所在地 : 愛知県知多郡岡田町(1950年)、愛知県知多郡岡田町久平(1953年・1955年・1958年・1960年)、愛知県知多郡岡田町(1963年)、愛知県知多郡知多町岡田久手32(1966年・1969年)
開館年 : 1926年8月
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧 1955』によると1926年8月開館。1949年の映画館には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「喜楽座」。1963年の住宅協会新住宅宝典全商工住宅案内図帳では跡地に「喜楽百貨店」(最初の漢字は「七」が3つ)。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「岡田喜楽座」。1966年のポータブル住宅地図では跡地に「喜楽百貨店」(最初の漢字は「七」が3つ)。1969年の映画館名簿では「喜楽座」。1970年の映画館には掲載されていない。跡地はアパート「ローズパーク」。現地に案内看板あり。最寄駅は名鉄常滑線長浦駅。
写真は
http://okadamachinami.com/gallery/にあり。喜楽座株式会社のfacebookページあり
*16。岡田繁栄の歴史作成実行委員会『知多木綿発祥の地・岡田 繁栄の歴史』岡田まちづくり準備会、2006にもあり。愛知県図書館にしか所蔵なし。知多市の発足は1970年のことなので、喜楽座は閉館時まで知多郡岡田町にあり、知多市に映画館が存在したことはない。
1930年の『知多商工案内』には、劇場の欄に「知多キネマ株式会社」(半田町)と「喜楽座株式会社」(岡田町)が掲載されている。
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大正時代には若者の間に受け継がれていた村芝居が姿を消したが、知多木綿の中心地としての繁栄は目覚ましいものがあり、その頃に庶民の娯楽の場として設立されたのが喜楽座である。綿工業関係の経営者約40人が出資した株組織(株式会社)形態の劇場だった。喜楽座は岡田青年団による演劇の発表の場にもなり、『岡田町誌』には演劇発表会の写真が掲載されている。1970年頃には喜楽座が営業しなくなった。
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明治30年代の岡田には繊維工場が林立し、県内外から働き手が流入するなどして活況を呈していた。1925年、岡田に工場従業員の慰安目的で「喜楽座」が発足した。2階建てで収容人数は800人。畳敷きの枡席、花道や回り舞台、その他の舞台装置などが完備された。喜楽座の周辺には、カフェ・ビリヤード場・食料品店などが軒を連ねた。後には映画の上映も可能となった。大江美智子の剣劇、島倉千代子や舟木一夫の歌謡ショー、広沢虎造の浪曲など、多様な興行が行われた。昭和40年代になると繊維不況で工場が閉鎖され、喜楽座も閉鎖された。
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昭和初期の岡田町にあった芝居小屋「喜楽座」の写真あり。1925年に創業し、知多半島各地から観客を集めた。廻り舞台を有しており、600人から800人を収容した。戦後には観客数が低迷し、1967年に閉鎖された。閉館後の建物は家具店が使用していたが、家具店は1994年に撤退し、1996年に取り壊された。
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1925年には喜楽座が設立され、1967年まで芝居・演芸・映画の興行を行った。1996年には老朽化のために建物が取り壊された。喜楽座株式会社は現存し、2018年11月11日には岡田まちづくりセンター2階ホールで石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』の上映会を行った。
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大正末期には知多郡岡田町の有力者が、織布工場の工員のために芝居小屋「喜楽座」を開館させ、歌舞伎役者を招いたこともあった。「喜楽座」の建物は1996年に取り壊された。
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1996年11月、知多市の「喜楽座」の建物が防犯・防災面の不安から取り壊された。昭和初期に建てられた芝居小屋であり、600人から800人を収容可能だった。廻り舞台や花道を有していた。昭和40年代中頃に営業を終了し、近年には家具店として使われていたが、1994年に家具店が閉店したことで空き家となっていた。夜間に少年らが入り込んで煙草を吸うなどしており、台風で老朽化した屋根の瓦が飛散する危険性もあった。岡田街並保存会は保存を要望していたが、保存運動が盛り上がらなかった。1925年9月14日に上棟式が行われたとする棟札、「喜」の文字が彫られた軒瓦、廻り舞台の部品などが保管されており、岡田街並保存会に寄付される予定である。
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