所在地 : 三重県鈴鹿郡亀山町東町(1936年・1941年)、三重県鈴鹿郡亀山町新町(1950年)、三重県鈴鹿郡亀山町東町695(1953年)、三重県亀山市東町695(1955年)、三重県亀山市本町695(1958年)、三重県亀山市本町(1960年・1963年)、三重県亀山市本町695(1964年)
開館年 : 1931年12月9月(劇場)、1951年(映画館)
閉館年 : 1964年3月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年・1941年の映画館名簿では「新町座」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「新町座」。1964年の映画館名簿では経営者が小島衝一、支配人が小島信也、木造2階、568席、日活・東宝を上映。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「東丸接骨院」。最寄駅はJR関西本線・紀勢本線亀山駅。
1935年11月27日には亀山町の「大正座」が全焼し、後年に「新町座」ができるまで亀山町から映画館が消えた。
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1931年12月9日・10日、亀山町の本町の劇場「新町座」で関西大歌舞伎のこけら落とし興行が行われた。三重県会議員の小亀衝一や亀山町の有志によって、三重県立女子師範学校付近の埋立地に建設された。小亀は映画監督の衣笠貞之助の兄である。資本金は2万5000円。外観は様式、館内は純日本式。総坪数は300坪、間口は11間半、奥行は20間、収容人員は1200人。1951年には常設映画館となり、1964年に廃館となった。
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1931年12月、亀山町の本町に小亀衝市らによって「新町座」が建てられた。小亀は衣笠貞之助(本名は小亀貞之助)の兄である。戦後には後継者の小亀信也が常設映画館とした。1964年には岡田屋(後のジャスコ)が新町座を買収してスーパーとした。
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1955年2月11日から3日間、亀山市では市制施行祝賀行事が開催された。2月12日と13日には「亀山劇場」、「新町座」、亀山小学校(後の亀山西小学校)で演芸大会が行われ、映画、演芸、楽団、舞踊、歌謡曲、万歳、奇術、浪曲の催しが行われた。新町座は1975年現在のオカダヤ亀山店の場所である。
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亀山町には「新町座」があった。当初は大衆演芸場だったが、しばしば映画も上映した。亀山町長を務めた小亀衡一が経営者だった。名称は開館時の所在地が新町だったため。外観の写真、館内の写真あり。
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昭和初期の亀山町の本町にあった「新町座」のファサードと内部の写真あり。1931年に開館し、芝居の上演や映画の上映などを行った。内部は和風の意匠でまとめられ、2階席も有していた。戦後には「亀山劇場」とともににぎわった。
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1931年12月には亀山市東町(現・本町)に、三重県会議員に当選したばかりの小亀衡一によって劇場「新町座」が開館した。小亀は映画監督の衣笠貞之助(本名は小亀貞之助)の兄である。1951年には映画常設館となった。新町座は1964年3月に閉館した。
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1951年に亀山市本町の「新町座」で行われた演劇の写真あり。舞台美術は有志が手作りしている。
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1955年2月の亀山市東町にあった「新町座」の写真あり。「祝市制実施」の文字が見える。1931年、東町に映画館として新町座が開館した。1955年2月11日から13日まで市制施行を記念する祝賀行事が開催され、無料開放された。
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亀山宿にあった老舗の地図。22番は本町の「新町座」。1931年から1964年まで営業した。
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