かつて存在した映画館についてのwikiです。事実上の個人サイトであり管理人「hekikaicinema」のみが編集可能です。

このページでは豊橋市、豊川市、蒲郡市、蒲郡市、設楽町などの映画館を扱います。豊橋市の映画館についてはWikipediaに詳細な解説ページ(豊橋市の映画館)がありますので、本サイトでは簡潔に取り扱います。

豊川市

第二清水座

所在地 :
開館年 : 1902年以前
閉館年 :
明治35年、火災で焼失して第二清水座と改称した。現在の豊川市元町にあったが今はない。明治41年の写真。*1

霞座

所在地 : 豊川市国府町2
開館年 : 1905年
閉館年 : 1965年
明治38年、現在の豊川市国府町に地元の有力者が資金を出し合って霞座を建てた。この地方の娯楽の中心的存在で、1,100人を収容できた大きなもの。昭和40年に取り壊された。写真は昭和5年ごろに撮影したもの。*2


明治38年、地元有力者が資金を出し合って、1,100人収容の大娯楽の殿堂「霞座」が完成! 昭和40年まで、国府の人々を楽しませてくれた。右下に流れるのが音羽川。堤防いっぱいまで川幅が広がっていて、水の中では子供たちが魚取り等を楽しんでいる。川に架かる橋は、豊成橋。*3


「発見!セピア色のとよかわ」と題して、豊川市の歴史を伝える貴重な写真と一緒に、この町の今と昔を紹介するシリーズ。13回目は、「娯楽劇場 霞座」です。写真は国府町の音羽川に架かる豊成橋付近の風景。セピア色の写真で一番左に立つ建物が、明治38年に地元有志の出資によって建てられた劇場「霞座」です。写真では建物の上部にある「霞座」の看板や、お客の呼び込みのためののぼりも見ることができます。「霞座」は1,100人収容でき、美空ひばりさんなどの有名芸能人がしばしば来演し、大いに賑わったといいます。また、「かわいい魚屋さん」で有名な豊川市出身の童謡作曲家・山口保治さんも幼い頃、子役としてこの劇場の舞台に立ち演じたという記録が残っています。昭和40年に取り壊されるまで、この地域の娯楽の中心として機能していた「霞座」。当時の娯楽文化を顧みることができる貴重な1枚です。(資料提供:桜ヶ丘ミュージアム)*4

豊川会館

所在地 : 豊川市仁保通30*5
開館年 : 1947年
閉館年 : 1955年以後

豊川松竹

所在地 : 豊川市豊川町乃通10*6
開館年 : 1947年
閉館年 : 1955年以後

豊川東宝劇場

所在地 : 豊川市北金屋町道南45*7
開館年 : 1946年
閉館年 : 1955年以後

昭和座

所在地 : 豊川市牛久保町城跡55*8
開館年 : 不明
閉館年 : 1955年以後

豊川駅の映画館

昭和初期の豊川駅
所在地 : 豊川駅前
開館年 :
閉館年 :
明治29年に豊川鉄道株式会社が設立され、翌年、吉田(豊橋)〜豊川間が開通した。昭和6年、2階が百貨店、3階が映画館という当時としては、モダンな駅舎が完成し、豊川の玄関口としてにぎわった。平成8年に曲線を描いた橋上駅が完成した。*9

御津劇場

所在地 :
開館年 : 1928年
閉館年 : 1968年
御津劇場は昭和3年5月に発足した御油駅前融通講によって資金調達等が行われ、京楽座跡(愛知御津駅の北方200m程の位置)の西隣に建設されました。木造2階建てで客席は畳敷、売店を備え下足番もおりました。当初は芝居、浪曲主体の興行でしたが活動写真も始まって、画面を説明する活動弁士の名調子と、楽隊の奏でる音楽が観客を沸かせました。それがトーキーに変わりレビューや漫才も登場し、ついで戦時色のただよう時局映画に移行しました。戦後の一時期は、大江美智子など著名な俳優も来演し盛況でしたが、都市の復興で終止符を打ち、テレビの普及により映画も衰退し、43年にはついに劇場封鎖に追い込まれ、46年4月不慮の火災で焼失しました。*10

田原市

東映館

所在地 : 愛知県渥美郡田原町大字田原*11
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1953年以後
座席数 : 462席(1953年版)
中心市街地を元気にしようと、田原市の女性グループが個性的なマップづくりに取り組んでいる。2月下旬の完成を目指して作業を進めている。中には40年以上前にあったという映画館や、今は駐車場になっているローラースケート場についての紹介もある。名前は「ちんちこちんマップ」。*12

福江劇場

所在地 : 愛知県渥美郡福江町字浜田*13、渥美郡渥美町福江10*14
開館年 : 1909年
閉館年 : 1965年以後
明治42年に芝居小屋の福江座として渥美郡福江町(後の渥美町)に創立。回り舞台もあったが昭和になって映画館に転身。昭和40年ごろの写真。*15

