所在地 : 愛知県名古屋市北区大杉町鈴蘭通(1953年)、愛知県名古屋市北区鈴蘭通(1955年)、愛知県名古屋市北区東大杉町(1956年)、愛知県名古屋市北区東大杉町4-35(1957年・1958年)、愛知県名古屋市北区東大杉町4-32・4-35(1960年・1961年)、愛知県名古屋市北区東大杉町4-35(1962年・1963年・1966年・1967年・1968年・1969年・1970年)、愛知県名古屋市北区東大曽根町4-35(1973年)、愛知県名古屋市北区東大杉町4-35(1974年・1975年・1976年)
開館年 : 1951年12月、1960年(2館化)
閉館年 : 1977年8月21日頃
『全国映画館総覧 1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年の映画館名簿では「鈴蘭劇場」。1955年の映画館名簿では「鈴蘭映画劇場」。1956年の映画館名簿では「鈴蘭劇場」。1957年・1958年の映画館名簿では「スズラン東映」。1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「大曽根東映・スズラン劇場」(2館)。1963年の映画館名簿では「大曽根東映・スズラン松竹」(2館)。1961年・1965年の全商工住宅案内図帳では「大曽根東映」と「スズラン松竹」。1966年・1967年・1968年・1969年・1970年の映画館名簿では「大曽根東映劇場・大曽根スズラン劇場」(2館)。1967年の全商工住宅案内図帳では「大曽根東映」と「スズラン劇場」。1971年・1974年・1977年の全商工住宅案内図帳では「大曽根娯楽センター スズラン劇場 大曽根東映 卓球場」。1973年の映画館名簿では「大曽根東映劇場」。1974年・1975年・1976年の映画館名簿では「大曽根東映劇場・大曽根スズラン松竹」(2館)。1977年の映画館名簿では「大曽根東映劇場」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。1979年・1982年の全商工住宅案内図帳では跡地に「広場」。1984年・1985年のゼンリン住宅地図では跡地に「すずらん公園」。跡地は「すずらん公園」中央部。最寄駅は名鉄瀬戸線森下駅。
1960年3月1日には第二東映が発足し、各地で第二東映上映館への転向が相次いでいる。名古屋市では「希望映画劇場」「仲田ロマン劇場」「スズラン第二劇場」「名古屋第二東映」が第二東映に転向した。
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1960年12月26日、名古屋市中区上園町1-5の洋画館「堀川映画劇場」が第二東映封切館となって「堀川第二東映」に改称した。同日、名古屋市北区東大杉町4-35の東映上映館「スズラン劇場」も第二東映封切館となって「スズラン第二東映」に改称した。東映中部支社。
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1956年の写真あり。北区東大杉町4、大曽根・鈴蘭通にある「スズラン東映映画劇場」。1951年12月、東宝封切館の「鈴蘭映画劇場」として開館した。映画と実演の双方の興行を行う劇場だった。で、映画は榎本健一・古川ロッパ、金語楼主演の『極楽六花撰』。実演は三門順子らと楽団演奏だった。1954年の正月から東映上映館となり、「スズラン東映」に改称した。なお、1946年春、商店街発展会が設立記念に一般から名称を募集して鈴蘭通という通りの名前を決めたという。
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1960年に大曽根スズラン通に大曽根娯楽センターが開館した際の写真あり。1階に「大曽根東映」、2階に「スズラン第二東映」があった。開館祝賀会には俳優の松方弘樹らが出席。
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1997年現在の30年ほど前までは、現在の「すずらん公園」の場所に2館の映画館があった。大衆演劇場の鈴蘭南座とともににぎわった。鈴蘭南座は木造瓦葺の芝居小屋であり、1954年に開館した。1972年頃からは大衆演劇をやめて貸しホールとしていたが、1981年には大衆演劇の興行を再開し、1997年現在は東海地方唯一の大衆演劇場である。
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『名古屋タイムズ』1966年5月29日の紙面には鈴蘭通の手書き地図が描かれ、「大曽根娯楽センター」も描かれている。
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1972年1月4日の『中日新聞』映画上映案内には「大曽根東映」が掲載されており、『新網走番外地 吹雪の大脱走』と『不良番長突撃一番』を上映している。
*46 1973年12月31日の『中日新聞』映画上映案内には「大曽根東映・スズラン松竹」として掲載されており、大曽根東映では『女囚 サソリ701号恨み節』と『ゴルゴ13』を、スズラン松竹では『男はつらいよ 私の寅さん』と『大事件だよ全員集合!!』を上映している。
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1977年8月21日の『中日新聞』映画上映案内には「大曽根東映」が掲載されており、『トラック野郎 度胸一番星』と『サーキットの狼』を上映している。8月22日以降の映画上映案内には掲載されていない。
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