所在地 : 山梨県東八代郡石和町八田(1970年・1973年・1975年)、山梨県東八代郡石和町八田290(1976年・1978年)、山梨県東八代郡石和町八田290(1980年)、山梨県東八代郡石和町八田291(1985年・1990年・1995年・2000年)、山梨県笛吹市八田291(2005年・2010年)、山梨県笛吹市石和町八田291(2015年・2018年)
開館年 : 1968年
閉館年 : 2018年2月28日
1969年の映画館名簿には掲載されていない。1970年・1973年・1975年・1976年の映画館名簿では「テアトル・アンネ」。1970年の映画館名簿では経営者・支配人ともに有泉由幸、木造1階冷暖房付、定員160、成人映画を上映。1978年・1980年・1985年・1990年の映画館名簿では「石和テアトルアンネ」。1980年の映画館名簿では経営会社は南嶺映画興行、経営者・支配人ともに有泉貞夫、木造1階、170席、邦画・洋画を上映。1995年・2000年・2005年・2010年・2015年・2018年の映画館名簿では「テアトル石和」。2000年の映画館名簿では経営会社は有泉商事、経営者は有泉英機、支配人は有泉忍、木造1階、100席、邦画・洋画を上映。2018年の映画館名簿では経営会社は有泉商事、経営者・支配人ともに有泉忍、100席。2020年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「八田公民館」北東70mの更地。最寄駅はJR中央本線石和温泉駅。
テアトル石和は1966年に石和町に開館した。開館当初は成人向け映画と一般映画を併せて上映していたが、1993年には一般映画の二番館に転換した。2003年現在のスタッフは有泉忍に加えて、有泉の父と週3回来る女性アルバイトの3人だけ。3人の仕事はチケットのもぎりから映写機の操作まで多岐にわたる。ロードショー公開された際にヒットした『マトリックス』が思うように観客を集められないなど、二番館の難しさもある。入場料は作品によって異なるが、900円から1100円である。水曜日と金曜日は女性が800円になる。
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「テアトル石和」は笛吹市石和町八田の住宅街にある。座席数は100。2本立・3本立の作品を上映しており、料金は2本立が900円、3本立が1200円。最近の観客数は平日が約20人、土日が約100人。1972年に成人映画館として開館したが、家庭用ビデオの普及で観客数が激減した。1970年代後半に月2000人いた観客数は、1990年代前半には1000人を下回った。1993年には一般映画に転換し、3週間から1か月ほど遅れて上映する二番館となった。
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2008年9月13日から10月10日まで、靖国神社参拝問題を描いたドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』が笛吹市の映画館「テアトル石和」で上映される。山梨県では初上映となる。全国的には右翼団体の抗議などで上映を中止する映画館が相次いでいるが、7月21日にテアトル石和で行われた試写会では混乱はなかった。上映はテアトル石和と民間団体「映画普及運動センター」の共催。
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2008年9月16日、笛吹市の映画館「テアトル石和」で『黒駒勝蔵』の監督と主演を務めた愛川欽也の舞台挨拶が行われる。上映は9月21日まで。甲斐国上黒駒村(現在の笛吹市御坂町)出身の侠客である黒駒勝蔵の悲哀を描いている。笛吹市には黒駒勝蔵の墓もある。
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「テアトル石和」は笛吹市石和町では唯一の映画館である。石和温泉で旅館や芸者置屋などの開業ラッシュの時期に開館し、100席の座席は地域住民や観光客で立ち見が出るほどだった。芸者が観光客を連れてくると、内内に入館料300円をバックしたこともあった。現在は2本立1000円で上映している。2010年11月5日・11月6日には笛吹市・甲州市・山梨市の3市の有志によって街おこしのための映画祭が企画され、倉庫に眠っていたポスター約300枚を張り付けたり、昔の投影機を展示するなどした。
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笛吹市石和町八田には映画館「テアトル石和」がある。有泉英機社長。1スクリーン88席。ロビーからカーテン1枚隔てた場所で、約20年前から使用する大型の映写機が回る。1967年、有泉社長の父である有泉由幸が石和温泉街のポルノ映画館として開館。建物は当時のままである。上映作品は有泉社長と有泉忍専務が相談して決定している。
