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中村区、西区、港区、中川区。

中村区

中村区の映画館

次に劇場および映画館(活動写真館)には殆ど見るべきものもなく、大正末期頃において「大正館」(米屋町、669人収容)、「波溜貴座」(北禰宜町、432人収容)があったのみであろう。強いて界隈を見渡すならば志摩町2丁目に寿座、上畠町に芦辺館、西日置町に日置座、納屋橋を渡った新柳町に金輝館を数える程度に過ぎなかった。その後においても特筆すべきものがなかったが、戦後の民衆娯楽の勃興と共に昭和20年4月にいたり、「アロハ会館」(笹島町)、「中村映画劇場」(太閤通)、「希望会館」(泥江町)の3館を数え、その後堀内町3丁目に鉄骨3階建のメトロ劇場、船入町4丁目に中央劇場富士劇場、堀内町4丁目に愛知県商工館ホール等ができた。*1

新明学区の娯楽機関は以下の通り。
映画館 アロハ会館 笹島町1丁目1番地
映画館 メトロ劇場 堀内町3丁目2番地
映画館 希望会館 泥江町1丁目1番地
映画館 中央劇場 船入町4丁目3番地
演芸場 富士劇場 船入町3丁目14番地*2

富士劇場

所在地 : 中村区名駅
開館年 :
閉館年 :
納屋橋の西北角にあった映画館で、一時は寄席もやっていた。看板の映画は三島由紀夫原作の松竹映画『夏子の冒険』。中村区名駅。昭和28年。*3

メトロ劇場

所在地 :
開館年 : 1946年
閉館年 : 1956年以後
メトロ劇場。昭和31年。名古屋駅前にあった洋画専門館。昭和21年の開館当時は名古屋最大の洋画封切館だった。*4

マキノ劇場

所在地 : 中村区太閤
開館年 : 1956年
閉館年 :
親子の背後の看板には昭和32年公開の映画『はやぶさ奉行』の文字が見える。昭和31年に開館し、当初は330席あった。邦画の二番館、後に名画座として営業を続けていたが、同58年ころ閉館。中村区太閤。昭和32年頃。*5

藤ノ宮劇場/アトム映劇

所在地 : 中村区栄生町
開館年 : 1953年
閉館年 :
昭和28年に藤ノ宮劇場として開館、同31年に名称変更した。アクションものをよく上映しており人気があった。中村区栄生町。昭和31年。*6

西区

弁天劇場

所在地 : 西区
開館年 : 1937年
閉館年 : 不明
弁天劇場(原文では辨天劇場)は昭和12年に開館。弁天通商店街のおかみさんや子どもたちが大切なお客様だった。西区。昭和31年。*7

押切劇場

所在地 : 西区押切
開館年 : 1954年
閉館年 : 不明
押切劇場は寄席用の劇場だったが昭和29年に映画専門館となった。大人50円、子ども20円の低料金で人気を集めた。西区押切。昭和31年。*8

桜映画劇場

所在地 : 西区志摩町(現・西区那古野2丁目)
開館年 : 1949年
閉館年 : 1960年
西区志摩町(現那古野2)の志摩町本通発展会のほぼ中央にあった「桜映画劇場」の光景。同劇場は昭和の初め、芝居小屋・寿座としてスタート。その後、サイレント映画を上映。弁士華やかなりしころだ。戦後の同24年、経営者が代わり、以来、大映系専門館で定員470人。志摩町本通発展会は円頓寺本町商店街中ほどから南へ延びる通りに位置していた。同35年11月に閉館した。*9

