かつて存在した映画館についてのwikiです。事実上の個人サイトであり管理人「hekikaicinema」のみが編集可能です。

岡崎市

常盤館/岡崎東宝/岡崎東映/岡崎グランド劇場

1989年のグランド劇場*1
所在地 :
開館年 : 大正時代
閉館年 : 2004年10月25日
岡崎市の伝馬通の遊郭は繁盛し、近くには常盤館が建てられて、1918年(大正7年)-1919年(大正8年)ごろには映画を上映していた。ここにはかつて本陣があった。かつては常盤亭といい、1911年(明治44年)に改築したとの記録もあるので、創設はかなり古い。近くには成瀬亭・遠藤時計・鍵屋旅館・備前屋などがあった。常盤館は戦災で焼失したが、1947年(昭和22年)に再開されると岡崎東宝となった。道路拡幅後はしばらくオープン劇場となり、1954年(昭和29年)から岡崎東映となった。1981年(昭和56年)に岡崎東映が火災にあうと、跡地にグランド劇場が開館した。*2

1953年(昭和28年)には伝馬通が拡幅されて歩道が整備された。西本陣跡の碑が建つ2丁目と1丁目の境辺りから西を望む。江戸時代の旧東海道はここで突き当りで左に折れており、この先の道が開かれたのは大正になってからである。右の建物は、戦後間もなくの3年間だけ営業していた映画館の岡崎東宝。閉館後、ここに銀行を建てる計画があったが、3時閉店でシャッターが下りてしまうことを嫌った商店街が後ろ盾となり、1954年(昭和29年)に岡崎東映が開館した。その後、岡崎グランド劇場に変わり、2004年(平成16年)まで営業していた。現在はその跡地でミニストップが営業している。*3

1916年(大正5年)頃の常盤館は、伝馬の三銘座と並ぶ活動写真の専門館だった。*4

伝馬町で今も映画館のある付近。初めは常盤座(大正初期)と言っていた。*5

1955年(昭和30年)頃には、岡崎呉服組合が浴衣一反につき「映画ときものショー」の招待券をプレゼントした。岡崎東映にて「東京ファッションモデルクラブ」によるショーを開催した。映画もショーも盛況だった。岡崎市伝馬通。昭和30年頃。*6

劇場金升座/岡崎劇場

戦前の岡崎劇場*7
1989年の岡崎劇場*8
所在地 : 愛知県岡崎市康生通南3-2
開館年 : 大正後期
閉館年 : 2001年2月1日
岡崎は産業・経済の両面で西三河の中心地として発展した。岡崎劇場は現在の岡崎劇場日劇の場所にあった大型の演劇場で、大正後期に建てられた。今とは異なって北側に表玄関があり、花道や桟敷席を備え、歌舞伎や浪花節などの興行が行われた。この場所はそれ以前には金升座があった。他にも宝来座(六地蔵)、三銘座(伝馬)、神明座(元能見)、宝友座(柱)などの劇場が市内にあった。第二次世界大戦の空襲で焼かれた岡崎劇場は、戦後いち早く映画館として再開され、その後改築されて現在に至っている。同劇場を訪れた著名俳優や歌手は数多く、片岡千恵蔵、岡晴夫、美空ひばり、長谷川一夫など、それぞれの時代を代表するスターたちだった。54ページの写真は国道1号線に面している現在の岡崎劇場。55ページの写真は大正12、3年ごろの岡崎劇場金升座のあとに新築された入母屋造の岡崎劇場。歌舞伎座を模した造りで、衆目を浴びた。*9

1916年(大正5年)頃の金升座。現在の岡崎劇場付近に1923年(大正12年)まであった。1916年(大正5年)には川上貞奴が『お蝶夫人』などを上演した。*10

1925年(大正14年)頃の金升座岡崎劇場金升座のあとに、東京の歌舞伎座を模して新築された。花道や桟敷席を備えた風格ある劇場であった。*11

岡崎市立中央図書館が所蔵する「岡崎劇場嗟媾顱廚妨える岡崎劇場の全景。岡崎劇場は歌舞伎座風で、花道や桟敷席を備えた大型の演劇場だった。*12

1953年に岡崎劇場で開催された第1回歌謡ショーでは、灰田勝彦、宮城まり子、三浦滉一、市丸らが公演した。写真あり。*13

康生通南の岡崎劇場は「映画演劇の殿堂」がキャッチフレーズ。新作映画のほかに演劇や歌謡ショーなどの興行も行った。「希望音楽祭」(第1回歌謡ショー)では、灰田勝彦、三浦滉一、市丸、渡辺はま子、宮城まり子ら人気スターがステージに立った。*14

宝来座/タカラ劇場

所在地 : 岡崎市島町付近(宝来座時代)、連尺通1丁目(タカラ劇場時代)
開館年 : 明治時代
閉館年 : 戦後
宝来座は明治以降当地の庶民娯楽の中心として繁栄した。六地蔵に芝居小屋が建てられたのは、伝馬などの繁華街が近いこと、寛政年間の初めに「れんにょさん」の開帳で有名な浄専寺が町の南端西側に移転したからであろう。昭和になると、大衆劇場として、芝居のほか映画・レビューなどが上映され、演説会や市民大会などの会場としても利用された。戦後は連尺通1丁目に移転し、洋画専門のタカラ劇場として再開された。*15