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2013年2月1日、笛吹市の映画館「テアトル石和」で『カミハテ商店』の特別上映が開催され、高橋伴明監督と主演の高橋恵子が舞台挨拶やトークショーを行う。2人は山梨文学シネマアワード2013を受賞しており、これを機に企画された。
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1966年、石和温泉にポルノ専門映画館「テアトルアンネ」が開館した。周辺では数年前に温泉が湧きだしたばかりであり、「温泉街にも娯楽は必要」との考えだった。初代の有泉由幸は戦前に中国で映画館を経営し、1946年に故郷の富士川町に「南嶺劇場」(後のテアトル南嶺)を開館させた。その後は山梨県の各所に映画館を開館させ、1964年の東京オリンピック頃には約20館を経営していた。レンタルビデオ店の普及を背景に、1993年にはロードショーを終えた作品を2本立で上映する二番館に路線転換した。2001年には「テアトル甲府」を閉館させ、経営する映画館は「テアトル石和」のみとなった。2013年3月中旬にはデジタル映写機を導入した。
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山梨文学シネマアワードを受賞した映画監督の高橋伴明と女優の高橋惠子夫妻は、高橋惠子の主演作品『カミハテ商店』の舞台あいさつでテアトル石和を訪れた。有泉由幸は戦前に満州で映画館を経営し、1946年には故郷の増穂町に南嶺劇場(後のテアトル南嶺)を開館させた。その後も山梨県各地に映画館を開館させ、最盛期には20館近くに及んだ。1966年に成人映画専門館としてテアトルアンネが開館した。1970年には有泉英機が2代目となったが、2001年にテアトル甲府を閉館させるとテアトル石和のみとなった。1993年には数週間から数カ月遅れで見られる二番館に鞍替えし、2本立て1200円で上映。2013年3月にはデジタル映写機を導入した。
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2013年10月4日と10月11日の2日間、笛吹市石和町の映画館「テアトル石和」で日本未公開のフランス映画「シャンボンの背中」(2009年)が無料上映される。エリック・オルデルの同名小説の映画化作品であり、2010年にはセザール賞の脚本賞を受賞した。WOWOWが各地で行っている無料上映会「旅するW座」の一環
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2015年5月11日、笛吹市の映画館「テアトル石和」を運営する有泉商事の有泉英機社長が死去した。74歳。父親が中国の張家口市で映画館などを経営していたことから、1941年に張家口市に生まれ、1945年の終戦直前に一家で日本に引き揚げた。父親は地元の富士川町で「南嶺映画劇場」を経営し、山梨県各地で映画館を展開した。有泉英機は早稲田大学政治経済学部出身であり、在学中には学生運動にも参加した。卒業後は東京都内で学習塾を経営し、父親の事業拡大にともなって山梨県に戻ると、新規開館した「テアトルアンネ」の初代支配人に就任した。1961年には石和町で温泉が湧出し、町は一気に活気づいた。有泉英機は1981年に有泉商事を立ち上げ、パチンコ店を併設したり、映画館内にレンタルビデオ店を構えたりと、当時としては珍しい取り組みを行った。甲府市中心部でも「テアトル甲府」を経営しており、「甲府武蔵野館」や「甲府ピカデリー」などとともに甲府市の映画文化の中心地となっていたが、テアトル甲府は2001年2月末に閉館した。
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笛吹市の映画館「テアトル石和」ではこの4年間で100回以上、婚活イベント「シネ婚」を開催している。映画を1本鑑賞した後に懇談タイムに移り、交際したい相手をカードに書いて提出する。テアトル石和の開館は1968年であり、当時は周囲に何軒も映画館があったという。東京都や長野県からも参加者があり、これまでに多くのカップルが成立、3組が結婚の報告に来てくれたという。基本的にシネ婚用に上映作品を変えることはなく、妻が死んでも涙が出ない男が主人公の『永い言い訳』が観賞作だったこともある。なお、支配人の有泉忍(49)は独身である。2016年春には映画館のサポートクラブが発足し、1年足らずで会員が110人を超えた。イベントなどで映画館に協力しており、映画関連のフリーマーケットなども開催している。