開慶座/カイケイ座

所在地 : 西区
開館年 : 明治中期
閉館年 : 1991年1月31日
大須と並び名古屋の代表的な下町、西区の円頓寺商店街にあるストリップ劇場「カイケイ座」が今月いっぱいで店を閉めることになった。地主に立ち退きを迫られたのが理由だが、このカイケイ座は明治中期に浪曲小屋として開館した由緒ある劇場。同商店街にとって唯一、客の呼べる娯楽施設ということもあり、近所の商店主らも口々に思い出を語り、名残を惜しんでいる。カイケイ座は元は「開慶座」といった。開館当時の正確な記録はないが、円頓寺の生き字引的存在、明治42年生まれの鵜飼柳三さん(82)によると、戦前は浪曲目当てに、遠くは甚目寺などからも熱心なファンが通った。さらに時代をさかのぼると、堀川を塩や石炭を船に積んで上ってきた船頭らが、浪曲小屋で一服するのが常だったと、鵜飼さんは父親から子供のころよく聞かされた。大戦の線かも奇跡的にかいくぐった。劇場前の喫茶店主舟橋亨さん(53)は、終戦時は小学2年生。木戸銭ご免で遊び回った。このころはもう浪曲一筋とはいかず、寄席や漫才も上演されていた。昭和25、6年になると、ドサ回りの剣劇一座がやってくるようになった。女剣劇の股旅物が人気を博し、合間にストリップが演じられるようになった。「子供のころからの劇場がなくなるかと思うと、いろんなことが思い出されて寂しくて仕方がない」と懐かしむ。カイケイ座隣でおもちゃ店を営む櫛田洋子さん(48)の思い出話は抱腹ものだ。おもちゃ屋と劇場は板一枚で仕切られているだけ。台所でサンマを焼いて換気扇を回したら劇場支配人が飛んできた。「舞台に煙がまん延して客が“サンマ食えるのか”と売店に殺到している。なんとかしてくれ」と。その櫛田さんも「そりゃさみしいわよ。とってもさみしい」と繰り返す。「踊り子さんたちもみんな素朴で礼儀正しい子たちばかり。経営者の人たちもいい人ばかりでお隣さんとしてとても心強く思ってた」としんみり続けた。「商店街のとりでだった」と言うのは円頓寺商店街の高木一郎理事長(59)。「円頓寺は、昭和30年ごろまでは芸者置き屋と料亭と映画館などの娯楽の全盛期だった。時代の流れといえば仕方ないが、これでまた一つ、客足が遠のくような気がします」としんみり続けた。立ち退き後は駐車場に変わるという。経営者の坡平(ツカヒラ)充弘さん(37)は、「地主さんには4年間猶予をもらった。ここらが潮時かと思った。商店街の人たちやお客さんから寂しいと言ってもらえ、本当にありがたい気持ちです」と話している。*10


かつて名古屋随一の娯楽街としてにぎわった円頓寺商店街。その玄関口にあるコインパーキングが今月、拡張された。駐車場となった一角には、かつて商店や民家など約30件がひしめいていた。そのうち、世の男性の熱い視線を集めていたのが、ストリップ劇場の「開慶座」(カイケイ座)だ。明治中期、浪曲小屋としてスタート。寄席もやったが、戦後、女剣劇が受けてから徐々にお色気路線に。この写真が撮影された昭和30年代初めから、ストリップだけになったという。隣でおもちゃ店を開いていた櫛田昌弘は、「踊り子さんたちは人情があった。孫の土産を買いに来るほど年配の人もいた」と振り返る。写真家東松照明も「入り口でゲタを脱いで、畳の座敷で見る独特の雰囲気だった」と懐かしむ。円頓寺は、名古屋で育った東松の少年時代の遊び場でもあった。劇場は、1991年1月末に閉店。最終日は、立ち見が出るほどの大盛況だったという。それから15年。商店街の店舗数は、最盛期の半分に。背後の名古屋駅前には高層ビルが立ち並ぶが、客足は伸びない。*11

円頓寺劇場

所在地 : 西区那古野
開館年 : 1952年
閉館年 : 2004年
円頓寺劇場は昭和27年に専修寺の西隣付近に開館。当初は洋画を上映し、世界的大ヒットとなった『ローマの休日』も掛かったが、大スクリーン時代の到来で邦画に特化するようになった。平成17年に解体されている。西区那古野。昭和31年。*12