大正5年頃の宝来座金升座宝友座日出座とともに当時あった劇場のひとつ。明治41年すでに活動写真を上映。*16


六地蔵町宝来座。現在は国道1号線沿いで空地となっている。*17

福岡座

所在地 :
開館年 : 1912年
閉館年 :
明治45年開館、現在の青山学園みやこ幼稚園付近(福岡町北西中)にあった。*18

マルス劇場

所在地 : 碧海郡六ッ美村中島*19、碧海郡六ッ美村字土島114*20、岡崎市中島町上町(※現在の住所。六ツ美南部地区)
開館年 : 1948年、1947年12月*21
閉館年 : 1963年以後
1948年(昭和23年)、杉浦製糸所の乾燥場に劇場「マルス劇場」が開館した。芝居を中心として、地元の舞踏会なども開催された。写真は1953年(昭和28年)の赤堀流舞踏会。*22

メトロ座

所在地 : 岡崎市井田南町
開館年 : 1981年
閉館年 : 2001年
岡崎市井田南町に集まる映画館「岡崎メトロ座」「岡崎メトロ2」「岡崎スカラ座」の3館が5月末に、20年の歴史を閉じることになった。3館を所有する「新世界興業」の中村忍社長は「映画離れの大きな流れを肌で感じる。潮時だと思い、決断した」とさばさばした口調。同市内では、戦後すぐに映画の上映を始めた「岡崎劇場」が1月に閉館しており、市民の思い出の場でもある娯楽施設が寂しくなる。岡崎メトロ座は、1981年(昭和56年)、2館でオープンし、アメリカ映画など洋画を中心に上映。93年に1館(スカラ座)を増やし、東宝の作品の上映も始めた。3館合わせて、約500席がある。ピーク時の90年は、3館合わせて、年間約12万人が来場。だが、それ以後は減少傾向で、昨年は年間6万人を割り込んだ。「2年ほど前から、市外から来ていた常連客も来なくなった」と中村社長。「衛星や光ファイバーで、デジタル配信するシステムができそう。新規の設備投資はとてもできないので、見切りをつけた」と明かす。市内の映画関係者によると、岡崎には昭和40年代には15館前後の映画館があった。1月の「岡崎劇場」(同市康生通南)閉館(計4館)に続き、メトロ座の幕が閉じると、市内では「岡崎グランド劇場1・2」(同市伝馬通)、「岡崎南映劇場」(同市柱町)の計3館だけになる。*23

岡崎南映劇場

所在地 : 岡崎市柱町
開館年 :
閉館年 : 2006年1月19日
晩年は成人映画館。

シネプレックス岡崎

所在地 : 岡崎市羽根町小豆坂
開館年 : 2007年7月14日
閉館年 : 現存
2007年6月13日の新聞記事
岡崎市羽根町小豆坂に7月14日、複合映画館「シネプレックス岡崎」がオープンする。市内では約3年ぶりとなる一般映画館の復活で、市民の期待が高まっている。映画館の広報を担当する広告代理店によると、角川シネプレックス(東京都)が全国展開するシネマコンプレックス(複合映画館)の12店目としてオープンする。175席から426席までの9面のスクリーンを備えており、総座席数は1978席。人気の話題作から、知る人ぞ知るアート系の作品まで、幅広いジャンルを上映する。各スクリーンともデジタル音響に対応しており、うちメーン館を含む3スクリーンは反響を抑える特殊な吸音設備を備えるなどして、ダイナミックな音を再現する音響システムを導入する。駐車場は1350台分を予定している。チケットはパソコンや携帯電話からインターネットで購入できる。日時指定した事前購入は4日前から可能という。岡崎市内では、昭和40年代に15の映画館があってにぎわっていたが、次第に下火となり、成人映画館を除き最後まで残っていた同市伝馬通の岡崎グランド劇場が2004年10月に閉館。以後、市民は近隣市町の映画館へ出掛けていた。*24



2007年7月19日の新聞記事
角川シネプレックスが全国展開する複合映画館「シネプレックス岡崎」が、岡崎市羽根町小豆坂にオープンした。175席から最大426席までの9スクリーンを備え、座席総数は1978席。人気の話題作はじめ幅広いジャンルを上映し、ダイナミックな音を再現する音響システムも導入している。1350台分の駐車場がある。チケットはパソコンや携帯電話から購入でき、日時指定の事前購入は4日前から可能。「スクリーン9つ 映画館オープン シネプレックス岡崎」中日新聞、2007年7月19日))

イオンシネマ岡崎

所在地 : 岡崎市
開館年 : 2008年11月28日
閉館年 : 現存

岡崎市の映画館

明治45年(1912)の岡崎町市街図には、演劇場として宝来座(大字六地蔵)・金升座(大字康生)・三銘座(大字伝馬)・常盤亭(大字伝馬)の4座が紹介されている。紙面の都合上、金升座宝来座の2座のみ取り上げよう。岡崎には、明治末から大正にかけて前述の4座を始めいくつかの劇場があり、義太夫・浪花節・芝居・落語など市民の娯楽の殿堂として競い合っていた。第一次世界大戦後、活動写真(映画)が普及すると、岡崎の各劇場も競って活動写真を上映するようになり、多くの劇場が映画館へ変わっていった。そうした中で、金升座は芝居小屋としてだけでなく、不忘義団(旧岡崎藩士の会)の琵琶演奏会・講演会などの催し物を続けながら存続していった。大正14年(1925)には「岡崎劇場」として改築。太平洋戦争末期の空襲で焼けてしまったが、いち早く映画館として再開され、市民の文化活動の場としての役割も果たした。他方、宝来座は明治以降当地の庶民娯楽の中心として繁栄した。六地蔵に芝居小屋が建てられたのは、伝馬などの繁華街が近いこと、寛政年間の初めに「れんにょさん」の開帳で有名な浄専寺が町の南端西側に移転したからであろう。昭和になると、大衆劇場として、芝居のほか映画・レビューなどが上映され、演説会や市民大会などの会場としても利用された。戦後は連尺通1丁目に移転し、洋画専門のタカラ劇場として再開された。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

メンバーのみ編集できます