かつて存在した映画館についてのwikiです。事実上の個人サイトであり管理人「hekikaicinema」のみが編集可能です。

岐阜県の映画館

岐阜市や飛騨市、大垣市と、県内の風景が登場する映画が次々に公開され、舞台を訪れる“聖地巡礼”などの波及効果が広がる一方、県内で映画館の減少が続いている。羽島市歴史民俗資料館・映画資料館の調査によると、2000年と比べておよそ半分の8件に減った。ここ10年間で飛騨地域など映画館のない空白地帯もできており、新作映画を楽しめる環境に地域格差が生じている。映画資料館では、岐阜新聞の広告欄や業界誌などを基に県内の映画館数の推移を調べ、各館の往時の外観写真とともに伝える企画展を12月18日まで開催。東映や日活などの製作会社ができた1950年代に急増、60年代には150軒以上があったという。業界で統廃合が進み80年代までに30軒ほどに激減するものの、映画館が県内各地に点在していたことを地図や年表で紹介。*1


シネコン閉鎖。昨年末、大阪府のワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田が閉館を発表。経営不振によるシネマコンプレックス(シネコン)の閉館は国内初とされ、業界に衝撃が走った。スクリーン数5以上の複合映画館シネコンは、映画業界を斜陽から成長産業へと変容させ、この10年でスクリーン数は70%も増加した。県内でも急増し、現在6館。そのほとんどがショッピングセンターとの併設で、半径15キロ圏内にひしめく。複合商業施設の目玉として激増を遂げたシネコンは今、岐阜を舞台に新たな局面を迎えている。
昨年7月、商業施設イオン各務原ショッピングセンター内に10スクリーンを備えるワーナー・マイカル・シネマズ各務原がオープンした。東海地区初の3Dデジタルシステムも導入。ワーナー・マイカル・シネマズ各務原の開館で、県内のシネコンスクリーン数は66に達した。特に、2005年からの3年間はオープンラッシュ。大垣コロナシネマワールド(大垣市)、TOHOシネマズモレラ岐阜(本巣市)を含め、32スクリーンが上積みされた。6館のうち、5館は商業施設内にある。モレラ岐阜にあるTOHOシネマズモレラ岐阜と、カラフルタウン岐阜にあるTOHOシネマズ岐阜(岐阜市)の2館を運営する中部東宝は「今や映画館単独では成り立たない。広い駐車場と多様なコンテンツを持つ商業施設との相乗りで、より広い地域から幅広い年齢層を集めなければ、収益は確保できない」と話す。
昨年3月、先駆者のシネマ・ジャングル(羽島郡岐南町)が休館し、淘汰の幕開けを予感させた。「上映作品自体に手を加えるわけにはいかず、目を引くような独自性を出すことは難しい」(中部東宝)のが現状。4月に増床オープンを控える商業施設マーサ21(岐阜市)はこういった理由から、あえてシネコンの導入を避けた。シネックスマーゴ(関市)が入る商業施設サンサンシティマーゴを運営するサン・ストラッセの広瀬武男社長は「シネコン自体は赤字。商業施設への集客や広告効果を考えて運営している」と、シネコン経営の厳しさを明かす。*2

岐阜市

1953年時点の概観

柳ヶ瀬を中心とする一帯は岐阜市商業経済の中心部で、各種の店舗が密集し、中都市としては稀な大繁華街を形成している。中でも本市最大の丸物デパート前から平和通りを経て西へ延びる柳ヶ瀬通りは、戦後いち早く復旧し、そのにぎわいは他の追従を許さず、観光岐阜市の代表的繁華街として広く知れ渡っている。こゝから日ノ出町、神室町にかけての一帯は、いわゆる興行街で、岐阜劇場をはじめ、第一映画劇場衆楽館青雲館自由映画劇場セントラル映画劇場小劇場満鉄会館豊富座金華映画劇場満映画劇場など10指に余り、これに長良映画劇場宝塚館真砂座、およびニューフェイスの駅前日本劇場を加えるとしない映画劇場は実に15館に達し、市民1万5千名に1館の割となっている。*3

