅ビルに隣接して複合商業施設「アミュプラザ鹿児島」が開業し、6階にシネコン「鹿児島ミッテ10」が開館。10スクリーン計1922席。東映の子会社と有楽興行の合弁会社が運営。*87

鹿屋市

テアトル文化
1992年2月には鹿屋市のテアトル文化が閉館。鹿児島県内では鹿児島市以外にあった唯一の映画館だった。2000年8月には奄美市にシネマパニックが開館するまで、約8年間は鹿児島県内の映画館は鹿児島市のみという状態が続いた。*88
リナシアター
2007年4月に鹿屋市民交流センター「リナシティ」にリナシアターが開館。鹿屋市の指定管理施設。座席数68席。

奄美市

シネマパニック
2000年8月には奄美市にシネマパニックが開館。*89

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