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2018年2月いっぱいで、笛吹市石和町八田の映画館「テアトル石和」が閉館する。シネコンの山梨県への進出や、インターネットでの映画配信の普及などによって、観客数が減少したため。近年の山梨県では甲府市中心部での閉館が相次いでいた。1968年に「テアトルアンネ」として開館した。1スクリーン100席の小規模映画館であり、当初は成人映画や任侠作品を中心に上映していた。1992年にテアトル石和に改称し、戦争や原発など社会派の作品も上映するようになった。映画鑑賞と婚活パーティをセットにした「シネ婚」というイベントも開催してきた。2000年代になると山梨県にも大手シネコンが進出し、またインターネットでの映画配信が普及したことで、来館者数が落ち込んだ。また、日本音楽著作権協会(JASRAC)が映画音楽の使用料を映画館から徴収する方針を打ち出し、将来的な負担増が見込まれることも理由のひとつである。2016年には有志がテアトル石和サポートクラブを設立してイベントの開催などを行ってきたが、最終的には閉館が決定した。同団体は山梨の映画文化を守る会として活動を継続したいとしている。運営元の有泉商事やその関連会社は最盛期には18館の映画館を経営していた。今後も婚活イベントなどを中心に事業を継続するとしている。テアトル石和は昭和40年代に建てられた建物の雰囲気などが人気を得て、映画やミュージックビデオのロケ地になったこともある。
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1968年にテアトルアンネとして開館。当初はポルノ映画を上映していたが、レンタルビデオ店が普及するにつれて、1993年からロードショーを終えた作品を2本立てで公開する二番館に路線を変更。また原発や戦争などの社会問題を扱った作品も多く上映。映画上映以外には「シネ婚」などの企画、劇場貸し切りサービス、イベントでの出張上映など、地域に密着した活動を行ってきた。有泉商事であり、有泉忍50歳は3代目だった。50周年を迎えた2018年の2月28日に閉館。出張上映は続ける。テアトル石和サポートクラブが上映作品の案内紙を発行するなどして運営を支援していた。28日には開館からの歴史を写真で振り返るお別れ会を開催。
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1968年にテアトルアンネとして開館。100席の1スクリーン。同じ運営会社の映画館は映画最盛期には18館もあったが、2001年に甲府市のテアトル甲府が閉館するとテアトル石和のみとなった。戦争や原発を主題とする社会派作品の上映に力を入れていた。2004年には石和町などが合併して笛吹市に。シネマコンプレックスの台頭などで観客数が減少したため、50年の節目となる2018年2月28日で閉館する。2月28日午後6時半からお別れの会を開催する。かつては月3000人の観客がいたが、閉館時には月500人にまで減少していた。
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2018年2月28日、山梨県笛吹市の「テアトル石和」が閉館した。テアトル石和サポートクラブと映画館が主催したお別れイベントには映画ファンら70人が集まった。1968年に「テアトルアンネ」として開館し、地域の文化拠点として社会派作品を多く上映した。建物には昭和40年代の趣が残り、映画やミュージックビデオのロケ地にもなった。
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2018年2月28日、山梨県笛吹市の「テアトル石和」が閉館した。社会は作品を多く上映し、また出張上映を積極的に行って地域密着を図っていた。1968年にテアトルアンネとして開館し、1993年にテアトル石和に改称。改称後には社会は作品の上映を増やした。開館時から毎年欠かさず、映画館がない地域での出張上映を行った。多い年には年10回近くでかけ、公共施設で上映会を開催した。2013年には上映会を兼ねた婚活イベント「シネ婚」を開催。2016年にはファン有志によるテアトル石和サポートクラブが結成された。最終上映後のお別れ会では有泉忍支配人が開館から閉館までの50年間の出来事をスライドで振り返った。
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2018年2月末、笛吹市の映画館「テアトル石和」が閉館した。1968年に開館し、娯楽作だけではなく社会派作品も上映していた。1946年には有泉忍支配人の祖父が増穂町で「南嶺映画劇場」を開館させてから、親子3代で映画館の灯を守り続けていた。17年前に甲府市の「テアトル甲府」を閉館させた後はテアトル石和のみとなっていた。
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笛吹市の「テアトル石和」は温泉街に近いブドウ畑の中に建っている。猫がロビーを出入りしており、牧歌的な雰囲気だった。
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「テアトル石和」に言及している書籍として、大屋尚浩『日本懐かし映画館大全』辰巳出版、2017年がある。
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