満映画劇場

(岐阜市日之出町、代表者古川一男)岐阜市の繁華街柳ヶ瀬の中心部に県下最大の規模と合化設備とをもって誇る同劇場は、昭和21年4月戦後の大衆に慰安を与えようと古川氏が娯楽の殿堂として逸早く開館した。昭和24年4月、不幸火災に遭遇したが、同年11月鉄筋コンクリート建、地階、一階、二階、中二階を持つ411坪、定員1,200人の近代的建築として復興した。この建築は、建築雑誌として有名な「建築文化」1951年5月号にも、歌舞伎座、明治座等と共に、近代劇場としてその内容を紹介されたほど立派な物である。外観ばかりでなく、演劇舞台設備を始め照明装置も完備し、ローヤルL型最新水冷式映写機、ローヤル製最新切換付アンプ・デラックなど大衆娯楽の殿堂として恥ずかしからぬ施設を備え、映画のほか、東西の一流芸能人を動員して、毎週豪華なアトラクションを公開して岐阜市民を楽しませている。*4

岐阜土地興行

(岐阜市日之出町、取締役会長古川鉄男)資本金2千万円で大正13年8月設立された同社は、昭和4年、興行会の進歩発達を図るため岐阜市内の4映画館が合併し新発足したもので、岐阜市内の実でも松竹館松竹座東亜キネマ演芸館岐阜劇場などを買収して来た。現在、県下第1の収容力を有する岐阜劇場は、昭和11年総工費23万円で鉄筋コンクリート建で完成、戦災と昭和24年の2回に亘り火災に遭遇したが、その都度、内容、外観を充実させて、きょうの大劇場たらしめたものである。同社現在の直営館は8館で、岐阜市内5館の1ヶ月の興行収益は6百万円を突破している。*5

劇場名建坪収容人員所在地
岐阜劇場7801,643岐阜市
第一映画劇場3501,278岐阜市
衆楽館220842岐阜市
青雲館235800岐阜市
日本劇場230500岐阜市
那加映画劇場136不明岐阜県那珂町
長浜映画劇場194不明滋賀県長浜市
関自由映画劇場不明不明岐阜県関市

衆楽館

開館年 : 1920年
閉館年 : 2006年4月10日
岐阜土地興行の篠田元弘社長は3日、岐阜市日ノ出町の映画館「衆楽館」を今月10日に閉館する、と発表した。柳ヶ瀬からまた一つ、老舗映画館の灯が消えるが、隣接する岐阜高島屋の客層を補完できるような商業施設に建て替え、年内に開業する。同館は1920(大正9)年に開館。終戦後いち早く復興し、一日8000人が押し寄せるなど、柳ヶ瀬の隆盛を誇るスポットの一つとして知られた。82年に上映した「ET」では、3か月間で観客10万人を上映していたが、複数の映画館が入る郊外のシネマコンプレックス(シネコン)に押されて伸び悩み、近年は3分の1ほどに客足が落ちていた。同社は今後、柳ヶ瀬活性化のため、同署に映画以外の時代に即した施設を建設する方針。篠田社長は会見で「建物も老朽化し、衆楽館の役割は終えた。岐阜高島屋がリニューアルオープンして、柳ヶ瀬にも活況が戻ってきたが、このにぎわいが広がるよう努力する」と語った。同館は、8日から10日まで、かつて上映した映画を中心にした特別上映会を開く。料金は500円。上映スケジュールは8日に「クレーマークレーマー」「荒馬と女」、9日に「未知との遭遇」「裸足の伯爵夫人」。*6

各務原市

ワーナー・マイカル・シネマズ各務原

開館年 : 2007年8月
閉館年 :

羽島郡

シネマジャングル

所在地 : 羽島郡岐南町
開館年 :
閉館年 : 2007年3月

TOHOシネマズ岐阜

所在地 : 羽島郡柳津町
開館年 : 不明
閉館年 : 営業中
美濃市が舞台の映画「ミラクルバナナ」を上映中の羽島郡柳津町、TOHOシネマズ岐阜の観客動員数が、東海地区(愛知、岐阜両県)で最多を記録している。16日まで上映する。錦織良成監督、小山田サユリさん主演。先行上映では錦織監督と出演者らが舞台あいさつに同館を訪れた。10月29日からシネマズ岐阜など岐阜、愛知の8館で上映。美濃市が舞台とあって、シネマズ岐阜の観客動員数は4日現在4021人でトップ。*7