豊富館(とよとみかん)

所在地 : 円頓寺商店街
開館年 : 1928年
閉館年 :
円頓寺・映画館「豊富館」。昭和31年3月。昭和3年に開館した老舗。商店街の人々に親しまれた。*13


2010年4月13日の新聞記事
西区の円頓寺周辺を舞台にした映画『歪屋』(ひずみや)の撮影シーン。演じるのは、商店街のおじさん、おばさんたちだ。「全然硬くならないなあ」と、監督の森零さん(45)は目を見張った。今年1月に完成した映画には、地元の人たち数十人が出演した。“素人集団”の好演を見ながら、森さんは自分の父親のことを思い出した。商店街に近い中村区那古野で過ごした子どものころ。父親は円頓寺の銭湯に通い詰め、券をもらっては何度も同じ映画を見に行った。映画館や芝居小屋などが10件近く並んでいたこともある円頓寺かいわい。盛り場としての歴史は江戸時代にさかのぼる。今から400年前。城下町が清州から名古屋へまるごと引っ越した「清州越し」をきっかけに、堀川を上って塩や木材などを運ぶ船頭や商人が集まるようになった。人が集まれば遊びの場が生まれる。明治中期にあった浪曲小屋「開慶座」の開館は江戸時代という節もある。円頓寺商店街振興組合の理事長高木麻里さん(45)は、商店街にあった映画館「豊富館」の隣で育った。子どものころ、2階に上ると映画の音が聞こえてきた。開慶座が衣替えしたストリップ劇場「カイケイ座」が1991年に閉館したころには、シャッターを閉めたままの店も増えていた。「南の大須、北の円頓寺」。そう言われた時代を遠く感じていた高木さんが商店街を元気にすることを考えた時、頭に浮かんだのが幼いころから身近にあった映画だった。*14


2016年1月28日の新聞記事
演劇向きのスタジオと飲食店からなる複合商業施設「那古野ハモニカ荘」(なごやハモニカ荘)が2月、西区那古野1の円頓寺商店街に誕生する。1年ほど前から空き店舗となっていた建物を改修。地元関係者らは「演劇や映画の街としてにぎわった昭和の円頓寺商店街の雰囲気を感じてもらえる施設になれば」と期待する。商店街振興組合によると、昭和初期から中期には円劇場「開慶座」や映画館「豊富館」などがあった。*15

港区

築地劇場

所在地 : 港区
開館年 : 1930年
閉館年 : 1963年
築地劇場は昭和5年に開館。近辺では数少ない鉄筋建築だった。松竹と日活の邦画のほか洋画も上映した。港区。昭和31年。*16

名港ニュー別世界/名港文化

所在地 : 港区名港1
開館年 : 1938年?
閉館年 : 1992年以後
フィリピン人女性の“ジャパゆきさん”30数人を、愛知県内などのストリップ劇場にダンサーとしてあっせんし、稼ぎをピンはねしていた男が14日、職業安定法違反の疑いで、名古屋・港署に逮捕された。男は、名古屋市中区栄1丁目、自称「名古屋プロモート社長」の暴力団幹部近村宏樹(26)。調べでは、近村は、11月初め、同市港区名港1丁目のストリップ劇場「名港ニュー別世界」に、18歳のフィリピン人少女を“本番ショー”のダンサーとして紹介。10日間興行の給料17万円のうち、5万円を手数料として取っていた疑い。*17


愛知県警保安課と港署は2日までに、売春防止法違反(場所提供)の疑いで、ストリップ劇場「名港文化」=名古屋市港区名港1=の経営者江口康和容疑者と従業員2人の3人を逮捕、送検した。調べでは、江口容疑者らは、劇場内のステージの一角に「ピンクコーナー」と呼ぶ個室を作り、公演中のストリッパーと客に、その個室で売春をさせようと計画、客から売春料を取っていた疑い。直接の逮捕容疑は、ことし5月22日と29日、40歳と48歳のストリッパー2人が3人の会社員を相手に売春をしていた。江口容疑者らは、6人のストリッパーのうち3人と“売春契約”を結び、1日6回の公演ごとに客から募って、1回3500円の売春チケットを販売。このうち、1000円をストリッパーに支払っていた。調べに対し、江口容疑者は「売春でもしないと、乗松の劇場には客が集まらない」と話しているという。*18