衆楽館

所在地 : 愛知県渥美郡福江町字下地(1955年)〔地は原文ママ〕*16、渥美郡渥美町福江畠下池(1963年)〔池は原文ママ〕*17
開館年 : 1953年以前
閉館年 : 1963年以後

蒲郡市

蒲郡市の映画館

2010年8月21日の新聞記事
豊橋市忠興の元会社員小林孝至さん(61)は、自宅に保管していた1960年代後半ごろの蒲郡市内の映画館月間プログラムを蒲郡市博物館に寄贈した。寄贈品の一部は同館で開催中の企画展「蒲郡にも映画館があった」で20日から展示されている。プログラムは「中央東映」「蒲映」「三谷日活」「蒲劇」の4館の計204枚。その月の上映日程や各作品の出演者などを写真やイラスト付きで紹介している。64年7月の「蒲劇」のプログラムは、吉永小百合さん主演の「光る海」などの上映を「サヨウナラ興行」とうたっており、この月で同館が閉館したことがわかる。企画展では、2000年を最後に市内から姿を消した映画館の記録を各種資料で紹介。会期は22日までの予定だったが、今回の寄贈に合わせて9月5日まで延長した。*18

蒲郡映画劇場(蒲映)

昭和30年代の蒲郡映画センター
所在地 : 蒲郡市港町4-13*19
開館年 : 1939年
閉館年 : 2000年
2010年7月30日から8月22日には、蒲郡市博物館で蒲映の資料を基にした「広告でたどる庶民のくらし展 Part1 蒲郡にも映画館があった」が開催されている。

蒲郡映画センターは蒲郡駅南の港町に会った大衆映画館。昭和14年、共栄座のあったところに、蒲郡映画劇場として建設された蒲郡映画センターは、蒲郡映画劇場とも呼ばれ、数々の名画を上映して市民に親しまれた。蒲郡には、蒲郡劇場や昭和16年焼失してしまった歌舞伎座など娯楽施設が多数あり、市川雷蔵や音羽信子など多くの名優が幕上げ興行に招かれている。蒲郡映画センターは平成12年1月に惜しまれて閉館し、現在は空地となっている。蒲郡映画センターの横には新世界ビルがあった。*20


2000年2月19日の新聞記事
蒲郡市唯一の映画館として親しまれ、1月31日に約50年の歴史の幕を引いた「蒲郡映画劇場」(港町)が、35ミリ劇場用映写機一式をこのほど市博物館に寄贈した。博物館は、戦後の文化史を伝える資料として市民に公開する。寄贈したのは、経営者の清水五雄さん(68)。映写機は約30年前に作られたもので、県内で現存するのは数少ない貴重な品という。名鉄蒲郡駅南側の飲食店街にある同劇場は、清水さんの父橋一郎さんが昭和初期、芝居小屋「共栄座」として創業。戦後間もなく常設の映画館に改めた。映画全盛期の昭和2、30年代は連日観客であふれた。繊維産業の隆盛時には、全国から集まった織り子さんたちの憩いの場にもなった。しかし、一時は市内に8館もあった映画館は、その後、次々に閉館。同感だけが最後まで映画の灯をともし続けていた。*21


2010年8月4日の新聞記事
映画が「娯楽の王様」として親しまれた時代を振り返る企画展「蒲郡にも映画館があった」が蒲郡市博物館で開かれている。22日まで。最盛期の1950年代には市内に9館あった映画館の記録を紹介。市内で最後まで営業し、2000年に閉館した「蒲映」から寄贈を受けた資料を中心に、各館の関係者から借り受けた映画のプログラム類やチラシ、写真、ポスターなど約400点を並べた。舞台あいさつに訪れた有名俳優の写真や蒲映で使われていた映写機なども展示。*22


蒲郡劇場

所在地 : 蒲郡市本町48*23
開館年 : 1951年
閉館年 : 1964年7月

恵比寿座/恵比寿映劇

所在地 : 蒲郡市三谷町字八舗8(1955年)*24、蒲郡市三谷町平口1-1(1963年)
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後

三谷映画劇場/三谷日活映劇

所在地 : 蒲郡市三谷町字八舗92(1955年)*25、蒲郡市三谷町8-92(1963年)
開館年 : 1928年
閉館年 : 1963年以後

蒲郡中央東映劇場

所在地 : 蒲郡市中央通6(1963年)、蒲郡市中央本町15-15(1980年)*26
開館年 : 1960年から1963年の間
閉館年 : 1980年以後
1960年にあって1963年にない映画館に永楽劇場があり、蒲郡中央東映劇場と関係あるかも。