大垣市

大垣コロナシネマ

開館年 : 2005年12月17日
閉館年 : 営業中
大垣市三塚町の大型商業施設「ロックシティ大垣」のアミューズメント施設「大垣コロナワールド」が17日、パチンコ店など一部を除き営業を始めた。全国にアミューズメント施設を展開する「コロナ」が建設。私設は鉄骨3階建て延べ約2万平方メートル。10スクリーン計1551席ある映画館、ボウリング場、カラオケ、インターネットカフェ、まんが喫茶、レストラン、託児施設などを備えている。*8

大垣東映会館

開館年 : 1948年
閉館年 : 1997年1月17日
21日午後、大垣市の繁華街にある映画館の外壁が突然崩れ落ち、歩道を歩いていた女性が、落ちてきたタイルでけがをするという事故があった。事故があったのは、大垣市郭町3-69の映画館などが入る雑居ビル「大垣東映会館」で、同日午後3時半ごろ、同ビルの南側外壁が約161平方メートルにわたって崩れ落ちた。同ビル前の歩道を歩いていた会社員吉村孝子さんが、崩れ落ちてきたタイルで、ひざに軽いけがを負った。事故当時、歩道には吉村さんを含めて3人が歩いていたが、他の2人は逃げて無事だった。大垣署の調べでは、同会館は鉄筋4階建て、延べ床面積約800平方メートル。1階にはスナックや飲食店など9店舗、2、3階が映画館、4階は電気機械室になっている。外壁はタイル張り(1個縦5センチ、横10センチ)で、歩道に面した南側外壁の約8割が崩れ落ちた。最大で縦約11メートル、横約21メートルのタイルがモルタルごとはがれ落ちた。同ビルは昭和44年11月に建てられ、内装などの手直しはしていたものの、外壁は当時のままで、南側の壁と同時期に造られた北側の壁は所々亀裂が入っている状態。現場は、JR大垣駅から南へ約1キロほどの商店街で、飲食店やパチンコ店などが並んでいる。事故当時、ビル内の飲食店などは営業しておらず、映画館内には約15人の客がいた。*9


約半世紀にわたって親しまれてきた大垣市郭街東2の映画館・大垣東映会館(松岡健代表)が、17日で閉館する。西濃地方にある5映画館のうち同会館には2館が入っており、残るのは大垣東宝会館(同市栗屋町)内の3館のみ。郊外型の複合アミューズメント施設が主流となる中、街の風景を彩った映画館が姿を消していく。同会館は1948年、松岡代表の祖父健三さんが芝居小屋を譲り受けて操業。60年代の映画ブームで急成長。70年代はカラーテレビの普及などでブームは下火となったが東映“ヤクザ映画”の人気に支えられて好調に推移。当時、市内にあったほかの8軒が軒並み入場者を減らす中で、同館は健闘した。69年に現在の鉄筋4階建ての会館を建設。2つのスクリーンを持ち、テナントとして13店が入居。当時としては画期的な施設だった。ヤクザ映画と日活の成人映画で年間最高15万人の入場者があり、大人の遊び場としてにぎわった。その後、邦画界の低迷、洋画の話題作に人気を奪われ、入場者は年々減少。他館が次々と閉館する中、洋画と子供向け映画を主力に営業を続けたが、最近は一日の入場者が数人という日も少なくなかった。施設の老朽化も激しく、「最終的に閉館を決断せざるをえなかった」という。*10

