所在地 : 愛知県豊田市神明町2-9(1976年・1978年・1980年・1985年・1988年・1990年)
開館年 : 1975年(ビル化)、1980年4月26日(2館化)、1987年頃(3館化)
閉館年 : 1991年10月20日? 1994年?
Wikipedia :
挙母劇場
1976年・1978年・1980年の映画館名簿では「挙母劇場」。1977年のアイゼン住宅地図では「挙母劇場」。1976年・1979年のゼンリン住宅地図では「挙母劇場」。1977年・1980年の映画館名簿では経営会社が挙母劇場、経営者が倉知功、支配人が西條香郎、鉄筋造2階、250席、東映・洋画・成人映画を上映。1982年・1985年・1986年・1987年の映画館名簿では「コロモ劇場・コロモシネマ」(2館)。1982年の映画館名簿では経営会社が挙母劇場、経営者・支配人ともに倉知功、コロモ劇場が鉄筋造2階でコロモシネマが鉄筋造1階、コロモ劇場が250席でコロモシネマが130席、コロモ劇場が洋画を上映、コロモシネマが東映を上映。1985年のゼンリン住宅地図では「ニューコロモビル 1階 コロモシネマ ヤングサロン ビバアフリカ1号店、2階コロモ劇場」。1988年・1990年・1992年の映画館名簿では「コロモ劇場1・2・3」(3館)。1988年の映画館名簿では経営会社が挙母劇場、経営者・支配人ともに倉知功、すべて鉄筋造2階、1が130席、2が147席、3が227席、1と2が邦画・洋画を上映、3が東映・洋画を上映。1992年の映画館名簿では経営会社が合資会社挙母劇場、経営者・支配人ともに倉知功、1が鉄筋造1階、2と3が鉄筋造2階、1が130席、2が140席、3が210席、1と2が邦画・洋画を上映、3が東映・洋画を上映。1992年のゼンリン住宅地図では「ニューコロモビル コロモ劇場1・2・3・コロモシネマ」。1993年の映画館名簿には掲載されていない。1996年のゼンリン住宅地図では跡地に「ライオンズシティ豊田」。跡地は1996年竣工のマンション「ライオンズシティ豊田東棟」。最寄駅は名鉄三河線・豊田線豊田市駅。
1927年の『大日本職業別明細図之内 愛知県』には「大正座」「宝集座」が描かれている。
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1932年の『大日本職業別明細図 愛知県 第295号』には「大正座」「宝集座」が描かれている。
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1940年に挙母町が刊行した『産業のころも』に掲載されている挙母市街地の鳥観図には、映画館「挙母劇場」と「昭和劇場」が描かれている。
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豊田市郷土資料館の敷地内(屋外)には、挙母劇場の屋根に用いられていた鬼瓦が民俗資料として常設展示されている。高さ1.3m、幅2mであり、一般的な鬼瓦よりもかなり大きい。
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かつて豊田市の中心市街地には3つの映画館があった。1882年建設の祝栄座に始まる「挙母劇場」、1913年建設の大正座に始まる「昭和劇場」、1951年に開館した「アート座」である。最古参の挙母劇場は現在の神明町にあり、当時の収容客席は700-800席だった。1975年に鉄筋コンクリート造3階建ての建物に建て替えられ、1994年頃に閉館した。
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豊田市域でもっとも古い劇場は1882年開館の「祝栄座」である。後に「宝集座」と改称し、1934年に「挙母劇場」と改称した。映画人気が高まると挙母劇場は映画館としての設備も備え、1938年には松竹、日活、新興、東宝の4社製作の映画の上映権を持つ劇場となった。この年の『加茂時報』によると、挙母劇場は発声装置を設置する予定であるという。
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「挙母劇場」は竹生通りの「昭和劇場」と並ぶ数少ない娯楽施設のひとつで、休日ともなると大変な賑わいだった。写真には『続・二等兵物語』と『浪人街』の看板が見える。劇場の裏には酒屋があり、経営者は変わったが1989年現在も同じ屋号で営業を続けている。道を挟んだ向かいには喫茶店の梅月があり、やはり1989年現在も営業を続けている。72ページの写真は現在の神明町「挙母劇場」付近。写真ほぼ中央に「コロモ劇場」の看板が見える。73ページの写真は昭和20年代末の挙母劇場付近の神明町。
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豊田市神明町に現存する「挙母劇場」の昭和初期の写真あり。当時の収容客席は700-800席だったが、1975年に建て替えられて鉄筋コンクリート造3階建に。