形原劇場

建設中の形原劇場
所在地 : 宝飯郡形原町(1953年)
開館年 : 1918年
閉館年 : 1953年以後
形原劇場は形原の町の娯楽の殿堂として、あるいはコミュニケーションの場として広く利用された。この劇場と同じころ三谷の「恵比寿座」で初めて活動写真が上映されている。*27

新城市

新富劇場

所在地 : 南設楽郡新城町宮ノ西(1955年)*28、新城市新城町(1963年)
開館年 : 1906年*29、1946年
閉館年 : 昭和40年代?
この劇場は戦時中、軍の施設として使用されていた。終戦後の昭和21年に改装して新富劇場と改め、映画、演劇、歌謡で再出発。村田英雄、淡谷のり子などもやってきた。「緑はるかに」「カラコルム」「にあんちゃん」「小鹿物語」などを学校から先生に引率されて見に行ったという話が懐かしく語られる。昭和30年代が入場者数のピークであった。新城駅前から、みよしや旅館を右へ曲がったところに新富駐車場がある。そこが新富劇場の跡地で、昭和40年代まで建物があった。*30

昭和映画劇場(昭映)

1958年の昭和映画劇場
所在地 : 新城市本町215(1963年)
開館年 :
閉館年 : 1963年以後
新城市町並。当時、新城市内にあった常設映画館2館のうちのひとつが昭和映画劇場で、本町にあった。その後2館とも客の減少によって閉館となった。*31

春日座/大野劇場

所在地 : 八名郡大野町中野*32、南設楽郡鳳来町大野*33
開館年 : 1955年以前*34
閉館年 : 1963年以後
春日座と大野劇場は同一館だと推測したが間違ってるかも。

海老劇場

所在地 : 南設楽郡海老町海老南興津*35
開館年 : 1955年以前*36
閉館年 : 1963年以後

赤玉会館

所在地 : 北設楽郡本郷町*37
開館年 : 1955年以前*38
閉館年 : 1950年代後半

常盤映画劇場/常盤映劇

所在地 : 南設楽郡作手村高里8*39
開館年 : 1950年代後半
閉館年 : 1963年以後

設楽町

設楽町の映画館の概観

田口劇場を訪れた東海林太郎
設楽町教育委員会は、町の移り変わりを写真で紹介する図録「写真で見る郷土の20世紀」を450部、発刊した。大正時代から現代までの220枚の写真を「官公庁と公共施設」「集落と町並み」「自然景観」「産業」など11に分類し、写真すべてに解説を付けた。かやぶき屋根のふき替えなど、懐かしい風景が並ぶ。1934(昭和9年)年の町中心部、田口の商店街を再現した略図や、1900年から88年までの町内での主な出来事をまとめた年表も付けた。表紙には60年代前半にあった古い映画館の写真を載せ、時の流れを印象付けている。*40


子どものころの田口は、北設楽郡の中心地だったから役所がたくさんあって、にぎやかな町でした。田口線の電車が走り、長野県の根羽や新野、静岡県の佐久間へ行くバスも出ていた。映画館も二軒あったんですよ。映画館で思い出すのは1959(昭和34)年9月、田口キネマで米国映画「黒い雄牛」を見た帰り道のことです。伊勢湾台風の豪雨で鹿島川があふれていました。今の農協や郵便局の周辺は田んぼだったんですが、翌朝見たら一面水浸しでした。*41


タブロイド判1ページの古い新聞が見つかった。題字は「北設新報」。十日に一度、北設楽郡をエリアに発行されていた地方紙だ。「ナトコ映画」の日程と内容紹介のコーナーもある。「『ナトコ』は米国製16ミリ映写機の名前。進駐軍が民主化政策を進めるため、全国で展開した巡回映画です」。田口の町に2つの映画館が誕生したのは55年。それまではナトコ映画が娯楽の王座を占めていた。地域のニュースを伝えた北設新報。今となっては貴重な資料だが、設楽町の図書館や奥三河郷土館にも残っていない。*42

田口劇場

昭和30年代の田口劇場
所在地 : 設楽町田口井戸入6*43
開館年 :
閉館年 :
(年表で)1955年 この頃、映画館田口劇場が、またやや後れて田口キネマができる。*44昭和30年代。田口劇場は映画の常設館で、『男は爆発する』のノボリが掲げてある。*45


設楽町田口。田口劇場を興業したのは田口の商店・ヤマハチの主人であった。盆や正月には大いににぎわった。三島由紀夫の原作を新藤兼人監督、月丘夢路主演で映画化した『美徳のよろめき』のポスターが見える。昭和30年代には田口劇場に流行歌手・東海林太郎がやってきた。*46

東栄町

赤玉会館/東映キネマ

所在地 : 北設楽郡本郷町*47、北設楽郡東栄町大字本郷*48
開館年 : 1955年以前
閉館年 : 1963年以後
赤玉会館と東映キネマ〔原文ママ〕は同じ館だと推測したが間違ってるかも。

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