関市

シネックスマーゴ

開館年 : 2003年11月21日
閉館年 : 営業中
関市倉知に21日にオープンするマーゴシネマ館は、複合映画館(シネマコンプレックス)とゲームコーナーや飲食店などがある一大アミューズメント施設。中濃地域初のシネコンとなり、東濃地域や飛騨地域からの集客も期待される。映画館「シネックス マーゴ」は8館からなり、最大スクリーンで313席の広さ。シートはスタジアム形式で見やすさに配慮した。シート最前列とスクリーンの間が広いため、ゆったりと観賞できる。県内映画館初のペアシートが設けられており、2人で鑑賞したいカップルにお勧め。*11


大型ショッピングセンター「サンサンシティマーゴ」を運営するサン・ストラッセが、関市倉知のマーゴ本館北隣に建設していた「マーゴシネマ館」が完成。21日のグランドオープンを前にした19日、地元、取引先関係者ら約230人を招いて完成式と内覧会を行った。同館は、中濃地区初のシネマコンプレックスと県内最大級のアミューズメントを併設しており、鉄骨2階建て延べ約8500平方メートル。1階は岐阜土地興行の「シネックスマーゴ」で、8スクリーン(客席総数1389席で全指定席)を持つ。*12


〔要約〕岐阜市の名鉄新岐阜駅前に次いで岐阜県2店目のスターバックスが関市の「サンサンシティマーゴ」にオープンする。2003年11月21日のマーゴシネマ館のオープンで集客力がアップし、安定した利用が見込めると判断した。*13

多治見市

多治見市の映画館

懐かしい映画館といえば、明治より市民を楽しませてくれた榎元座、本町通にあった文化劇場、今も上映をつづけている多治見館といえよう。時代劇からアクションものへと客の要望にこたえてきたものの、テレビ全盛と共に館をたたまざるを得なくなった。しかし、劇場でみた映画の思い出は今も人々の心に残っている。*14

榎元座

開館年 : 不明
閉館年 : 不明
戦後、市民の娯楽の殿堂であった榎元座。昭和28年に女性のショールの巻き方までかえたという「君の名は」の映画は榎元座で公開された。昭和33年9月、新町を練歩く榎元座の宣伝隊。ちんどん屋とかサンドイッチマンというゲリラ的宣伝も、今ではすっかり姿を消してしまった。しかし、昭和35年ころからのテレビブームにより映画は斜陽の道をたどり始める。*15

多治見館/多治見シネマ

所在地 : 岐阜県多治見市錦町3丁目6
開館年 : 1925年
閉館年 : 2004年
空前のヒットとなった黒沢作品の「七人の侍」を上映中の多治見館(昭和31年ころ)。*16


2004年1月29日の新聞記事
多治見市民に長く親しまれてきた映画館「多治見シネマ」(同市錦町)が今月限りで閉館する。東濃地方に残った唯一の映画館だった。レンタルビデオ、DVDの普及などで客を奪われ、東濃最後の銀幕を閉じる。同シネマは、1925年に「キネマ多治見館」として設立。戦後の黄金時代には「大映多治見」の名で、流行の喜劇シリーズなどを上映し、にぎわった。しかし、テレビの隆盛に伴う映画の衰退の中で、同市内でも老舗の「榎本座」、「文化劇場」が閉館に追い込まれるなど、東濃の映画館は減少の一途をたどった。多治見シネマは、70年代の山口百恵主演の青春映画のヒットなどで息をつないできたが、80年代後半からはビデオの普及で経営が悪化。1990年には、愛知県を中心にアミューズメント施設を運営するコロナグループ(本社愛知県小牧市)傘下に。効率化のために館内を多治見シネマ1、2の2つに分け、カラオケも併設するなどして再出発を図ったが、駐車場の狭さが難点となった。往年には一日500人以上だった来場者が近年は80人前後にまで落ち込んだ。1年ほど前から閉館が検討され、昨年秋ごろに正式に決まった。最後の出し物は「ラストサムライ」と「ファインディングニモ」、夕方からは「マトリックス3」。31日は翌日未明までの上映となる。閉館イベントは特に予定していない。*17