港会館

所在地 : 港区
開館年 : 1947年
閉館年 : 不明

東海映画劇場

所在地 : 港区
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1963年以後

稲永東映

所在地 : 港区
開館年 : 1963年以前
閉館年 : 1963年以後

ヴァージン・シネマズ名古屋ベイシティ/TOHOシネマズ名古屋ベイシティ

所在地 : 港区品川町2−1−6
開館年 : 1999年11月23日
閉館年 : 営業中

中川区

八幡映画劇場

所在地 : 中川区尾頭橋
開館年 : 1955年
閉館年 : 1963年以後
八幡映画劇場は昭和30年12月、映画館激戦区の尾頭地区に開館。大映、日活、新東宝、松竹を上映。時代物、母子ものの人気が高かった。中川区尾頭橋。昭和31年。*19

一色劇場/一色映画劇場

所在地 : 中川区
開館年 : 大正末期、1950年
閉館年 :
昭和31年6月の一色映画劇場。大正末期に演芸館として開場。25年に映画館に転身した。母もの、ちゃんばらもの中心で、「ローマの休日もコケた」と当時の支配人。かつてこの先に一色映画劇場があった。*20

日置劇場

所在地 : 中川区
開館年 : 1936年
閉館年 :
昭和31年5月の日置劇場。戦前の11年に開場。買い物帰りのお母さんや、近くの紡織工場の労働者が大事なお客さんで、母ものや東映時代劇が人気を集めた。*21

尾頭映画劇場/尾頭映劇

所在地 : 中川区
開館年 : 1947年
閉館年 : 1956年以後
写真は昭和31年5月の尾頭映劇。戦前は30分に1本という一色線の客のためにウドン屋、カフェ、酒屋がパラリとあっただけの電停付近は、今はギッシリ商店が立ち並んでいる。というのも電車の乗降客と尾頭劇場があるためだといわれている。尾頭橋劇場は昭和22年誕生、いつ行っても客は満員という盛況、足許はムキだしの土間で、隙間風と共にそこはかとなくWCの香りもただよってくる。映画のクライマックスに拍手するのはここの客ぐらいだろう。なかなか純朴でよろしい。劇場はもうひとつ、伏見劇場というのがある。芝居、浪花節、漫才をかける小屋だが、これは余り繁昌しない。2年前迄は「自由劇場」と称したが、経営困難でとうとう投げ出して興行主がかわった。最近はそれでも少しはよくなったらしい。客席の前半分がタタミである。昭和28年。*22

八熊東映/八熊小劇場

所在地 : 中川区八熊2丁目
開館年 : 1960年から1963年の間
閉館年 : 1988年以後
愛知県警保安課と中川署は20日までに、踊り子らに舞台横の部屋で観客相手の売春行為などをさせていた名古屋市中川区八熊2丁目、ストリップ劇場「八熊小劇場」を摘発、支配人や踊り子ら8人を売春防止法違反(売春の契約、場所提供)の疑いなどで逮捕した。ストリップ劇場に売春防止法を適用したのは全国で初めて。逮捕されたのは、売防法違反容疑が同劇場支配人古市清(41)と責任者の中嶋友治(61)。フィリピン人2人を含む踊り子5人と客1人は公然わいせつ現行犯で捕らえられた。調べによると、中島らは踊り子と売春の契約を結び、舞台に幕を引いた「プライベートルーム」内で、入場客相手の売春をさせ、別料金として客から入場料(3000円)と同額の現金を集めたうえ、その中から手数料として一部をピンはねしていた疑い。売春の相手客の中には愛知県内の私立高校教諭(65)もいた。*23

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