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1882年に「祝栄座劇場」として建設される。1934年に改称されて「挙母劇場」に。豊田市域では竹生通りの昭和劇場と並んで戦前から続く数少ない娯楽施設。1956年に子供たちが劇場前で遊ぶ写真もある。劇場前は登校前の集合場所だった。1971年の写真あり。『喜劇 猪突猛進せよ!!』(1971年・松竹)、『内海の輪』(1971年・松竹)、『THE BODY』(1970年・イギリス)、『彼女と彼』(1963年・日本)などの看板が見える。閉館は1994年。現在はマンションの駐車場。
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神明通りには秋葉山(灯籠)があり、この向こうに挙母劇場があった。「コロモ劇場」の看板が見える。(※建物そのものは映っていない。閉館前の1990年代前半の写真と思われる)
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1971年9月9日付『中日新聞』三河版には、「強烈! 成人映画ついに登場 豊田 挙母劇場」という広告が掲載されており、成人映画を初上映したと思われる。
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1975年7月25日付『中日新聞』西三河版には、「広告 明26日(土) 三河地区最高設備 挙母劇場オープン!」という広告が掲載されており、7月26日に「挙母劇場」がビルに改築した。オープニング作品はいずれも東映の『新幹線大爆破』と『青春讃歌 暴力学園大革命』。
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1975年7月20日付『新三河タイムス』には「中島ゆたから来豊 26日 挙母劇場開館披露」という記事が掲載されている。挙母劇場がビルに改築し、7月26日に開館するという。建物は鉄筋コンクリート造、3階建て、延床面積1466.4平方メートル。1階がパブリックバー(10月開店)、2階が235席の映画館「挙母劇場」、3階が15卓の麻雀荘。7月26日の記念式典では東映女優の中島ゆたか、松平絢子、藤浩子、森田めぐみのチャリティサイン会が開催される。オープニング作品はいずれも東映の『新幹線大爆破』と『青春讃歌 暴力学園大革命』。入場料は大人800円、学生700円、子供500円。
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1975年7月24日付『新三河タイムス』には「7月26日オープン 新館落成 挙母劇場」という広告が掲載されている。7月26日の記念式典では東映女優の中島ゆたか、松平絢子、藤浩子、森田めぐみのチャリティサイン会が開催される。オープニング作品はいずれも東映の『新幹線大爆破』と『青春讃歌 暴力学園大革命』。
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1980年4月25日付『中日新聞』西三河版には、「お待たせしました 明日新館オープン明晩ナイト コロモ劇場1F コロモシネマ」という広告が掲載されている。コロモシネマのオープニング作品は『クレージー・モンキー 笑拳』と『バラの標的』の2本立。コロモ劇場の上映作品は『悪魔の棲む家』『ドラキュラ都へ行く』の2本立。コロモシネマでは有料入場者にジャッキー・チェンのポスターのプレゼントがある。
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1980年4月26日付『中日新聞』西三河版には、「本日より新館オープン今晩ナイト コロモ劇場1F コロモシネマ」という広告が掲載されている。コロモシネマのオープニング作品は『クレージー・モンキー 笑拳』と『バラの標的』の2本立。コロモ劇場の上映作品は『悪魔の棲む家』『ドラキュラ都へ行く』の2本立。
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1988年10月には豊田市駅西口にそごう百貨店を中心とする再開発ビルがオープンする。豊田市駅東側の商店街は危機感を募らせており、元銀座通りでは一帯の再開発構想が浮上している。現在の駅東側の核は長崎屋とアピタだが、土日は著しい駐車場不足となっている。このため、駐車場・飲食店街・コロモ劇場などを含めた7階建てレジャービルを建設しようとする構想がある。現在は具体的な計画には至っていないが、1階と2階を飲食店街や映画館、3階から7階を立体駐車場にしようとする構想である。場所はかつて東海銀行があった共同駐車場を中心に、コロモ劇場(挙母劇場)や槌屋旅館も含めた範囲。
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1991年10月20日の『中日新聞』の「映画案内」。「コロモ劇場1」は「20日迄上映」とある。「コロモ劇場2」は『略奪愛』を上映、「コロモ劇場3」は『トイ・ソルジャー』と『代打教師』を上映。10月21日の映画案内にコロモ劇場1・2・3は掲載されていない。
1991年10月31日付『新三河タイムス』には「挙母劇場消える娯楽の殿堂 73年の歴史閉じる」という記事が掲載されている。10月21日には「挙母劇場」が73年の歴史に幕を閉じて閉館したという。同じく中心市街地にある「アート座」も近く閉館する噂があるという。
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