東濃地域唯一の映画館となる多治見市錦町の「多治見シネマ」が、経営難のため来年1月いっぱいで休館することが25日、分かった。再開のめどは立っておらず、映画界で複合映画館(シネマコンプレックス)が主流となっているあおりを受け、市民に親しまれてきた東濃最後の“劇場”も姿を消すことになった。多治見シネマはシアター2館(120席、110席)のほか、カラオケ施設がある。愛知県内を中心にシネマコンプレックスを展開するコロナグループの関連会社が、1990年4月から経営している。設立は古く、「多治見館」「多治見大映劇場」を経て、現在の多治見シネマとなった。コロナグループによると、採算の合わなかった多治見シネマの休館について1年ほど前から検討を始め、今秋に決定した。映画「タイタニック」を上映した98年1月の集客は約1万5000人だったが、それ以降動員数は落ち込み、今年10月は約2200人だった。*18


〔要約〕2004年1月31日で多治見シネマが閉館し、東濃地域から映画館がなくなったため、4月6日から岐阜新聞東濃版に愛知県小牧市の小牧シネマワールドの上映時間情報が掲載される。
*19



多治見の町は土岐川を挟んで南北に分かれていますが、多治見シネマのある錦町は川の南側、いわゆる昔からの旧市街で、現在は国道19号が通る北側が発展し、町の中心になっています。映画館は閉館中で、戦前の建築と思われるセセッション風のデザインの建物にはテナント募集の看板が出ていました。取り壊されず再利用されることを願うばかりです。*20


多治見温泉さんの南側は神社になっているのですが、その脇には映画館「多治見シネマ」さんがありました。改装されていますが、元は結構古い建物のようですね。ただ、約2年前に閉館…その後も借り手がつかないようで、そのままになっていました。*21

土岐市

土岐市のシネコン

開館年 : 2019年度予定
土岐市は26日、イオンモールが同誌に出店する多機能複合商業施設の店舗計画の概要を発表した。東濃地域唯一となる映画館やスポーツクラブなども入る予定で、敷地面積では大垣、各務原市の既存2店を上回り県内最大規模となる。2019年に開業予定という。同市の土岐口財産区が所有する中山鉱山(同市土岐津町土岐口)の跡地と周辺地区の利活用事業で、イオンモールが事業予定者として正式に選定された。私設の敷地面積は約20万平方メートル。*22

恵那市

若宮座

開館年 : 不明
閉館年 : 不明
中野方若宮座(昭和初期)。中野方の地芝居は「曙座」と「若宮座」という常設の劇場をふたつも有し、盛んにおこなわれた。「若宮座」では、明治から昭和の初期にかけて村人が競って劇を熱演した。その後、戦争激化にともなって軍需工場の倉庫となったが、戦後は劇団や地芝居の上演や映画の上映で利用された。*23

岩邑劇場

所在地 : 旧岩村町
開館年 : 不明
閉館年 : 不明
岩邑劇場の祝賀会(昭和9年)。旧岩村町。岩村町の柳町にあった岩邑劇場。当時、周辺には歌舞伎座や玉突場などがあり、娯楽施設が建ち並んでいた。*24

中津川市

中津川市を舞台とする映画

「青い山脈」(昭和32年)。松林宗恵監督のこの作品は、当時中津川市で3つの映画館を経営していた篠田初太郎さんが誘致を東宝に働きかけ、中央本線を汽車に乗って視察に来た松林監督が、恵那山の山並みに抱かれた街を見て「イメージにぴったり」と即決した。撮影は57年8月。俳優陣は雪村いづみ、久保明、司葉子、宝田明、淡路恵子、志村喬、草笛光子ら一級のメンバー。*25

安岐座

所在地 : 旧阿木村
開館年 : 明治中期
閉館年 : 不明
安岐座の祝宴(昭和8年)。明治中期、恵那郡内の各地で舞台の改築や新築が行われ、阿木村では「安岐座」が新築された。写真は明智線開通の祝宴風景。*26

寿座

開館年 : 1892年
閉館年 : 1956年
寿座の最後の歌舞伎上演(昭和31年)。明治24年、寄付金によって阿木川上の竹の腰観音堂続きの土地に舞台の新築が始まり、翌25年に茅葺きの舞台「寿座」が完成した。その後、多くの地元民に愛され続けたが、昭和31年の公演を最後に閉鎖された。*27

中央座

開館年 : 大正初期以前
閉館年 : 1932年
中央座(大正初期)。当時、中津川の下町にあった中央座は大変人気があった。遠くは坂下・馬籠・福岡辺りからも芝居見物に人が訪れたという。しかし、昭和7年7月に全焼し、現在は残っていない。*28


建築中の芝居小屋。明治44年6月頃の写真である。下町のたんぼの中に建築中の中央座である。しかし寿命の短い劇場で、21年後に焼失したが、中津町を中心に唯一の娯楽機関として近村の人々に親しまれたものである。*29


中央座は下町の間酒造店から西へ数10歩、左へ曲るとそこに建っていた。遠く坂下・馬籠・福岡あたりからも、村民が芝居見物に来たという。昭和7年7月に全焼した。写真は大正初期のものであろう。*30

旭座/旭映画劇場

開館年 : 戦前(劇場)、1950-51年頃(映画館)
閉館年 : 不明
開演中の旭座の舞台。旭座が旧花木町に竣工したのは、天保11年(1849)の5月であった。以来この地方の唯一の劇場として栄えたもので、舞台では中津名物の川上文楽の演出であろうか。観客も女性が多いようである。写真は明治37、38年頃か。出征家族慰問会であった。*31


松井須磨子の来演。大正6年4月22、23日の午後5時から、東京芸術座の松井須磨子が、旭座で当時流行の「復活」カチューシャを演じた。入場料50銭。その時の中津町役場宛に「今度御地におうかがい申し上げますについては首尾よく演じ了せますやう御ひゐき御見物のほどひとへにお願い申し上げます。東京芸術座すま子」と肖像入りのエハガキが届いた。2年後、彼女は島村抱月の急死の後を追って、大正8年自殺した。写真は大正6年4月のもの。*32


映画劇場開設。戦後、芝居劇場では観客が少なくなり、旭座は映画劇場に改装された。娯楽に飢えた大衆が昼も夜も映画館に殺到する大入り満員が続いた昭和25、26年頃の劇場風景である。*33


映画劇場「旭座」開設(昭和25-26年)。戦後に入り、芝居劇場だった「旭座」は観客数が減少したため、映画劇場に改装された。まだテレビが一般化しておらず、娯楽に飢えた当時の大衆は昼も夜も映画館に殺到し、毎日のように満員となった。*34

ロビン映画劇場

所在地 : 旧福岡町
開館年 : 1957年
閉館年 : 不明
ロビン映画劇場(昭和32年)。旧福岡町。昭和32年、福岡町野尻地内に開館したロビン映画劇場。写真はその開館日のようすを写したもの。開館を待ちきれない人でにぎわった。*35

高山市

高山旭座

開館年 : 昭和初期(芝居小屋)、1984年(移転)
閉館年 : 2014年8月31日(9月1日が最終営業)
高山市三福寺町の映画館「高山旭座」が、今秋にも閉館することが明らかになった。飛騨地域唯一の映画館が幕を下ろすことになる。飛騨市古川町で昭和初期に芝居小屋として始まった「旭座」は、第2次世界大戦前後に映画館に衣替えし、1984年に高山市に移転。郊外の駐車場付きの映画館は当時は珍しく、話題になった。別館もでき、97年に上映した「タイタニック」では半年間に約3万人を集客したが、富山県にできたシネマコンプレックスや少子化の影響で、昨年の来館者はピークの約10万人から約5万人にまで減っていた。閉館後の跡地には、スーパーマーケット「ファミリーストアさとう」(同市石浦町)が出店予定という。*36



31日に閉館する高山市三福寺町の映画館「高山旭座」で23日から、最後のロードショー「もういちど」の上映が始まる。撮影監督として参加した同市在住のカメラマン古川誠さんが同作を多くの人に見てもらおうと奔走、市民の来館を呼び掛けている。高山旭座は1984年に飛騨市古川町から移転して30年がたつ老舗で現在、飛騨地域で唯一の映画館。来館者の減少などを理由に31日に閉館することが決まっていた。*37

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